第7話 ホリィ・マグダフ


 地下通路には時々人がいた。

 血塗れの俺を見て最初は警戒するが、「お前らのボスは殺した。鬼陰会は解散だ。俺はマルスだ」と言うとみんな牙を納めて、道を譲ってくれた。無抵抗の相手をいたぶる主義はないので少しは抵抗しろよと思ったが揃いも揃って無抵抗。どうやらボスを失った事実が余程心に堪えたらしい。意外とカリスマあったんだなあの魔族。まぁ外面は美女だしな。今は椅子だけど。


「道に迷った。伝える情報が不足しすぎて鬼陰会の奴らに聞いても俺がどこから来たか分からないようだし、困った。帰り道のことすっかり忘れてたぜ。まぁいいか。次、外に通じる階段があったらそこから出よう。お、」


 俺は早速階段を見つけたので登った。

 娑婆の空気が恋しいぜ。



 階段を登るとそこは密室、というには余りに狭すぎる場所だった。

 その空間は鉄で覆われていた。上に長く伸びているが横幅は絶望的に狭く、両手を広げることも出来ない。そして妙に壁面の凹凸が激しい。歪な形の長方形の鉄籠のようだ。


「切るか」


 俺は聖剣を振るい壁面の一部に長方形の穴を開けた。


 穴を潜り抜けて光差す外の世界に一歩を踏み出すと、いきなり見知った顔と至近距離で対面した。


「何でお前がここにいるんだ。ホリィ」


「……私の台詞ですよそれは」


「ここは――教会か」


 後ろを振り替えると、そこには内側から切り開けられた創造神ソフィア(笑)の聖像。ソフィア教の聖職者が偶像崇拝するガラクタがいいざまだ。俺はソフィアが嫌いだ。大嫌いだ。この世から奴を消し去るのが俺の夢だ。叶わないタイプの夢だけどな……。


 俺はホリイへと向き直る。意外にもその表情に怒りの感情は見受けられない。厳格な聖職者のホリィのことだからサフィア聖像を壊されて怒って「悪魔!」とか罵ってくるかと思ったのだが、瞳を閉じ顎に手を当てて何か考え混んでいる様子。俺は何となくそんなホリィを眺める。相変わらず美少女だ。


 ホリィは清廉な格好の割に親しみやすい雰囲気を帯びている。


 元々の人柄の良さと貧乏な家で育った過去から滲み出る妙な庶民臭さが親しみやすさに繋がっているのだ。協会ランクで上から二番目の位階を授かる聖職者が、清貧のためにサフィア川で洗濯に勤しんだり食品店で安価な食材を仕入れて自炊する姿というのは極めてレアだ。というかホリィ以外にそんな高位聖職者を俺は知らない。


 ウェールから垂らす肩より少し伸ばした亜麻色の地味な髪、整ってはいるが絶世というほど美人ではない顔、スタイルはいいが凹凸の少ない体。個々の主張は乏しいが、それらが組み合わさると不思議と静謐な神聖さが産まれる。そして、美しく見える。ホリィが手を捧げて黙祷する姿など、俺でさえ拝みたくなる程綺麗で清廉だ。でも、瞳はもっと綺麗だ。純粋かつ清廉で、真っ直ぐで優しげで、でも力強い。俺はホリィの綺麗な瞳が大好きだった。


 ちなみにホリィが祈りを捧げるときはいつも一人だ。黙祷中のホリィに邪念を抱くものが後を男女問わず後を絶たなかったためそういうルールが出来たらしい。昔、悲しげに俺に話してくれた。


 アリアの下位互換と言われることも多いホリィだが別にそんなことはない。アリアとホリィは全然違う。ホリィはホリィでアリアにはない独立した長所を持っている。おそらく信仰深さではアリア以上だし、努力だっていわゆるチートスキルを持つアリア以上に重ねてきたはずだ。大体そんな言い方、本人に失礼だろ。


 そんな益体のないことを考えていると、自分の中でなにかしらの結論を出したらしいホリィが目をパチクリと開けてこちらを見てきた。相変わらず綺麗な瞳だった。一瞬、見惚れた。


「マルスの改心をサフィラ像に祈っていたら中からマルスが現れたので、これはどういった意味があるのかと考えてみたのですが……やはり、マルスを改心させるのは私しかいないという意味なのではないかと」


「ただの偶然だろ」


「……そう、ですかね」


 ホリィの眉毛が犬の耳のようにしょんぼりと垂れ下がる。なぜ残念がる。


「それより、その、俺はサフィラ像をそうはと知らなかったとはいえぶっ壊してしまったんだが、それについての弾劾はいいのか?」


「え? ……あ!」


 目をぱちくりさせてきょとん、と間の抜けた表情をして見せたあと、ホリィはまるで今初めてサフィラ像の破壊に気づいたかのように口元に手を当てて驚いた。というか、気づいていたけど眼中になかったことに指摘されて初めて気付いてそのこと自体に驚いた、みたいなリアクションだ。破壊に対するリアクションにしては驚きが怒気も薄い。おかしいな。ホリィは敬虔なサフィラ教の信徒の筈なのだが。しばれらく合わない内に信仰が薄れたのだろうか?


