第39話 ゴールデンホライゾンステーキ


 宿の出口前のスペースにある受付にダンクさんとランプさんが立っていた。俺は二人の前に立って頭を下げた。


「ダンクさん。ランプさん。ご無事で何よりです。ここにいると迷惑をかけるので俺は今からここを立ちます。前払いの宿泊料金は迷惑料として受け取ってください。それではお元気で」


「ふんっ! ちょっとこい。そこの嬢ちゃんたちもな」


 ダンクさんが俺の頭を掴んで引っ張る。進む方向は厨房だ。


「あたっ! あたたたっ! ちょっ、ダンクさん力が強いです! 自分で歩きますって!」


 俺はダンクさんの手を振りほどき、素直に厨房へと向かった。別にそこまで時間が切迫している訳ではない。1.2時間程度の寄り道は大局に影響しない。


 ダンクさんは僅かに振り返り、ニッ、と横顔に笑顔を浮かべた。


「俺のスペシャルメニュー食ってけよ。お代はもちろんタダだ」


「是非頂きます」


 俺は刹那で肯定した。拒否するという選択肢は脳裏にさえ欠片もよぎらなかった。




 俺とホリィとフィルレインは食堂の卓につきダンクさんの料理が出来上がるのを待っていた。


 フィルレインが小首を傾げて問う。


「マルスたま。ここの料理って美味しいの?」


「あぁ。死ぬ程美味いぞ」


「ふふ。フィルレインまともな料理食べたことないから楽しみなの」


「っ!」


 思わず涙が零れそうになる。


「ああ。楽しみにしとけ」


「なんだか複雑な境遇の子みたいね」


 ナイフとフォークとスプーンを置きに来た給仕にきたランプさんが憐憫を込めて呟いた。


 ホリィがその呟きに返す。


「はい。その、公の場にはいえないような境遇で酷い扱いを受けてきたみたいです」


「そうなの……でも、マルスちゃんにはよく懐いてるみたいね」


「嫉妬しちゃうくらいべったりですよ。マルスもデレデレしちゃって……」


「……」


 自覚はあるのでノーコメント。


「ふふふ、微笑ましいわね。マルスちゃん。その子を大事にしてあげなきゃ駄目よ。もうマルスちゃんはその子の親なんだから」


「親、ですか」


「そ。自覚持ってね。お父さん♡」


「っ!」


 胸にキュンときた。


「ダンクの手伝いをしないといけないしそろそろ厨房に戻るわ。ごゆっくり」


 3人分の水を注ぎ足し終えたランプさんは厨房へと戻っていった。


「お父さん、か」


「ふふ。パ〜パ、なの」


「!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 脊髄を雷が貫いた。パパ、パパ。パパ……。フィルレインが俺のことを、パパ……。なんて素晴らしい響きなんだろう。


 ホリィが何故か焦った様子で俺に尋ねてくる。


「わ、私はマルスの恋人ですよ。ね? ね?」


「うん。ホリィは俺の恋人だよ」


「で、ですよね。一番大事な人ですよね」


「……」


「マルス!?」


「二人とも、俺にとっては一番大事な人だ」


「えへへー、なの」


「……まぁ、マルスが愛してくれるなら、それでいいです」


 ホリィが頬を赤らめながらそう言った。可愛い。愛おしい。素直にそう思った。フィルレインも、可愛いし愛おしい。そこに順列などない。




 ――本当に?




 俺は胸の内から湧きあがってきた疑念に気づかない振りをした。






 旨味が凝縮された湯気が鼻腔を幸福感で満たす。香ばしく焼き上がった赤みを残したステーキが美味そうにその身から肉汁を滾らせる。食べる前から分かる。このステーキは今まで食ってきたステーキの中で一番美味い。いつの間にか生唾が喉を鳴らしていた。

 食卓の両サイド、隣に座るホリィもフィルレインを横目で見る。ホリィは俺と同じく生唾を飲み込み喉を鳴らしていた。その瞳はステーキに釘付けだ。

 フィルレインも瞳を星にしてステーキに魅入っている。口の端には涎。体がふるふると揺れている。今すぐにでも齧り付きたいのを必死に我慢しているのだろう。すごく微笑ましい光景だった。


 食卓の傍らでダンクさんが自慢げに笑って語り出す。


「これが俺の生涯最高傑作ゴールデンホライゾンステーキだ。名はとにかく大量の金を使ったことに由来する。お前が店に湯水の如く落としてくれた金で競り落とした俺の理想とする食材のみで調理したマスターピースだ。もうこんなもの2度と作れん。それだけの金をこの3皿には注ぎ込んだ。遠慮なく、だがよく味わって食べな。俺からお前への礼だ」


