第23話 昔、昔(2)

 その場所を歩き始めてからどれほど経過したか、シツツメは把握していなかった。腕時計はいつからか電池が切れてしまっていたのか、時を刻むのを止めていた。しかしここまで来てしまったからには、それにもはや大した意味は無いだろう。

 シツツメは自分が死んでしまったのではないかとも思ったが、喉の渇きや空腹、そして疲労感はしっかりとシツツメを蝕んでいるので、まだ自分が生きてはいるのだという実感を得ることができた。

 気温としては少し肌寒い程度だろうか。暑いよりはずっと良いと、シツツメは遅くとも歩みを続けていく。そして自分が歩いて来た道を振り返った。

 振り返ったところで、何も無い。視線を前に戻しても、それがずっと続くだけだ。シツツメは自嘲とも取れる乾いた笑みを浮かべ、重い足取りで進んでいく。そうすることしか、今のシツツメにはできない。


 シツツメが歩いているその空間には、何も存在しない。ただ見つけることができていないだけで自分の他に探索者や、見たことも無いような怪物がいるのかも知れないが、生物の気配を感じ取ることができない。

 何も見えないという訳ではないが、視界は悪い。目を凝らせば少し先は分かるという程度で、まるで霧の中を歩いているようだった。実際、これが霧の中だったらまだ何か原因があるんじゃないかとも考えられるが、手を伸ばして見ても何も掴めないし、声を上げてみても反応は返ってこない。ただひたすら、見通しの悪い薄暗い空間を歩き続けていた。


(……何かの間違いで地上に戻れて、こんなのを皆に伝えたとしても、がっかりされるどころじゃないだろうな)


 シツツメはついに立ち止まるとその場に座り込んでしまった。そして自分を送り出してくれた協力者の人たちを思い浮かべ、唇を噛む。

 今まで誰も攻略したことがないという、夜桜市のダンジョン。そのダンジョンを攻略できる可能性のある人物として、シツツメは多くの注目を集めていた。まだ高校生であるシツツメに多くの協力者が集まり、サポートをしてくれた。シツツメ自身もその期待に応えたいという気持ちと、このダンジョンの最深部には何があるのだろうという強い好奇心を持って、ついに本格的なダンジョン攻略へと踏み切った。


 より深くまでダンジョンを進むにつれ敵の強さや、仕掛けられている罠の残虐性は増していった。同時に、シツツメの能力をもってしても地上へと戻れる可能性は低くなっていった。

 だが今より奥へと進める保証はない以上、攻略を進めるというのがシツツメが下した結論だった。そして第十五階層の攻略を終え、第十六層へと進み──この空間にシツツメは放り出されてしまったのだ。


(精神的に参らせるっていうなら、効果は絶大だな……こんなんじゃ帰るに帰れない)


 シツツメはふうと溜息を吐いてから、ゆっくりと立ち上がる。ここで能力を使用し、一か八か一気に第一階層まで繋いで、渡るという手段もあった。だがこんなものを土産話にするつもりはシツツメにはなく、可能な限りここの探索を行おうとしていた。

 きっと何かがこの先にある。シツツメはそれを信じて、また歩き出した。


 それから、少し経ってからだろうか。その少しが数分なのか、数十分なのか、はたまた数時間なのか今のシツツメには分からない。

 変わらずに重い足取りで歩くシツツメの視線の先に、うっすらと光が差したのが見えた。見間違いではない。この辛気臭い場所にいい加減、うんざりしているのだ。どんな小さな異変も見逃すはずがなかった。

 この状況を変えられるきっかけを逃してなるものかと、シツツメは力を振り絞り、駆け出そうとした。だが不意に、シツツメの足取りがぴたりと止まる。


 針の先ぐらいの微かな光が、徐々に大きくなっていた。光の正体が向こうから近づいているのではないかとシツツメは身構えるが、それとも違う。単純に光がどんどん大きくなって、この空間に広がっているのだ。

