第40話 誘う男

 チャイムが鳴ったと同時に、勝ちを急ぐ生徒たちが屋上へ駆けていく。

 とはいえ、屋上に繋がるドアは一つしか無いし、せいぜい二人が同時に入れるくらいの大きさでしかない。

 たったひとつのドアを前に渋滞が起こる。


「まあまあ、落ち着いて。私は逃げないよ」


 そう笑う仁内は椅子に腰掛けながら、スマホで猫動画を再生し、堪能している。


 ようやくドアが開いて、一人、また一人と生徒たちが屋上に姿を現す。


 仁内の前にカラーボールが浮いているのを見てすぐさま物陰に隠れ、様子をうかがうが……。


 仁内はボールを上空で待機させたまま、動かない。

 視線はスマホ。

 おまけにイヤホンまで耳に突っ込んでいる。


 隙だらけに見える。


「こりゃ、どう見たって罠だろ」


 前友は桜帆のノートパソコンで勝負の行方を見つめている。


「近づいた途端に喰われるパターンだ。間違いない」


 校門近くのスパーク露店二号店はもはやポイントを荒稼ぎする場ではなく、仁内と生徒たちの勝負を観戦するためのパブリックビューイングに変貌していた。


 いつもならさっさと帰るつもりの帰宅部生徒たちもノートパソコンからほとばしる緊張感に引っ張られ、もはや勝負に夢中だ。


 ただひとり、黒魔子だけが集団から離れ、グラウンドの端にある桜の木に登り、誰の目にも触れない場所で琉生に指示を出している。


「罠だとしても、屋上にいる生徒の数が多すぎるぜ」


 琉生の親父まで料理の手を止めて露店にやって来た。


「こんな大勢が一斉に動いたら、誰か一人くらいはあの人形盗めるだろ」


 盗むのではなく「触れる」だけでいいのだが、いまさら誰も突っ込まない。


「あ、動いた!」


 ついに八方から生徒が一斉に飛び出した。

 

 その瞬間を待っていたかのように、浮いていたボールが意思を持ったかのように生徒たちの眼前に移動し、カシャっと音を出してまた別の生徒へと飛んでいく。


 凄まじい速さだった。

 目視できる速さを超えたので、見ている人達には緑の線がジグザグ動いただけにしか見えなかっただろう。


 気がつけば、仁内に飛びかかった生徒たちのワッペンは黄色から黒に変色していた。


「あーっ! くそっ!」


 仁内の目の前で膝を突き、悔しがる生徒たち。


「はっはっは、惜しい惜しい」


 そんな生徒を満足そうに眺める仁内校長。

 

 この一瞬の勝負を見つめた客たちは、ゴールまであとわずかだった生徒と、彼らを楽々敗北させた仁内の不思議な力に大いに盛り上がった。


「惜しかったなあ」

「バカ、そういう演出をしただけで、最初から校長の思惑通りだよ」

「ってか、校長のあの力なに……?」

「ファンネルじゃん、ニュータイプじゃん」


 これはなかなか面白い出し物だと気付いた生徒や一般客がさらに体育館に集まってくる。


 場が盛り上がっていることと来客が増えていることに仁内は大いに気を良くした。


「今度はこっちから行こうかな」


 ついにカラーボールのすべてがドローンのように飛行を始める。


 速さもさることながら、急上昇、急降下、急旋回、思うがまま。

 カメラが装着されているから、カラーボールからの主観映像も見ることができて、なかなかの迫力を見せる。

 

 仁内は屋上にいながら、まるで見えない糸で繋がっているかのように、13のボールを自在に操る。

 逃げる生徒はもちろん、ひとまず身を隠して事態を見守ろうとする生徒まで容赦なく見つけ出し、屋上へ近づこうとする生徒の見落としもない。


「凄い……」


 ボールの美しい挙動と仁内の力に圧倒される来客たち。


「やっぱり、中東の奇跡は作り話じゃなかったんだ……」


 そう呟いたのは桜帆である。


 かつて仁内が起こした中東の奇跡。


 独裁者に支配された国が難癖を付けて隣国に侵攻を開始したとき、仁内はそれを防ぐために少ない手勢で国境地帯に向かった。

 シルヴィを始めたばかりの頃だ。


 圧倒的不利な状況の中、仁内は三ヶ月以上独裁国の攻撃を耐え凌ぎ、一人の犠牲者を出すことなく、敵を撤退させた。


 この敗北で独裁者の威信が大きく失われたことで政権は崩壊し、かつての独裁国は現在、着実に民主主義国家への道を歩んでいる。

 そのきっかけを作ったのが仁内大介であることに疑いの余地はない。


 あの国境の戦いで仁内がどんな指揮を取ったのか詳しいことは不明だが、仁内は敵がどれくらいいて、どこにいるのかすべて把握していたというのだから、それを奇跡と言わずしてなんといおう。


「そんな人と戦って、勝てるわけないと思うけど……」


 琉生の母が一番言っちゃいけないことを呟き、周囲は静まりかえる。

 さらに追い打ちまでする。


「あの人、仕事も遊びも絶対手を抜かない人に見えるから、相手が高校生だろうと、絶対勝ちに行くと思うし……」


 琉生母の指摘は正しかった。


 仁内大介は決して手を抜かない。


「よし、だいぶ減らしたな」


 スマホに映るのは校舎付近のマップである。

 この戦いに参加した生徒の位置情報はすべてこのマップを見ればわかる。


「さてさて、生き残ってる精鋭たちは誰かな~?」


 一人一人の名前を見て満足そうに頷く仁内。

 

 本郷琉生の名前もそこに入っているのを見て笑顔になるが、


「む、あの子はどうした……?」


 一文字真子の名前がどこにもない。


 結局の所、最終的には彼女との一騎打ちになると思っていたし、仁内はそうなることを大いに望んでもいた。

 戦いの過程で、一文字真子の秘密を表沙汰にしてやろうとすら考えていたのである。

 彼女が超人であると世間が知れば、彼女は身の振り方を否が応でも考える必要に迫られるし、彼女のためなら何でもしようと決意する健気な本郷琉生も彼女のためにシルヴィと接触を深めるに違いない。


 仁内大介はそこまで考えていたのであるが……。


「なんでいないんだよ。一兆ポイントだぞ?」

 

 ここに来て初めて、仁内は困ったように頭をかいた。

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