「俺、ダンクさんにそこまで感謝されるようなことしたかな」


「アンヌを助けてくれたじゃないか。……アンヌがお前を慕うのに嫉妬して素直になれなかったがずっと俺はお前に感謝していた。本当にありがとう」


 ダンクさんがそう言って頭を下げた。毛根一つない禿頭が天井の照明を受けてピカッと光る。俺はストレートに感謝をぶつけるダンクさんの心と頭の眩しさに目が眩む思いで一杯だった。


「……暴漢に襲われてる人間を見たら助けるのは当たり前だろ。礼を言われるようなことじゃねぇよ」


「あ、マルス照れてますね。あはは。頬が赤いですよ」


「……ダンクさんから礼を言われるなんて初対面以来だからな」


「すまんな。プライドが邪魔をした――まぁ、前置きはもういいだろう。冷めない内に俺の渾身のステーキを楽しんでくれ。もう待ちきれないだろ」


「いただきますなの!」


 許可を出されるやいなやフィルレインが予め切り分けられたステーキをフォークで刺してそのまま齧りつく。もぐもぐと夢中で頬張り、ゴクンと飲み込む。目をキラキラさせてフィルレインは大声をあげた。


「おいしいの! 今まで食べたどんな料理よりもおいしいの! 不思議なの。どうしてこんなにおいしいのか全然分からないの……」


 これほど美味い料理がこの世にあるなんて思いもしなかったのだろう。フィルレインの今までの食生活が何となく察せられる。


「最高級の食材を最高級のシェフが調理したからさ。俺が作ってもこうはいかない。どれ俺も一口」


「わ、私も」


 フィルレインに遅れて俺とホリィもゴールデンホライゾンステーキを食べる。


「っ!? なんだこの味。経験したことがない。だけど今まで食ったどんな肉よりも美味い!」


「ふ、ふごいです! とにかく凄くおいしい! はふっ、はふっ!」


「お口の中が幸せなの。こんなの初めてなの!」


 俺たちは夢中になってゴールデンホライゾンステーキを貪った。完食まで1分とかからなかった。気付けばなくなっていた。だが、名残惜しさは全然ない。ただただ満足感だけが残り美味いものを食べたあとに必ず陥る食べたりなさを全く感じなかった。


「……ダンクさん。辿り着いたな。ステーキの極みに」


「ふん。まだまだよ。けどまぁ一つのゴールにはなるのかな」


「本当に美味しかったです! 今まで食べたどのステーキよりも確実に!」


「信じられないぐらい美味しかったの! お前を褒めてやるの」


「はは、ありがとよ。可愛い嬢ちゃんたち。……だが、はは。これを超えるステーキを今生の内に作るのは俺の年じゃもう無理そうだ。だからこのステーキのレシピをマルス。お前に、くれてやる」


 そう言ってダンクさんはポケットのうちから一枚のメモ帳を俺に手渡した。中をめくると、材料から作り方からそのコツまでこのステーキの全てがぎっしりと記されていた。


「!? こんな、凄いものを!? 独占する気はないのか!?」


「あぁ。俺はな。俺の料理をたくさんの人に食べてもらうのが生き甲斐なんだ。お前の旅路のついでにこのレシピを広めてくれ。簡単には作れない料理だがきっと食べた人を幸せにしてくれる。それだけの自信がこの料理にはある」


「……分かった。俺が必ずこのレシピを広める。究極の料理のレシピとしてな」


「頼んだぜ。……本当に今までありがとう。振り返ればお前には助けられてばっかだったな。またいつでもこの宿にきてくれよ。このステーキ程じゃないがとびきりのステーキをいつでも振る舞ってやるぜ」


「ああ、また必ずくる!」


 俺とダンクさんは握手をかわす。互いの熱が掌のうちで煮えたぎる、そんな握手だった。





 俺たちは宿を出る。ダンクさんとランプさんに見送られながら。


(結局、アンヌは姿を見せてくれなかったな。はは、嫌われちゃったか。醜態、見られちゃったからな)


