第十二話 開戦

「危ない!!!」

雪穂がそれに反応して叫ぶも、尊は堂々と男の蹴りを受け止めていた。

「お前には…お前にはわかんねえだろうな……俺の悲しみってやつがよぉ!!」

明らかに血走った目。本人の中では通っているようでいて、その実支離滅裂な言動。

あの時の澤田と同じだ、と雪穂は確信した。

だが、それと違う部分が一つだけある。男は、澤田以上に理性を失っているように見えたのだ。

澤田は理性を失っていたとはいえ、大人しく授業を受けて見せていたし、周囲の器物を壊したりなどはしていなかった。

だがこの男はなんだ、明らかに理性がなさすぎる。尊の話も、聞こうとする素振りすらなかった。


「来い。いくらでも受け止めてやろう。お前の気持ちまではわかってやれないが、せめてお前の心を穏やかにしてやることは出来る」

「テメェ!!!」

男はそのまま、尊の顔を殴りつけようと拳を振るう。

だが、それも尊に阻まれ、男は顔を真っ赤にして尊を睨みつけることしか、出来なかった。

「すごい……これもうあたしいる必要なくない?」

あまりの尊の身体能力の高さに、雪穂は惚れ惚れするばかりだった。

同時に、悪魔と戦うということの難しさを痛感する。もし、あれが自分の方に飛んでいていたら、自分は少なからず怪我をしていただろう。

今無傷でいられるのは、あれが尊の方に飛んで来ていたからだ。


「(どうする?あたしも加勢するか?いやでも、下手に動いたらそれこそ足手まといなわけで……適当なタイミングで加勢すりゃいいか?)」

男は尊の相手をすることに集中している。その隙を見計らうことが出来れば、かなり楽だろう。

それに相手が理性を失っているということは、つまり自分の方を見る余裕もない。

雪穂はそう考え、儀式具を構えて待機する。

今すべきことは無理やり加勢して尊の足手まといになることじゃない。機を見てわずかな隙をつくことだけだ。


瞬間、公園の遊具が揺れる音がする。

男と尊のいた方向ではない、別の方向からだ。

「雪穂!危ない!!!」

尊が振り返りながら、叫ぶ。雪穂はそれに半歩遅れて反応し、後ろを振り返る。

だが、それが遅かった。

「何!?いきなりどうして……」

そのまま何メートルも先まで吹き飛ばされ、公園の滑り台へと激突した。

「……痛ったぁ……!!何すんのよ…!!!」

口の中に残る血の味に不快感を覚えながら、雪穂は目の前にいる自分にぶつかった何かを睨みつける。


その正体は自分より少し年上…おそらく二十歳くらいであろう女性だった。

やけに派手な化粧をしたその女性は、目を血走らせながら雪穂の方を見ている。

「……悪魔憑きはもう1人いたってわけね…今日はえらく豪勢だこと!」

身体を起き上がらせるが、そのまま少しフラついてしまう。

女はそのまま何も言わず、唸るばかりでそのままそこに立っていた。

「さっき吹っ飛ばした分、同じくらい吹っ飛んでもらおっかなぁ!!」

少し距離を取ってから、儀式具が導くままに女の方へと飛びかかる。雪穂自身も信じられないほどに強く吹き飛び、一瞬女の姿が舞う砂煙の中へと隠れた。

「……やっば、強くやりすぎちゃったかぁ?」

よく目を凝らし、女の方を見ようとする。


砂煙が晴れたその先には、倒れた女の姿があった。

「…これ、正当防衛成立するよね?」

血を吐いてぐったりと倒れるその様子に、雪穂は少し焦りを覚え始める。

そもそも、相手は悪魔が憑いているとはいえ生きた人間なのだ。それを相手にする以上、必要以上の怪我を負わせるというのはやはりよろしくない。

でもここで本気でやらなければ自分も倒れていたし…などと思考を張り巡らせる。

「……大丈夫だよね?まさか、死んだりなんてことは……」

女の顔を覗き込むようにして見る。顔色は化粧をしていても青白く見え、下手をすれば本当に死んでいるとも思えるような形相だ。


だが、次の瞬間。

「……んぐっ……何……!?」

女が起き上がり、その腕が、雪穂の首元へと伸び、彼女の首を絞め始めたのだ。

「がはっ……息が……息ができない……」

景色が霞み始める。振りほどこうにも、女の力は想像よりもずっと強く、まるで固定されたかのように手が動かない。

「(そりゃ、油断したあたしも悪いけどさ……こんなとこで終わるとかある?…こんなの、こんなの嫌なんですけど……)」

じたばたともがこうとするも、むしろもがくたびにより拘束がキツくなっていく気すらしていた。


「(どうすれば……どうすれば……、尊に助けを求める?いや、尊もまだ戦ってる。今助けを求めるのは無理……かと言って、このまま黙ってやられるのも、癪……!)」

雪穂は力を何とか振り絞って腕を伸ばし、女の腕に向けて思い切りそれを、

「(何とか、何とか足りて……!!)」

握り込む。爪を立て、少しでもその痛みで相手の力が緩むのを狙ったのだ。

女は驚いたのか、そのまま手を離す。

「はぁっ……!首絞めたくらいで、安心してんじゃないっての……!」

息を切らしながら、雪穂は女の方を睨みつける。女はそのまま、鬼の形相で雪穂の方を見るばかりだ。


「(さっきの男は言葉を話してた、でもこっちは何か喋ることすらなくて、唸るばっかり……こっちの方が深刻ってこと?だとしたらアタシが戦うのまずくない?)」

最悪逃げるか、ということまで雪穂は考えていた。いくら自分に悪魔と戦う力があるとはいえ、まだほとんど実戦経験もないくらいだ。

流石に命を投げ出してまで戦う覚悟は、雪穂にはまだ持てない。

そうこうと考えているうちにも、女はまた自分に攻撃してくるだろう。

「しょうがない…やるしかないか……!!」

逃走したところで、またあれが追いかけてこないとも限らない。それに……。

「逃げてそのまま生きたところで、後味悪いだけ!!」


儀式具を持った腕を思い切り振り、女の腕を切りつける。

「イヤアアアアアアアアアアア!!!!!!」

女はそれに痛みを覚えたのか、黒板を爪で引っかいたかのような、頭の痛くなるような金切り声をあげた。

「………っ!!」

思わずその大声に驚き、頭を抑える。人間の喉から出るとは思えないような音だった。


ただ、確実に手ごたえはあった。

自分の攻撃が効いている。前に進んでいる、その実感で、雪穂は大きな満足感を得ていた。

「よし、やれる……!」

と思ったのもつかの間、身体が宙に浮く。


「え……?」

人間の腕からここまでの力が出るのかという程の殴打で、自分が吹き飛ばされたことに気づいたのは、既に自分が叩きつけられた後だった。

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