第4話 ミサトおばさん

 時刻は九時を過ぎ、客足も徐々に鈍ってくる。


 というのも、ゴルフ場のスタート時間は、最終が十時半ごろ。

 マナーとして一時間前までに着いていることが一般的であり、その日にプレイ予定のゴルファーたちが居なくなるのだ。



「さて、そろそろかな」


 時計を見ながらそう口にする佳斗であるが、何がそろそろかというと。


「あっ、ミサトおばさん来たよ!」


「おはよう、りっくん。今日も元気ね」


「うん」


「こらこら、陸斗。ちゃんと挨拶をしなさい」


「あ、ごめんなさい。おはようございます、ミサトおばさん」


 そうして父から注意を受け、すぐに言い直した陸斗であるが、彼女みさとはそれに不服そうだ。


「あら、いいのに」


「あんまり陸斗を甘やかさないでくれよ、美里」


「うふふ、そうね。でも、私も男の子が欲しかったから」


 そんな気やすい感じで話す女性は佳斗の妹、夏目美里(三十九歳)である。

 彼女に子供は二人いるが、男の子はいないのだ。


「まあ、こればっかりはな」


「そうね」


 もしかしたら次の子は……。

 そんな思いはあっても、だからといって闇雲に産めばいいってものでもない。

 夏目家は比較的裕福な家庭ではあるが、さすがに三人目ともなると躊躇したのだ。


 そのせいあってか、どうしても陸斗へは甘くなる。

 甥っ子とはいえ、今では本当の子共のように接しているのだから、それも仕方のないことだろう。

 兄が厳しくしているのだから、私は。

 そう考えても不思議ではないのであるが……、これはいつものこと。


 美里の視線はすでに瑠利へ注がれていた。

 昨日のうちに佳斗から連絡を受けて、状況は把握しているのだ。


 彼女はさっそく見定めようと、瑠利に声を掛けた。


「あなたがルリちゃんね。初めまして、私は夏目美里。佳斗兄さんの妹で、りっくんのおばさんになるわね」


「あ、はい、初めまして。朝陽瑠利と申します。今日からお世話になりますので、よろしくお願いします」


 この日、初めて会った二人。


 瑠利は美里が師匠の妹とあって、緊張した様子。


 けれど、美里にしてみれば、瑠利は兄の弟子になりたいと望む娘だ。

 どんな人柄で、どんな思考を持っているのか。甘い兄では気づけないことを、同性である彼女が見定めようとしたのだろうが、丁寧な瑠利の挨拶に笑顔を見せた。


 チョイチョイと兄の袖をつかむと、楽し気に言葉を交わす。


「ねえ、まだ中学生と聞いていたのに、しっかりしてるじゃない。うちの娘たちとは大違いだわ。これなら期待が持てそうね」


「ははは、そうだねっていうのも可哀そうかな。でも、あの子たちも今は大丈夫だろう。それにプロを目指すなら、これくらいはできないとね」


 と、どうやら瑠利の挨拶は、どちらにも及第点な様子。


 かなり甘々な採点ではあるが、美里の娘たち(特に妹の方)が残念なタイプだったことが功を奏したようだ。


 けれど、まさか自分の挨拶一つでそんなことになっているとは思いもしない瑠利は、首を傾げるばかり。


 そのうち駐車場へ車が入ってきたところを目にし、


「お客さんが来ましたので、仕事へ戻ります」


 と、それだけ告げて、受付カウンターへと戻っていった。


 その様子を微笑ましく見つめた美里は、兄に気持ちを尋ねる。


「うふふ。いい子じゃない。兄さんはどうするつもりなの?」


「まあ、それなんだが……、少し迷っていてね。よそ様の子を預かるなんて、僕に出来るのだろうか?」


 そう不安を口にする佳斗であるが、それというのも、昨日の夜のことであった。



☆ ☆ ☆ 



「内弟子……ですか?」


「ああ、彼女がそれを希望しているんだ」


 あまりに突拍子もない話で驚きを口にする佳斗に対し、淡々とした口調でそう告げたのは大内雄介プロ(四十二歳)だ。


 彼はレギュラーツアーで戦うプロで、佳斗にキャディの依頼をした人物でもある。


「ですが、彼女はまだ中学生ですよね。それなのに……」


「親御さんの下を離れるなんてと言いたいのだろうけど、プロを目指すのならそれでは遅いとキミも知っていよう。これまで私が見てきた限り、彼女の意思は本物だよ。だから私は、それを尊重したいと考えているのだがね」


「ですが……」


 そう言われても、困るというもの。


 佳斗はツアープロの資格を持たぬティーチングプロ。

 これまでにプロを育てた経験などあるはずもなく、彼に教わろうという者も少なかった。


「ご両親はどう思われているのですか?」


 佳斗は両親の意志を確かめるため、二人にそう振るが……。


「私は、娘の意志を尊重したいと考えております。正直に申しあげますと、大内プロの伝手があるのですから、わざわざここまで来る必要はないと考えていました。ですが、娘からは『神川佳斗先生に師事したい。プロになるなら、他の人は考えられない』と言われましてね。そのことを大内プロに相談しましたところ、娘の見る目は正しいとおっしゃられまして」


 そう話すのは、瑠利の父親である朝陽琢磨たくまだ。その内容から、決して納得してのものというわけではなさそうであるが、母親は……。


「以前に私も神川先生から指導を受けましたが、丁寧に分かり易く教えてくださいました。ですので、私は娘を任せてもいいと思っています」


 と、こちらは歓迎な様子。


 瑠利の母親である朝陽はるかは、以前に佳斗の行っていたレッスン教室へ参加した経験があり、その時に娘を連れてきていたのだろう。

 娘共々教えを受け、好印象を抱いたようだ。


「そうですか……」


 せめて両親の反対があればと思っていたがそうもいかず、ほとほと困り果てた様子の佳斗。


 何か断る口実はないかと探していたが……。


「なに、心配はいらないよ。ルリくんは私の預かりとするから、キミは指導だけをしてくれればいい。代わりに練習場への支援は約束するし、その方がリクトくんにも良いのだろう?」


 そう言われてしまえば、断ることは難しい。

 

 何よりも亡き妻の大切な忘れ形見である陸斗のためにも、ここを継続させることが一番なのだ。


「わかったよ。考えておく」


「そうか、ありがとう」


 という形で押し切られ、とりあえずは毎週末(金曜の夜から)の三日間を預かることになったのである。


 


――――――――――――――――――――――――――


第四話をお読みいただきまして、ありがとうございます。


補足ですが、神川ゴルフ練習場の受付には50インチのテレビや、お客さんが寛げる椅子などが置かれております。

そのため、まあまあ広い室内とでもいいましょうか。ですので、会話は全て受付のある部屋ですね。


わかりにくくて、すみません。

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