第38話 さよなら


 呆然とうなだれる俺のもとにフィルレインが駆け寄り、突進するように抱きついてきた。ギュッと、俺を抱きしめる手に力を込めながら、震える声で言う。


「フィルレインの大好きなマルスたまはこんなことしないの。マルスたまにこんなことして欲しくないの……」


「フィル、レイン……」


 俺は、フィルレインのその言葉にハッとし、ようやく自分の異常性に気づいた。

 神――リュートに正義の執行に異常な興奮を覚えるように魂を書き換えられた俺は、いつしかその異常性にさえ気づかなくなっていた。

 最初は人目をはばかる程度の理性は残っていたが、いつしか人目も選ばなくなり、ついには大切な人の目の前で、俺は俺の残虐な本性を……あぁ。


 俺は、やってしまった。


 俺は膝から崩れ落ちた。目の前が真っ暗になる。俺はいつの間にかかつて憎んでいた快楽のために人をいたぷる邪悪な人間そのものになっていた。俺はこんなにも醜い人間だったのか。もう生きる意味がない価値がない死ぬしかない。俺は死ぬべき罪悪人。ゴミだ! 屑だ! 悪だ!


 瞳から涙がこぼれ落ちる。こんなにも心にショックを受けたのはアリアを犯しかけたとき以来だ。俺は自分か正しいと思っていた。だからこそ挫けずに生きてこれた。

 けれど――俺は正しくない。

 もう、生きる意味がない――。


 うなだれる俺をフィルレインがぎゅっと抱きしめて


「マルスたまは悪くないの。マルスたまは悪くないの……」


「いや……俺が間違っているんだ。俺は、なんてことを……」


「違うの! 違うのぉ!」


 フィルレインがその大きな胸に俺の顔を埋めて抱きしめる。ああ、死ぬ程柔らかくて、甘い匂いがして、なぜか母性が溢れてて、心が落ち着く……。


 俺の背を撫でながらフィルレインが俺をあやしてくれた。


「マルスたまはフィルレインが守ってあげるの。だからもうなにも、恐れなくていいの。安心するの」


 ――俺は、フィルレインの胸の中でみっともなく泣いた。

 フィルレインに包まれているとなぜか噎びかえるほどの途方もない安心感が湧いてくる。


 ――まるで母親に抱かれているようだった。母の温もりなど知らないが、なぜだか俺は漠然とそう感じた。





「落ち着いたの?」


「ああ……もう大丈夫だ」


「良かったの」


 そう言ってニコリと微笑むフィルレイン。まるで聖母、いや女神のような神々しさ。神は憎いが、もしもフィルレインが神だとするなら拝んでもいい。心からそう思えるほどフィルレインの笑顔は清らかで尊かった。


 鉄の理性でフィルレインの胸から顔を引き離す。むにゅんと服越しなのに張り付くような感触がその際俺の顔を襲った。


 俺はいつものように不敵な笑みを浮かべてフィルレインの頭を撫でた。


「ありがとう。フィルレインはとても優しくていい子だな。フィルレインみたいな子が神様なら世界はきっともっと優しい世界になっていたんだろうな」


「そ、それは……努力するの」


「ははは、フィルレインは頑張り屋さんだな」


「う、うんなの――頑張るの」


「さて――セイントヒール」


 俺は気絶しているレイナードにセイントヒールをかけた。失った腕が一瞬で生え血液が補填される。だが、気絶したままだ。俺はレイナードの頬を聖剣の腹で打ち無理やり起こさせた。


「うぅ。私は一体」


「レイナード。お前にはまだ聞きたいこと」


「う――わぁあああああああああああああああああああああああああああ! マルス! ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


「落ち着け! キチガイみたいだぞ!」


「や、やめて。許してください。もうなにも、しません。だから拷問だけは勘弁してください……」


「――っ!」


 地獄を味わわされ必死に許しを乞うレイナードの姿がリュートに許しを乞うた過去の俺の姿とダブる。


 ズキリと胸が痛む。


「安心しろ。もうこれ以上拷問はしない。話を聞くだけだ」


「は、はひ。お願いします」


 俺は一応レイナードが自棄を起こさないか警戒しながら問いかける。


「この襲撃の下手人は誰だ? アリアか?」


「はい。そうです」


「ホリィ。記憶の裏付けを頼めるか」


「はい。任せてください」


 ホリィがレイナードに近寄ると頭に手を触れる。


「レイナード。全ての記憶を差し出せ。拒否権はないぞ」


「は、はい。勿論ですマルスさん」


「では――ダウジングメモリー」


 ホリィがエクストラスキルを発動する。レイナードの頭に触れたホリィの手がまばゆい光を放った。


「――分かりました。下手人はアリアで間違い無いです。なんて残酷な……笑顔」


 レイナードの記憶を読み取ったホリィが血の気の引いた顔で言った。


「……推測が間違いであって欲しかった」


「ああ、アリア。あなたはなんてことを……」


「……次の質問だ」


「いえ、マルス。レイナードさんの記憶は全て読み取ったのでこれ以上の質問は不要ですよ。あとは私が答えます」


「……レイナード、お前そんなに俺が怖いか」


「ひゃ、ひゃひ。怖いです」


「ならさっさと帰れ。命までは取らん。気が変わった」


「へ? ほ、ほんとうでふか!?」


「アリアに伝えな。こんなことをするお前には付き合えない。約束はなしだってな」


「は、はい! 必ず伝えます! やったーーーー! 生きて帰れるぞーーーーー!」


 レイナードは立ち上がりまるで地獄から脱出するかのような勢いでこの場を走り去った。


「……ちょっとむしゃくしゃするな。やっぱ殺しとけば良かったかな」


「マルス。もう少し殺しに忌避感持ったほうが良いと思います。そりゃ殺した方がいい人間もこの世にはたくさんいますが」


「……そうだな。それに、無駄にいたぶりすぎた。あれはよくなかった」


「ドン引きしました」


「……すまん」


「もう……許しますよ。マルスに地獄までついていくって約束じゃないですか」


「うん、ありがとう。しかし、荒れたな……」


 部屋を見渡す。至るところが踏み荒らされたり剣傷がつけられてとてもじゃないが客に提供できる状態じゃない。


 この宿を出ていく前に元の状態に戻しておかないと。


「聖剣魔法リフォーム」


 宿を対象に物質の時を巻き戻し復元する魔法リフォームを発動する。一瞬でレイナードたちに踏み入られる前の状態に宿は戻った。


 俺はベッドの上にペタンと座り込み呆然としているアンヌに笑いかけながら別れを切り出した。


「アンヌ。俺は今すぐこの宿を出ていくよ。怖い思いをさせてごめんな。でも、もう大丈夫だから安心してくれ」


「えっ!」


 次にフィルレインの意思を問う。


「フィルレイン。俺についてくる気はあるか。もし嫌なら信頼できる孤児院に預けていってもいいぞ」


 フィルレインは俺にピト、とくっつきながら断言する。


「フィルレインはずっとマルスたまと一緒なの。離れちゃやなの」


「なら、俺が永遠に守ってやるよ。安心してついてこい」


「うんなの!」


 俺は立ち上がり部屋の出口に向かって歩く。


「行くぞ。ホリィ、フィルレイン」


 二人が俺のあとをついてくる。俺は部屋を振り返って、泣きそうな表情を浮かべているアンヌに告げた。


「さよなら、アンヌ」


 アンヌは顔を伏せた。俺はもう振り返らなかった。




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