「めっ! ですよマルス! 聖像を壊したらめっ!」


 祈っている間ずっと傍らに置いていた杖を拾ってホリィは俺の頭をガツンと殴った。俺の体はとても頑丈なので素手で殴るとホリィの手の方が痛むからだ。無論杖で殴られたところで痛くはない。だからこれはただのポーズの問題だ。聖職者として怒っているという怒りの意を示すポーズ。だけど何故だろう。俺にはどうしてもその怒りが嘘っぽく見えた。


「あの、ところで何故聖像の中から出てきたのですか? サフィラ神に胎内回帰したかったのですか?」


 ああ、その説明がまだだったな。


「この聖像の奥の階段は鬼陰会の地下アジトに繋がっている。そして鬼陰会のボスは魔王軍の幹部だった。もう殺したがな。人の街に紛れこんで悪事を働いていたらしい」


「え?」


「偉いやつを出せ。締めあげれば有益な情報を吐くはずだ。今、どこにいる」


「なんなんですか今の破壊音は! なにがあったのですホリィさん」


「聖司祭様――あ」


 聖像が置かれた聖堂の扉を開け放つ1つの男の声。聖司祭。ホリィがその言葉を口にした瞬間、俺は音を置き去りにして瞬間移動かと見間違う速度で男の前に躍り出た。そして、軽くボディブロー。


「ふんっ!」


「ぎゃふん!」


「マルス!?」


 サフィラ協会において上から3番目に偉いホリィが様をつけて呼ぶ人間。そしてこいつは教皇とは違う顔。つまり教皇直々の最高幹部のザ・テンペストの1人というわけだ。きっと汚職に関わっているに違いない。取り敢えず腹を殴って気絶させといた。あとは懺悔室にGOだな。ふふ、この聖剣の邪悪センサーだって――全然反応していない。鬼陰会と繋がってるゴミなら多少なりとも悪意を持っているはず。なのにこの人間はまるで真に清廉潔白な聖職者であるかのように心に悪意がない。そんなことはありえない。よほど高位の擬態能力の持ち主だろう。その本性曝け出してやるぜこの俺がな。殺してくださいと頼ませてやるよ。


「なにをやってるんですかこの馬鹿っ!」


 ボコリ。


「あだっ」


「大丈夫ですかイーヒット司祭!」


 俺の横顔を杖で殴り、ホリィはイーヒットとか言う名前の司祭に駆け寄る。ちなみに男だ。顔つきからするに年は30代前半くらいだろう。中々のイケメンだ。俺ほどじゃないがな。

 ホリィはイーヒットの脈と心音を確認してホッと息をつく。それからズカズカと俺に歩み寄りグイッと顔を近づけて額に指を突き立てた。


「あなたは何を考えてるんですか!?」


「協会の重役ってことは黒ってことだろ。懺悔室に連れて行って拷問だ。殺してくださいって頼み出すまで痛ぶってやる。あとついでに情報も吐かせる」


「この……大馬鹿っ!」


「いだっ!?」


 かなり本気の一撃を側頭部に喰らう。この痛み、魔力を込めて殴ったな。俺はホリィをキッと睨みつける。


「正義執行の邪魔をするな」


「なにが正義ですか! そんなもの今のあなたの中にはこれっぽっちも見当たりません!」


「なんだと!」


「むしろ……邪悪です!」


「っ! 邪、悪……」


 そうか……俺はまた暴走してたのか。


 ホリィに指摘されるまで全く気づかなかった。


「悪いなホリィ……少し、冷静じゃなかったみたいだ。もう、大丈夫だ。本当にもう、大丈夫だ……」


「どうしちゃったんですかマルス。正義感を暴走させることは昔からよくありましたが、今ほど酷くはありませんでした。……思えば、聖剣を手にした当たりから少しづつ、マルスは変わっていきました。その聖剣に、なにか秘密があるのではないですか?」


「っ! んなもんねぇよ! 余計な詮索をするんじゃねぇ!」


「あっ!」


「あ……」


 反射的に、ホリィを突き飛ばしていた。違う、違うんだ。俺はただお前のことを思って、お前を巻き込まないようにするために――。


「――ひっく」


「っ!? ち、違う。俺は、その、あの、あ、あぁ……」


「――事情があるのは、分かってます。でも、私にくらい話してくれてもいいじゃないですか。……マルスにとって私なんて、その程度の存在だったんですよね。マルスはアリアのことが強姦するくらい好きですもんね……」


「ッ! 違う!」


「ひっ」


 自分でも驚くほど殺気立った声が出た。なぜだろう。ホリィにそう思われることだけは、どうしても、耐え難い。いつも、そうだ。俺はお前にだけは、そんな風に思われたくはなかった。全てを正直に打ち明けてしまえたら。何度そう思ったことか。でもそれができない。そういう誓約が俺にはかけられている。一方的で理不尽で無価値な誓約が。

 神の手によって。


「俺はお前にだけはそんな風に思われたくないんだ……ッ!」


「へっ?」


「頼む……俺を信じてくれ……! お前には、お前にだけは、信じて欲しいんだ……!」


 ……まぁ、俺なんかを信じてくれるわけがないんだが。


「……信じますよ」


「え」


「ふふ、私にだけはそんな風に思われたくないんですよね? 私にだけは信じて欲しいんですよね?」


「あぁ! お前にだけは、だ」


「ふ、ふふ。ふふふ……。マルスのこと、何でも信じてあげますよ。私だけは。私、だけは!」


「あ、あぁ……ありがとう。お前は、お前はやっぱり俺の一番大切な……」


「え……た、大切な?」


「一番大切な初めて出来た仲間だ!」


「……そう、ですか」


 ホリィの眼の輝きがスン……と消灯し失せた。


 俺は、言葉選びを間違えてしまったらしい。流石に、一番大切な仲間だって告白は今の冷え切った関係では重過ぎたか……。いや、そもそも、ホリィにとっては最初からただの一過性の仲間くらいの認識であった可能性も――俺はそれ以上考えるのをやめた。どう考えても心に優しくない結論しか出てこなさそうだったからだ。


「……取り敢えずイーヒット司祭を起こしましょうか」


 気まずい雰囲気を打ち破るようにホリィがポツリと呟く。おお、すっかり存在を忘れていた。






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