第十三話 解放

背中から鈍い痛みがする。腹部がずっと痛みに襲われる。脚が痛い。腕が痛い。頭が痛い。とにかく全身が痛むのだ。

「……かはっ」

口から何かが出たと思えば、それは赤黒い自分の血だった。

八坂雪穂は、悪魔が取りついたであろうこの人間に、太刀打ちすることが出来なかったのだ。

喉の中に鉄臭い嫌な味が広がる。

意識が遠のき、目の前の景色がぼやけ、霞んでいく。

「あた、し……負け、たのか………」

敗北。

その2文字が頭の中に浮かんだ時、あまりにも悔しくて、何も出来なかった自分が歯がゆくて、調子に乗ってしまった自分が恨めしくて、ただただ歯噛みをする。


己を縛っている枷を解き放て。

頭の中に何かの声がする。

周りの事など見ず、目の前だけを……いや、目の前すら見るな。

雪穂の頭に、何か語り掛けてくるものがある。


ただ己の欲望のままに、すべてを壊し尽くせ。


すっ、と頭が冷えて来るような感覚がある。

先ほどの悔しかった感情も、恨めしかった感情も、何もかもが引いていく。

そして、身体全てを襲う痛みも。

雪穂は、ただ黙ったまま自分を吹き飛ばした女を睨みつけていた。

そして、そのままゆっくりと女の方へと、大きな足音を立てながら近づいていく。

その様子はまるで……獲物を見定めた獣のように、ひどく冷静で、冷徹だった。


「イヤァァァァーーーーーーッ!!!!!」

女が叫ぶ。聞いているだけで頭が痛くなるような、甲高い耳障りな音。しかし、雪穂はそれにぴくりと眉すら動かさずに、怯える女へと近づいていく。

そして、怯え丸まる女の身体を、


無言で蹴り飛ばした。

打ち捨てられたゴミ袋のように、女の身体が地面へと転がる。

雪穂はそれを見下ろすと、儀式具を女の身体へと突き立てた。

何度も、何度も、何度も。ザクザクと、肉を打ち据える音が静かな公園へと響く。抵抗すらできずに、声すら出せずに女に何度もその刃が突き刺さる。


儀式具で刺された女は、やがて頭を抱えると、眠るようにして意識を失い、公園の土の上へと横たわった。


「わ、悪かった……襲っちまって悪かった兄ちゃん……」

「気にせずとも良い。お前は悪くない」

「いやいやいやいや、このまま何もなしってのは良くねえよ…ほら、何か欲しいものはあるか?金ならあるが……」

「いいと言っているんだが……仕方ない。謝礼という形で受け取ろうか」

「いや、謝礼……?襲ったってのにか?」

すっかり悪魔が祓われ、正気に戻った男と尊は噛み合わない会話をしていた。


「とにかく。この後は気を付けて帰るといい。そして僕のことは忘れてくれ」

「お、おう……わかった。わかったよ。兄ちゃんも気を付けてくれよ」

「(悪魔や悪魔祓いのことはみだりに他人に教えるなと言われたから伏せて話しただけなのだが……?)」

と、尊が先ほどの噛み合わない会話に思いを馳せていると、男が急に足を止め、振り返ってくる。

「ん、どうした?」

「いや、さっきのアンタと一緒にいた女の子。大丈夫なのかなって……」

戦いの音は止んでいる。ということは、雪穂は問題なく悪魔憑きを倒したのだろうと、尊は安心していた。


ならば、男が言う「大丈夫なのかな」という言葉の意味は、何だろうか。

そういえば、戦いを終えたであろう雪穂が、なかなか戻ってこない。

まさか雪穂が敗北していないといいが……などと考えながら、尊は公園の土を踏みしめ、雪穂がいるであろう場所へと向かう。


そこには、血に塗れた儀式具を手に持ちながら、土の上に倒れた女を見下ろす雪穂の姿があった。

「良かった。終わったのか」

そう安堵したのもつかの間、尊の声に向かって振り返った雪穂の顔は。

どこか、別人であるかのようにひどく冷え切っていた。

「……大丈夫か?」

「……ああ。うん、大丈夫。なんか、いつの間にか終わってた」

尊が声をかけると、雪穂はまた普段通りの表情に戻っていた。ほっと胸を撫で下ろすが、やはり尊にはあの冷たい顔が、どうしても脳裏に焼き付いて離れなくなっていた。


戦いを終えた後、尊はやることがあると公園の方に残ったが、雪穂は先に教会へと戻っていた。

「ユキぴょ~~ん!仕事どうだった?」

教会へと入るなり、一華が馴れ馴れしくも話しかけてくる。

「めっちゃ大変だった。おかげで全身超痛いし服は汚れるし、正直続けんのキッツいかも。一華さん大丈夫なわけ?」

「大丈夫だよー。別に公園みたいなとこでばっか戦うわけでもないしね。あと、アタシのことは一華さんじゃなくていっちーとかいっちゃんとかそんな感じで呼んでもらっても」

「やだ」

一華の提案を、雪穂は最早一考すらしないどころか食い気味にバッサリと断る。


「何で~~?あ、そうだ。今日はユキぴょんって呼んでもそういや何も言わないんだね?」

イオリンに呼ばれた時はあんな怒ってたのに珍しいね、と、雪穂の態度に少し疑問を持っていた。

「疲れててツッコミ入れる余裕もないだけ。あと、初対面相手にそこまで馴れ馴れしく出来ない。もっとこう、距離感ってもんあるじゃん?」

「アタシは初対面から誰でも仲良くできるので~?ガチガチに固まっちゃってもいいことないよ?人生軽く!重く受け止めても疲れるしねっ」


「…じゃあ何で悪魔祓いなんかやってるんですか」

一華の態度と、悪魔祓いという職業のイメージそのものが、雪穂にはどうしても結びつかず、疑問として口をついて出る。

「あー…何?もしかしてアタシのこと気になる?気になっちゃってる?」

「いやなんかイメージにないから気になっただけです」

「うん。まあ……色々あった感じ?色々」

「えっ……ああ、そう。ですか……」

答えを濁らせるとは思わず、雪穂は困惑してそのまま何も言えなくなってしまっていた。


一華としばらく話をしていると、尊もまた戻ってきた。

「ただいま。少し遅くなりました」

「気にしないでもいいですよ。何せ今日は予想外のことが起きましたからね」

黒崎が顎に手を当てながら、尊の方を見る。

「予想外のこと……そうですね。予定にあった悪魔憑きは街に住む井上正樹という男でしたが、もう一人別の人物が悪魔憑きとして我々に襲い掛かってきました。そのことでしょうか?」

「君は少々結論を急ぎ過ぎるきらいがありますよねぇ。私としてはそれでも構わないのですが、もう少しのんびり話してくれてもいいんですよ?

と、私はそういうお説教がしたいわけじゃないんです。実は私の方からも伝えたいことがあるんです」


「ここ最近、悪魔憑きが急増しているという話です」

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