第25話 管理者(1)

「……お前は一体誰だ。異世界に行った感想だと? いやそれよりも、ここは何処なんだ? さっきの連中は何処に消えた?」

「混乱しきってるね、シツツメ君。まあ仕方が無いか。あんな目に遭ってしまったらね」


 椅子から立ち上がり周囲を見渡すシツツメに対し目の前の少女は苦笑を浮かべ、「まあ落ち着きなよ」と水が入ったコップをテーブルの上に置き、シツツメに差し出した。シツツメは現状を理解できていない。そのコップに視線を向けるが、手を付けようとはしなかった。


 シツツメがいるのは西洋風の飾り付けがされた、落ち着いた雰囲気の部屋だった。壁には誰が描いたか分からない絵が何枚か飾られており、このテーブルと椅子以外には古そうな小さな本棚が置いてあるのみだ。その本棚には書物は何も置かれてはいない。


「君の質問にひとつずつ答えて行こうか。まず私が誰かということなんだけど……うーん。私には決まった名前というものが無いからな。そうだね、管理者とでも言えば良いのかな」

「管理者だと? ふざけるのも大概にしろよ」


 とシツツメは言いながら、管理者と言った目の前の少女が何か動きを取っても対応できるよう、腰を落として身構える。警戒心を最大まで引き上げているシツツメは当然なのだが、少女にとっては心外のようで「まず座ってくれ。まともに話もできない」と溜息を吐いた。


「そもそも君を殺すつもりだったら、君が目を開ける前に殺している。ここが何処かも分からず、既に体力気力共に限界寸前の相手を毒殺しようとするほど、私は趣味が悪くない。……分かったら、座ってもらえるかな」


 諭すような口調の少女は、シツツメに対して敵意や殺意はまるで持ち合わせていないようにも見えた。そして少女の言ったことは、シツツメを殺そうとしているのなら既に実行しているはずのものだ。

 シツツメは少女をじっと見ながら体の力を抜くと、再び椅子へと腰掛ける。そして目の前に置かれたコップを手に取り、水を一口、二口と喉に流し込んだ。そこでシツツメはようやく思考が落ち着いてきたのか、「ふうー……」と息を吐く。


「……どうして俺を殺さない? さっきの連中の仲間じゃないのか?」

「君を殺す訳ないだろう、異なる世界と世界を繋ぐことのできる能力者を。まあ今はその力の使い方を完全に把握していないからか、君たちがダンジョンと呼んでいる内部でしか使用できていないけど」


 と少女は言いながら「水のおかわりなら遠慮なく」と笑いかける。だがシツツメにとってはそんなことはどうでもよく、自分の能力を把握している──というより、シツツメ自身も知らないことを知っている少女に更に疑問が深まった。分からないことだらけで、逆に頭の中が澄んできたようにも思えている。


「ええと、何だっけ……ああ、君の質問だったね。ここは何処かというのは、世界と世界の狭間だよ。私以外、誰にも干渉することができない。君が自身の能力を完全に把握すれば、私と君だけ──になるんだけどね」


 少女はそう言いながら腕を組み、言葉を続けた。


「で、君を殺そうとしたあの連中は異世界の住人さ。好戦的な種族でね、仮にシツツメ君が連中と同じ言葉を話せて、意思疎通が取れたとしても襲い掛かって来たと思うよ。能力が使えないのに、よく凌いだもんだ。感心しているよ」


 と少女はそこまで言ったところで、小さく首を傾げた。可愛げに見えるその仕草だが、今のシツツメにはまったく心躍らないものだ。


「とりあえず君の疑問に対して、答えを述べてみたけど……他に何か訊きたいことはあるかな?」

「……管理者とか言ったな。どうやって俺を助けた? まさかお前があいつらを倒したのか」

「いや? 彼らにしてみれば、突然シツツメ君が消えたようにしか見えなかっただろうね。君を私がいるこの空間に、引っ張って来たのさ。どうも君が探索していたあのダンジョン、最深部まで行くと他の世界と繋がりやすくなるようだ。君は意図せずにそこに迷い込んでしまい、異世界へと出てしまった……ということさ」

「ちょっと待て、さっきから異世界だの他の世界だの言っているが、どういうことだ? 俺たちが住んでいる世界以外にも、他に世界があるってのか?」


 とシツツメが少女に訊くと、「何だって?」と少女は声を上げた。どうやらシツツメのその質問が予想外だったようで、やれやれと首を横に振る。


「逆に問うけど、君たちは他に世界があるというのは考えなかったのかい? 君たちがダンジョンと呼んでいる場所に生息している連中は、そこら辺の雑草のように勝手に生えてくるものだと思っていたのかな? あの連中は、ダンジョンという道を通って、別の世界から来た奴らさ。……ああ、別にシツツメ君を馬鹿にしているつもりはないんだ。そんなことを確かめられる人間なんていないんだからね。今ここにいる、シツツメ君を抜きにすれば」


 すらすらと言葉を紡ぐ少女に、シツツメは口出しをすることもできない。だが少女のその言葉に、シツツメは妙に納得してしまっていた。

 確かにダンジョン内に生息している怪物たちは、どこからやって来たのかと考えればもしかしたら、それが一番自然かも知れない。だが「ダンジョンは別世界に繋がっている」なんて誰も確かめることができないし、確かめられたとしたらそれは本当に別の世界に行ってしまったということだ。そう、シツツメのように。


「本来ダンジョンっていうのは一方通行で、向こうからしかやって来ることはできないんだ。その上、帰る手段は無いときた。だからダンジョンに生息しているのはそれも分からない狂暴な奴らしかいないし、あの中にしかいられない。というのも、私がそうやってダンジョンを管理しているからなんだけど。シツツメ君、君を助けるためにこの空間に引っ張ってきたって言ったよね。それはどういうことか分かるかな?」


 ふいに投げかけられた質問。シツツメは少しの間考えると、答えを導き出すことに成功した。

 似たようなことを、シツツメもできるからだ。


「別の世界と世界を繋いで、俺をこっちに渡らせた……」

「その通り。君たちの世界でも、何事にも管理する存在というのがいるだろう? それはダンジョン──異なる世界と世界を繋ぐ道でも、同様なんだ。だからこの「世界と世界を繋ぎ、渡る」というのが出来るのは本来ならば、管理者である私だけのはずなんだけど……例外というのはいるものだね。君を見つけた時は、本当に驚いたよ」


 と少女は楽し気に、そして満足そうに笑みを浮かべると、シツツメの手にそっと自分の手を重ねた。


「君を殺す訳が無いと言ったね。それは当然さ。まさか、世界と世界の均衡を保つ管理者の資格を持つ人間が現れるなんてね。君のことはずっと見ていたよ、シツツメ君」

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