 シツツメが危険を感じ、能力を使用するよりも早く、その光は一層輝きを増した。直視できないほどの光を放ち、目の前が眩んだシツツメは反射的に光から顔を背け、目を瞑ってしまった。もしここに敵がいるとすれば、今のシツツメは隙だらけだった。


 だが攻撃を受けたという衝撃や、痛みは感じ無かった。眩んでしまった目の視界が元に戻り始めた頃、シツツメは別の異変を感じていた。

 先ほどよりも、明らかに気温が上昇していた。体感的には真夏の気温に近い。シツツメが何度か目を瞬かせてから開けてみると、自分の足元に影ができていることに気づく。先ほどのような目の前も満足に分からないような暗さはどこにもなく、しっかりと光をシツツメは感じていた。

 しかし、その光にもシツツメは違和感を覚える。顔を上げて自分の頭上を見たシツツメは、視界を隠すように手で覆った。その動きは、快晴の空を見上げた時と同じである。


 そして実際に、シツツメの真上にはとても晴れやかな、雲ひとつない青空が広がっていたのだ。シツツメは先ほどまであんなに欲していた光から目を背けると、明らかに困惑した様子で周囲を見渡した。


「……冗談だろ」


 シツツメが思わず零したその言葉には、小さな笑いが混じっていた。笑いたくて笑ったのではない、混乱のためだ。この周りの全てが、シツツメを追い詰めるためにあるようだった。


 シツツメの周囲には、建築物が立ち並んでいた。白を基調としているその建物は、住居のようにも思える。実際、入口らしき戸や窓があることからそれらは住居として見ても良いのかも知れない。そして足元は、石畳で舗装された道だ。まるで観光地にも思えるが、シツツメはこの風景にまったく見覚えが無い。夜桜市にこんな場所は存在しないし、ダンジョン内でも見たことが無い。それがシツツメに、言いようのない違和感を覚えさせていた。


(別のフロアに転送された……? それとも幻か? いや、でも足元はしっかりとしているし、この確かな暑さ……どうなっているんだ?)


 シツツメは浮かんでくる頬の汗を手の甲で拭う。周囲の住居、照りつける太陽、真夏のような暑さ──その全てが幻などではなく、確かな現実だとシツツメは実感した。

 だが少なくともダンジョンの中であれば能力は使えるはずであるし、何よりもシツツメの好奇心を刺激していた。あんなつまらない場所がダンジョンの最下層なはずはなく、ここはきっとダンジョンの更に奥にある場所なのだと、シツツメは思っていた。


 この周辺を探索しようと考えた時だ。足音を耳にし、視線を向けたシツツメの前にそれが現れた。

 シツツメよりも一回り大きい人型のその存在は、一見すれば人間にも見える。だが側頭部から生えている角のようなものが、人間ではないという証明になっていた。シツツメに向けられている赤い瞳からは、その感情を確かめることはできない。目の前のそれは普通に考えればダンジョン内のモンスターなのだが、衣服を身に纏っていることから、どの程度なのかは分からないが知性があるようだ。


(今まで見たことが無いぞ、こんな奴──どうすればいい? どうするのが正解だ?)


 とシツツメが身構えたまま考えを巡らせている時、それは口を開いた。鳴き声ではない──人間の言葉のように何か明確な目的を持って、声を発した。

 だがシツツメには、それが言葉なのかすら分からなかった。めちゃくちゃにタイピングした文字をAIに読ませたかのような、意味不明な記号を無理矢理音声にしたかのような、不快感すらも感じる声。

 それを聞いてなのか一人、二人、三人と住居の中から出てきて、シツツメの前に現れる。どう考えても歓迎パーティをする雰囲気ではない。


 暑さからではない汗が背筋を伝うのを感じながら、シツツメは思った。


 果たして自分は今、ダンジョン内にいるのだろうか、と。

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