第24話 昔、昔(3)

 シツツメが腰に差しているナイフを鞘から引き抜いたのと、側頭部に角を生やした人型の生物がシツツメに向かい駆け出して行ったタイミングは殆ど同じだった。その様子は獲物を狩ろうとする獣と酷似しており、事実、シツツメは肌がひりつくような殺気を彼ら(と呼んでいいのかすら不明だが)から感じていた。

 いの一番にシツツメに突っ込んできたそれは拳を振り上げると、躊躇うことなくシツツメに向けて振り下ろした。シツツメはバックステップを踏み、振り下ろされた拳を回避する。空振りに終わった拳は止められずに、石畳の道に直撃した。人間ならば確実に骨が砕けるほどの勢いだが、砕けたのは骨ではなく石畳の方だった。粉砕音を響かせ、破片と土煙を撒き散らすのを目の当たりにしたシツツメは、彼らが人間であるという可能性を頭の中から消し去った。


 めり込んだ拳を引き抜こうとする相手に対し、シツツメは素早く距離を詰め、首を目掛けてナイフを振るおうとするも、咄嗟に横に飛んだことでそれは出来なかった。次の瞬間、シツツメの頭部が占めていた空間をハンマーの一撃を思わせるような、横殴りの拳が通り過ぎた。空振りに終わったものの、シツツメがナイフを止めて、横に跳んでいなければこの一撃でシツツメの頭部は粉砕されていただろう。


(連携が取れている……! 間違いなく、高い知能がある! その上、確実に俺を殺そうとしている──こっちも温存とか考えている場合じゃないな!)


 最初の攻撃、そしてそれを撒き餌にしておびき寄せた上での攻撃も回避されたことで、側頭部に角を生やし、赤い瞳をシツツメに向けている彼らも更に警戒心を強めたようだ。今の一連の流れに加わることなく、後ろで様子を見ていた残りの二人も互いに頷き合う。どうやら戦列に加わるつもりらしい。一撃でもまともに食らえば絶命しかねない拳を振るう相手が四人もいるのだ、シツツメは可能な限り温存しようとしていた適応者ハイブリッドの能力をフルに使い、一気に倒そうと考えた。


 シツツメはナイフを構え、その場で鋭く振るう。ただの素振りにしか見えないその動きだが、斬撃を敵に対して繋ぎ、渡らせるという回避不可能の攻撃だ。それを見た彼らはシツツメの行動に対し身構えるも、防ぐことは不可能──そのはずだった。

 シツツメは確かに能力を使用したはずだった。だが今のシツツメの動きはただのナイフの素振りに終わってしまい、対峙している四人の内、一人もシツツメの能力による攻撃の影響を受けてはいなかった。


(能力は使用した筈だ……なのにどうして、発動しない!?)


 能力を使用できないほどに消耗はしていない。なのに斬撃を繋ぎ、渡らせることが出来なかった。思いもよらぬことに狼狽えるシツツメを待ってくれるはずもなく、彼らは攻撃を仕掛ける。二人同時にシツツメに突っ込み、残りの二人はシツツメの回避行動を見てから動くつもりなのか、やや距離を取った位置にいた。

 心臓の鼓動が急激に脈打つ。能力を使用し、一気に倒すつもりだったのが一転して、死の予感がシツツメの全身を駆け巡った。ナイフの柄を握り締める自分の手が震えているのを感じながら、シツツメはある考えを頭の中に巡らせていた。

 確実に能力を使い、斬撃を相手に対して繋ぎ、渡らせた筈だった。だがその片鱗すら現れなかった。

 適応者ハイブリッドの能力は、ダンジョン内限定。ダンジョンの外では使用することができない。──つまりは、そういうことだ。


(ここはやはり、ダンジョンの中じゃない……? じゃあこの見たことも無い風景や、どう考えても人間じゃないこいつら一体なんだって言うんだ!?)