 胸の内で自嘲する。憂いを帯びた影のある表情で振り返ることなく宿を背にザッ、ザッと歩いていると、ふと後ろから駆ける音が。


「お兄ちゃん!」


「うおっ!」


 振り返った俺の胸にアンヌが飛び込む。2つの尋常じゃなく巨大なおっぱいが俺の胸に押し付けられた。俺は胸に伝わる官能的な感触を努めて無視してアンヌに声をかける。


「アンヌ! 見送りに来てくれたのか! 嬉しいぞ!」


「うん! うん! でもね! あのね! 見送りだけじゃないの! んっ!」


「っ!?」


 アンヌが俺の唇にキスをする。弾力と、柔らかさと、甘さとが、一辺に唇に訪れそれは快楽へと転化した。


 ――1秒にも満たぬ、だが一刻にも等しき濃密なキス。唇を離したアンヌは顔を真っ赤にして「えへへ」と少しだけいたずらっぽく笑った。


「――とうとう、しちゃった。これがアンヌからの別れのプレゼント。そして――アンヌの気持ちだよ。お兄ちゃん」


「ア、アンヌ。お前、まさか俺のことを――」


「うん――大好き。私はお兄ちゃんに恋をしてる」


 アンヌは少しも濁すことなく自分の気持ちを言い切った。顔は真っ赤で、体もよく見ると震えてて、どれだけの勇気を持って告白したというのだろう。俺には分からない。だけど、分かることもある。それは――。


「お兄ちゃん。帰ってきたら私と結婚してくれますか?」


「ああ、いいぞ。結婚しよう、アンヌ」


 ――この気持ちに応えなきゃ男じゃないってことだ。


 アンヌがまるで虚をつかれた、という風な表情でキョトンと固まる。そして、言葉の意味を遅れて理解したのか、ただでさえ赤い顔が更に原色のように真っ赤になり、頭に血が登り過ぎてふらついたのかそのまま倒れそうになる。俺はその体を抱きかかえて支え、そしてそのままアンヌの唇にキスをした。


「――――ん」


「――アンヌ、愛してるよ。戻ってきたら式をあげよう。約束だ」


「……これ、夢じゃないよね。現実、だよね」


「現実だよ。だから、こんなに暖かいんだ」


 アンヌの体を強く強く抱きしめる。俺のことを永遠に忘れられなくなるように。アンヌの瞳から一筋の涙が零れる。そして無言のまま、アンヌもまた俺の体を宝物のようにギュッと抱きしめるのだった――。






「……あの、マルス」


「言うな、ホリィ」


「節操なさすぎじゃありませんか?」


「……俺はみんなを幸せにしたいだけだ」


「マルスたまはフィルレインのものなの! フィルレインと結婚するの……」


「あ、あぁ。大きくなっても気が変わらなかったら結婚しような」


「うん! なの」


「あの、マルス」


「言うな、ホリィ」


「……はい」


 ……俺たちはグリモワール王国の外の荒野にテントを貼って野営をしていた。魔物払いの結界を貼ってあるし聖剣の邪悪センサーも発動してあるので安心安全の寝床。布団を3つ、川の字に引いて俺は真ん中。ホリィとフィルレインに挟まれて抱きつかれながら寝ている。


 はっきり言って幸せだ。


「アヴァロン公国についたら数日間だけ何もせずだらだらと適当な宿屋で休もう。なんか色々と疲れちまったよ」


「激動の1週間でしたね。正直私も休みたい気持ちで一杯です」


「フィルレインはマルスたまと一緒にいられたらなんでもいいの」


「俺もフィルレインと一緒にいる時間が大好きだよ。そうだな、向こうについたら勉強をしようか。簡単な一般常識を教えてやろう。常識は大事だぞ」


「えへへー。マルスたまとお勉強するの楽しみなのー」


「ホリィも一緒だけどな」


「え……なの」


「わ、私と一緒はいやですか?」


「うーーん……ホリィのことも好きだからまぁ許すの」


「きゅん……か、可愛いですぅ……」


「ホリィも可愛いぜ。負けず劣らすな」


「うん……ありがと。マルス」


「えへへー。なんだか幸せなのー」


 幸せなのー。


 フィルレインのその台詞は今の俺達の心情を代弁していた。


 確かに今俺たちは幸せだ。ホリィがいる。フィルレインがいる。二人が俺を慕ってくれる。


 それだけで俺は満足だ。


 今、俺は満たされている。


 実質的にグリモワール王国を再び追放されてしまった俺だが、二人のお陰で寂しさは全くない。どころか今までの人生でトップクラスに満たされている。つまり、幸せだ、


(――願わくばこの幸せがいつまでも続きますように)


 神の善性を俺は信じない。だが、今の気持ちを正確に表すならば、まさに神様に祈りたい気分だった。幸せな時間をずっと続けさせて欲しいと。リュートではなく、どこかにいるかもしれない本当の神に。


 ――神への祈りは裏切られると知っていたにも関わらず。


 性懲りもなく。


 俺は祈った。

 

 神。


 その無情さを知りながらも。




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