第四話 教室

雪穂が学校に着くと、そこには見慣れた教室の風景が広がっていた。

昨夜あんなことがあったからといって、別に学校まで何か変わるわけはないと思っていたが、それでも漠然とした不安は、電車に乗っている間も通学路を歩いている間も拭い去れなかった。


「おはよ」

やる気のない挨拶を教室の中に放つと、まばらながら返事が返ってくる。

「おっおはよ~~~~!」

そして、そんな雪穂に対して全力で手を振る人物が一人。教室の奥からでも大いに目立つ少女、綾崎風子だ。

「そんな全力でアピールしなくても気づいてるってば~!」

「えへ、でも元気が一番って言うじゃ~ん!!」

風子の座る席の近くに、雪穂も腰を落ち着ける。相変わらずやかましい風子の声だが、今日に限ってはそれがとてつもなく安心できた。


「雪穂~~なんかにやにやしちゃっていいことでもあったの~?」

「べ、別に…そういうんじゃないけど」

「あ、もしかして!わたしに会えて嬉しかったとか!」

パチンと指を鳴らし、合点がいったというような様子で、風子は雪穂の方へとウインクをした。

「あー、まあ……そういうことにしといてあげる」

実のところ、その予想は当たっているし、否定するのも風子に悪いかな、と。あえて雪穂は何も言わないことにした。


「何だ今日の雪穂やけに素直だな~~?いつもだったら、『は?そんなんじゃないし』とか言うとこだったのに~!」

「ごめん、今日ちょっと疲れてんの。昨日色々あって」

似ていないモノマネを披露する風子に、遂に呆れた様子で雪穂はそう答えた。

「ありゃ、そうだったの。それなら早く言ってくれりゃいいのに」

「風子が全力で手振るから、言うどころじゃなかったんだけど……」

「あ、そりゃごめん」

「うん、わかればよろしい」

と言いながらも、雪穂には、風子を不安にさせてしまったことに、少しだけ罪悪感が残ってしまった。

風子の顔を見て安心したかったのに、どこか不安の方が今は勝ってしまっている。


「どうしよ、やっぱ疲れてんのかな……」

そんなぎこちない感情を抱きながら、学校での時間は少しずつ過ぎて行った。


そして、昼休みの時間が来る。

「ひ~~るごは~~~ん!!雪穂も一緒に食べよ!」

やけに大きな弁当箱を机の上にドンと置きながら、風子はごく自然にその机を雪穂の横に動かした。

「あー、そういえば。今日あたし朝ごはん食べてないんだったわ。もうお腹めっちゃ空いてる」

「…さっきお腹鳴ってたよ?気づいてなかったかもしんないけど」

「えっマジ?恥ずっ」

雪穂が改めて意識すると、凄まじいまでの空腹感に襲われ始めたことに気づく。

普段、朝食を抜くことなんてないから、ここまでお腹が空くなんてことはなかった。


「すごい疲れた顔してっし、ちょっとお弁当分けてあげよっか?」

「え?いいの?」

いつもなら断るところだが、そんな気遣いも忘れるくらいに空腹感の方が強かった。

「うちのお母さんいっつも作りすぎちゃうからさ~。ちょっと分けてあげるくらいで丁度いいんだよ。というかわたしのことまだ食べ盛りだと思ってんのがありえねー」

「あはは、風子ってすっごい元気いっぱいに食べるから、それが嬉しいんじゃない?」


「でもそんな食べたらまんまるになるって。嫌でしょ雪穂も」

「いや、あたしは別にそんなに」

「あ~~~調子乗ってるな細いからって!」

「うわっ!?ちょ、いきなりお腹つねんな!痛い痛い痛い痛い!!!」

「さっき調子乗った罰で~す」

「乗ってない!乗ってないから手離せって!!!」


やっとの思いで雪穂が手を離した後、お弁当のおかずの卵焼きを頬張り始める。

程よくだしがきいていて、丁度良い甘みもある卵焼きは、雪穂にとってはひっそりお気に入りのおかずだった。


「雪穂ほんとそれ好きだよね~」

「何でわかったし」

「いや、それ食べてる時だけちょっと顔がふにゃ、ってなってるから。もしかしてそれすごい好きなのかな?って思って」

「カマかけたな~~~そうだよ。卵焼き好きなの。食べてると安心する」

風子にそう言われるのはなんだか恥ずかしいな、と思いながらも、それ自体は本当だし、何だかそこまでは悪い気はしなかった。

「じゃあさ、それ1個くれない?」

「え?タダはダメ」


「そんじゃこの唐揚げと交換でどう?」

「それなら取引成立、いいよ」

「やった~~~~!」

「このくらいで喜んじゃってまあ、この幸せ脳みそめ」

「幸せ脳みそかもしれないけど、いつも怒ったり不満流してるよりはその方がよくない?それにさ、雪穂朝自分で鏡見た?」

「……ん、あー。時間なくってちゃんとチェックしてない」

正確には、気にしている余裕なんてなかったというような話なのだが。

「目の下にクマ、出来てるよ。もしかしてあんま眠れてない?」

「…あ。うん。実は色々あって。でも心配しなくていいよ。もう解決したから」

「…そ?気になることあったら言ってね。わたしたち、友達だかんね?」

「うん」


雪穂は恐る恐るながら、小さくうなずいた。風子とのやり取りの間で、少しだけ嘘をついてしまったからだ。

彼女にとって、風子はいつも正直で、嘘なんて絶対につかない人だ。だからこそ、風子のことはすごく信頼しているし、いざという時は、頼りたいと思っている。

そんな彼女に対して、わざわざ自分の問題を隠したことが、雪穂にとってはちょっとした罪悪感になっていた。

「…(やめよう、私らしくもない)」

そのまま食べていた昼食を食べ終わって片づけると、何か気晴らしでもしようかと、学校の中を適当に歩きでもしようかと教室を出た。


「にしてもまさか、隈出来てたのバレてたとはねぇ……風子のやつ、アホの癖になんか妙なところ鋭いんだよなぁ」

自販機の前に立ちながら、そんな独り言が口をついて出る。

気が緩んでいたのか、あるいは自販機が独り言を聞いてくれるとでも思ったのか。

少し苦笑しながら、ジュースでも飲もうかと財布をとり出した時。

ドンッ、と雪穂の身体に衝撃が伝わる。瞬間、持っていた財布が手から離れ、その場に小銭が大量に散らばった。

「なに……あーもう……!」

落ちた小銭を拾い上げながら、ぶつかってきた人物の方を見ようとする。


そこには、雪穂の顔を恨めしい目で睨みつけていた、クラスの男子生徒の姿があった。

「何だあいつ、感じ悪っ……」

その男子が過ぎ去った後、自販機から出てくるジュースを拾い上げながら、雪穂はひっそりと呟いた。

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