第六話 暴走

「…皆皆皆僕を馬鹿にしやがってええええええええ!!!!!」

聞こえた叫び声に、雪穂は思わず振り返る。そこでは、椅子を持って立ち上がり、暴れ始めている男子の姿があった。

「ちょっとちょっと!?何してんの澤田!?」

「風子やめな!危ないって!!」

風子が慌てて止めに入ろうとするが、雪穂に制止される。

「なんで!?」

「あいつ…澤田っつったっけ?ヤバい目してる」

雪穂は気づいていた。風子に澤田と呼ばれた男子生徒が、昨日自販機前でぶつかってきて、自分のことを睨んできた人物だということに。

そして、彼の目が、今までにないほどに血走っていたということに。


「放っておこう。次移動教室だし、流石に移動してる間にあいつ少しは大人しくなるでしょ」

「そうかなぁ…でもちょっと心配」

「いいからとっとと行く!間に合わなくなるよ!!」

「わ、わかった!」

困惑する風子を引っ張るようにして、雪穂は教室から半ば逃げるような形で移動教室を目指した。


関わらなければいい。だって、あいつがキレて暴れただけのことで、あたしには関係ない。

そんな言葉を頭の中で繰り返し、言い聞かせるように廊下を早歩きで移動する。

「実はさぁ」

「何?どしたの風子?」

「授業始まる前、澤田がわたしのこと睨んできたんだよね。だから、何かしたかなぁって思って」


「仮に何かしたとしても気にすることないって。」

「何で?」

「あんたがそんなキレて暴れられるようなこと、するとは思えないから」

「…そっか。そう、かな」

「もしただの逆恨みだったら頭ひっぱたいてやる」

風子がそんなことをするとは思えない。それは、雪穂の心からの言葉であり、同時に一つの願いでもあった。

彼女のような善人が、こんな一方的な暴力に巻き込まれてしまうのが、許せなかったのだ。


雪穂が化学室に着くと、いつも以上に教室の中はざわついていた。

「やばい、ギリギリだ」

もうすぐ、2時限目を告げるチャイムが鳴る。雪穂たちが着いたのは、かなり後の方だったようだった。

「あー、八坂さんに綾崎さん?今ちょっとね。杉本くんが椅子で殴られて怪我した!とか言って騒いでて…」

雪穂にそう話しかけてきたのは、クラスの委員長を務める市原真弓という女子生徒だった。いつもは落ち着いているが、今は眼鏡をカチャカチャと鳴らすように何度も動かしており、異常事態が起きているということまでは雪穂もよく理解できた。

「杉本が?そりゃあいつ騒いだらうるさいだろうなぁ」

「あんまりそういうこと言いたくないんだけどね…まあ、大騒ぎよ。保健室連れてけ~!とか澤田のやつなんとかしろ~!とか言ってて…」


杉本陽平。高校生ながら、まるで熊のようと言われるほどの体格の男子生徒で、常に声が大きく粗暴な人物だというのが、雪穂の中での認識である。

「…で、ぶっちゃけ何があったのよ」

「杉本くんの話によるとね、澤田くんにいつもみたいに絡んでたら、急に逆上して椅子で殴られたんだって。軽くじゃれたつもりだっただけなのに何キレてんだよ、って本人は言ってるけど……」

「あー……」

澤田にいわゆる「パシリ」をさせているだとか、とにかく悪い噂の絶えない人物だっただけに、「それって杉本の方にも問題あったんじゃ?」という考えが、雪穂の頭にはよぎっていた。

何せ、学校の外で喫煙をしているという所まで見かけたという噂まであるほどだ。しかも、クラスメイトにそこまで関心のない雪穂の耳にすら、入ってくるほどに有名な話なのだ。


委員長が話を終えたとほぼ同時に、チャイムが鳴る。もう少し話を聞いていたかったが、雪穂にとっては今は授業の方が大事だ。

ざわついていた生徒たちも各々の椅子へと座り、授業の準備に取り掛かる。

数分した後、何事もなかったかのように澤田が教室へとやってくる。

教室の中が一瞬ざわつくが、特に澤田は何かすることもなく授業を受けた。

その場にいた誰もが、あの時の澤田がまるで嘘だったかのように、信じられないような目で澤田の方を見ていたが、授業はつづかなく進み、やがて終了のチャイムが鳴った。

生徒全員が、ほっと胸を撫でおろしていたことだろう。…ただ一人を覗いては。


授業が終わったと同時に、ガタッと大きな音がする。その音は、杉本が座っていた机から出ていた。

クラス全員の視線が、杉本の方へと移動する。そして杉本は、大きな足音を立てて澤田の方へと近づく。

「おい澤田テメェコラ、さっきのはどういうつもりだ!?」

杉本が、澤田の胸倉を掴み、彼の方へと詰め寄った。

「ちょっ待って!?杉本くんやめなって!」

「風子!放っときなって!!」

風子がそれを見て制止しようとするが、雪穂に止められる。


「どういうつもりだって?まだわかってないの?」

「あぁ?スカしやがって!シメられてえかこの陰キャ野郎が!!それとも」

杉本が手を振り上げ、澤田に向けて振り下ろそうとした、その瞬間。

逆にその杉本が床へと倒れていたのを、クラスメイト全員が見た。

「ちょっ…これやばいって!!様子見てくる!!」

風子を含めた多くの生徒が、野次馬となって杉本と澤田の元へと駆け寄っていく。雪穂も、消極的ながらその中に混じることにした。


雪穂が生徒たちの中からゆっくりと覗くと、そこには頭から血を流し倒れている杉本の姿があった。

続いて、澤田の方へと視線を寄せる。雪穂は気づいてしまう。澤田が、血のついた石を握っていたことに。

校庭かどこかで拾っていたのだろうか、そんなにサイズは大きくなかったが、それでも人を傷つけるには充分だろう。

「…ねえ風子。これは流石に先生に連絡した方がいいんじゃ」

「うん、うちの学校。そういう暴力沙汰とか今までなかったのになぁ……」


「そんなに気になる?それ」

「いやぁ。私の中学、すっごい荒れてたから。だから今度こそ平和に過ごせるって思ってたんだけど……」

「あれ?風子の中学市立って言ってなかったっけ?市立でそんな荒れることあるんだ」

「地域性ってやつなのかもねぇ。でもとにかくヤバかったよ。毎日喧嘩ばっかしてた」

風子の話が、雪穂は最初は信じられなかった。それでも、彼女の真剣な瞳が、それが冗談や嘘ではないことを物語っていた。


「皆、とりあえず私は杉本くん保健室へと運んでくるから、その間に皆は教室まで戻ってて。じゃ」

委員長がそう言い残し、倒れ込む杉本を肩で支えながら、教室をそそくさと出る。

嫌われ者の杉本だが、流石に血を流して気を失っているとなれば他の生徒も同情せざるを得なかった。

他の生徒たちも、ゆっくりと理科室から出始める。雪穂も、ほっと安心して教室を出ようとした。…が、その瞬間。


風子が、教室の床へと倒れ込んだ。

「風子っ!!!!」

倒れた彼女の方を見ると、頭から血を流して気を失っているのが見えた。そして、近くに落ちている石。何をされたのかは、雪穂の目には明白だった。


「あれぇ?おかしいな。お前の方を狙ったつもりだったんだけど」

「澤田……ッ!!」

授業を行うはずの場所だった化学室で、二人の生徒のにらみ合いが始まった。

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