 シツツメは彼らに対し、何か言葉を投げかけようかとも思ったが、殺意を乗せた拳を振りかざす相手に今更そんなのは意味が無いだろう。そもそも、言葉が通じる可能性は限りなく低かった。あの何語かも分からない声がそれに拍車をかけていた。

 無造作に振り回される拳をシツツメは回避するも、今のシツツメの状態では逃げ続けるのは難しい。相手もそれを分かっているのか、無理にシツツメを仕留めにかかろうとはしなかった。人数的な面でも優位に立っているのを理解しているようで、シツツメが限界を迎えたところを叩くつもりなのだろう。無論、そうなる前にあの拳が一撃でもシツツメに入れば、その時点でシツツメは終わりだ。


 予想もしてなかったあらゆる状況がシツツメの体力を一気に奪っていく。汗を流し、息を切らしながら逃げるシツツメは一縷の望みをかけて、自分自身をダンジョン内のどこかに繋ぎ、渡らせようとした。第何階層でも良い、ここから脱出しなくては確実に命を落とすことをシツツメは強く感じていた。


(……ダメか。どこにも繋ぐことができない──俺は一体、どこに迷い込んでしまったんだ?)


 だがその望みすらも、断たれてしまった。能力を使うことすらできなくなってしまったシツツメは、最早狩られるのを待つ獲物に過ぎなかった。いつの間にか追い詰められてしまっていたのか、白い壁がシツツメの背中に当たる。そのシツツメを取り囲むようにして、四人がシツツメの前に立ち塞がる。シツツメが命を捨てる覚悟で特攻をかけたとしても、倒せるのは一人ないし二人だろう。万全の状態ならばまだ希望はあるのかも知れないが、ダンジョン探索を続けてきた上、何処かも分からぬ場所に投げ出され、能力を使用することすら不可能──シツツメはもう打つ手がないことを悟り、その場に座り込んでしまった。


「お手上げだ。好きにしたらいいさ──いや、出来るだけ痛くしないでくれると助かるんだが……伝わってるはずもないか」


 と呟いたシツツメは、自嘲気味に笑った。そのシツツメの目の前に一人がやって来て、赤い瞳でシツツメを見下ろす。その瞳から感情を伺うことはできないが、少なくとも、慈悲を向けることはしていないだろうなと、シツツメは思った。

 ここで俺のダンジョン探索も終わりかと、シツツメは目を閉じる。だが結構いい線──というより、夜桜市のダンジョンでの最高記録を更新できたんじゃないかと思えば、シツツメは何だか誇らしい気持ちになった。勿論死にたくはないが、無様に泣き叫んで死ぬよりは幾分マシな死に方だろうと、シツツメは自分を納得させた。


(ああ、そういえば藤村に貸した金、まだ返してもらって無かったな……まあいいか、くれてやるよ)


 拳を握り締めた音を聞きながら、シツツメは最後の最後にそんなくだらないことを思い出していた。そして次の瞬間には自分の頭部に振り下ろされるであろう強烈無比な拳で死を覚悟し、シツツメは歯をぎりっと噛み締めた。

 だがいつまで経っても、衝撃は来ない。死ぬ時は案外痛みも無く、あっさり死ぬもんだなとシツツメは閉じていた目を開けようとして──そこで違和感に気づいた。


(……何で死んでいるのに、目を開けようとしているんだ? 俺は)


「それは君が死んでいないからだよ、シツツメ君。いやあ、ギリギリだったね。危機一髪とは、まさにこのことかな。それに君が最後に目を閉じていたのは、サムライ的な奴かな? まあ嫌いじゃないけど、私としては肝を冷やしたね」


 目を開けようとしたシツツメが聞いたのは、少女の声。聞いたことの無い声だった。

 はっと目を開いたシツツメはまず自分が、木製の椅子に腰掛けていることに気づいた。あの場所には椅子なんて見当たらなかった。

 一体いつの間に? 困惑するシツツメはふと視線を前にやると、テーブルを挟んでシツツメと同じ形の木製の椅子に座り、微笑みながらシツツメを眺めている一人の少女がそこにいた。シツツメの記憶には無い、初めて出会う少女である。


 その長い黒髪が特徴的な少女は微笑みをそのままに、シツツメにこう言った。


「君と会えて嬉しいよ、シツツメ君。それで感想を聞かせてくれたら嬉しいんだけど──皆が憧れる異世界に行った感想を、さ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る