第17話 放牧地に来る生き物たち

 公共育成牧場などの大規模な牧野|ルビを入力…《ぼくや》は、山の中にあることが多いので、野生動物と遭遇することも多い。シカのような草食動物は、牛に直接危害を加えることはないが、牧野開発が始まった頃は、まだ野犬がうろついていたので、少なからず被害があった。特に羊は、昔、農牧試験場が種羊場だった頃、羊がよく野犬に襲われており、ある牧場の牧野開発でも、蹄耕法ていこうほうのために放牧した羊が、野犬に襲われる被害を受けていた。

 牛の場合、明治の開拓が始まった頃は、ヒグマやオオカミに襲われることがあったと聞くが、野犬に成牛が襲われることはほとんど無かった。しかし、分娩時に、キツネやカラスなどが、子牛や後産で娩出される胎盤を狙ってやって来ることがあった。


寺山たちの研究室では、分娩が近い牛がいると、毎朝交代で、放牧牛の確認を行っていた。この日、寺山が富岡砦近くの放牧地にやって来ると、1頭が、牛群から離れてササ藪の中で、立ったり座ったりを繰り返していた。彼はこれを見て、分娩が近いと感じた。子牛が生まれると、すぐに体重を測ることになっているので、彼は、助っ人を求めて、急いで山を下り、研究室の作業小屋に向かった。


 寺山が、研究室の仲間たちとともに、ジープに乗って放牧地に戻って来ると、アンガスの群れに向かって、ヒョコヒョコと近づいていく1匹のキツネがいた。彼は、キツネが、群れから離れた所にいる牛に近づいていくのが気になり、車を止めて、心配しながらキツネの様子を見ていた。


 子牛は、すでに生まれていたようだったが、放牧地内のササ藪の中に産み落とされたらしく、姿は見あたらなかった。一方、親牛の方は、ちょうど後産が始まるところだった。キツネは、親牛から離れた位置で、低い姿勢をとりながら、胎盤を狙って、親牛の後ろに回り込もうとしていた。しかし、親牛もキツネに気づき、頭を下げて威嚇し、追い払い始めた。


 親牛が、胎盤を腟から垂らしたまま、猛然とダッシュしてキツネに詰め寄ると、その拍子に、胎盤が一気に落ちた。キツネは、落ちた胎盤に近づこうと、右に左にフェイントを掛けながら回り込もうとするが、親牛もそれに合わせて向きを変えるので、なかなか近づけなかった。


 寺山たちが車を降りて、キツネを追い払おうと近づこうとしたところで、群れの牛たちが参戦し、キツネを追い始めた。こうなると、キツネは退散するしかなかった。この様子に、寺山たちも一安心であった。しかし、牛たちが興奮してしまったため、寺山たちも牛に近づき難くなり、子牛を探して連れてくるのが、一苦労であった。



 放牧牛に危害を加えようとする動物は、キツネのような哺乳類ばかりではなかった。ハエやアブ、ダニなどの昆虫は、伝染病などを媒介するので、一層やっかいだった。この中でもダニは、放牧地や野草地に潜んでいて、宿主となる動物が近づくのを待っているのである。牛舎にもダニはいるが、こまめに駆除がしているので、放牧地の方が、圧倒的に多かった。


 各地に公共育成牧場が作られ、育成牛の放牧が始まると、ダニが媒介する小型ピロプラズマ病という病気が問題になった。この病気は、致死率は低いが、貧血や発熱を伴い、発育の停滞がおこる。この病気への罹患による発育停滞は、育成牧場や預託している農家の経営にも影響してくる。このため農務省も、牧畜衛生試験場を中心に、全国の牧場で、実態調査や対処法に関する研究を行うことにし、寺山たちの牧野研究部でも、牧野第2研究室(牧野2研)の河内が、この研究を担当していた。


 牧野2研は、牧野開発部が設置された時に、牧野研究室が二つに分かれてできた研究室で、河内は、そこの室長だった。牧野2研の作業小屋は、寺山達の作業小屋の隣にあり、河内が、放牧牛に寄生するダニの研究を行うのに使っていたので、ダニ小屋とも呼ばれていた。この小屋は、寺山たちの作業小屋に比べ小さかったが、試験牛を1頭収容することができた。


 ある日寺山が、ダニ小屋を訪れると、河内は顕微鏡を覗いていた。彼が見ていたのは、放牧地から採取してきたダニだった。彼は、自身で道内あちこちの牧場でダニを採取したり、地元の獣医師に採取して送ってもらったりしていた。


「新しいダニは見つかりました?」

寺山が話しかけると、河内は顕微鏡から目を離し、笑いながら言った。

「新種のダニなんて、そうそう見つかるもんじゃないよ。それよりどうしたんだ。こんなところに来るなんて珍しいな。様子がおかしい牛でもいるのか。」

「いや、部内回覧の資料を持ってきただけです。貧血気味の牛はいますが、たいしたことなさそうです。今度、河内さんに見てもらいたいですね。」

「そうか。今度の体重測定の時にでも見てみよう。」


 河内の小屋には、客が来た時の説明用に、ダニの写真や絵が飾られていた。ダニも、いろいろ種類があり、それぞれ独特の名前が付いていた。

「河内さん、前々から思っていたんですが、このフタトゲチマダニって、どう読んだらというか、どこで切って読んだらいいんですか。フタトゲチマ・ダニ、フタトゲチ・マダニ?。全部カタカナだからよく分からないんですよ。」

「別に、わざわざ切って読む必要はないけど、敢えて切るなら、フタトゲ・チマダニかな。こいつは、チマダニ属に入るから、チマダニの前できるんで、いいんじゃないか。今まで気にしたことなかったが、面白いこというんだな、君は。」

「フタトゲ、チマダニ。なるほど、これならちゃんとした言葉の組み合わせだ。いままで、マダニは知ってたけど、チマダニ属なんてのがあること知らなかったから、フタトゲチとかフタトゲチマって、何のことだろうと思っていたんですが、やっと合点がいきました。」

「それはよかった。このダニは、ピロ(小型ピロプラズマ病)の原因になるタイレリア原虫を媒介するだけでなく、人に感染する病気も媒介するから、調査の時は気をつけるんだぞ。」

 寺山は、河内の話を聞いていたが、河内の後ろのドアの窓から、牛が繋がれているのが見え、それが気になっていた。


「ところで、あそこに繋がれている牛は何ですか。」

「ああ、あれは、牛にとりついたダニがどんな動きをするのか、どれくらい血を吸うのかなんかを調べているんだよ。見てみるかい。」

二人は、牛が繋がれている部屋に向かった。その部屋には、一つの枠場があり、一頭の乾乳牛が繋がれていた。よく見ると、体のあちこちにダニが付いていた。小さいダニもいたが、頭を牛の皮膚にめり込ませて血を吸い、胴体が1cmくらいにまで大きくなっているものもいた。牛は、平然と餌を食べ、時々皮膚を震わせていたが、ダニは、しっかりと食らいついていたので、それで落ちるわけもなかった。


「牛には悪いが、予防策を作るには、基本的な情報を得るのが大切なんだ。今は、どれくらい食い付いたままでいるのか、一度放れたダニが、また食い付くことがあるかなんかを調べているんだ。もちろん、使っているダニには、病原虫はいないから、ピロになることはないよ。」


 寺山は、河内の説明を聞きなが、血を吸って大きく膨れ上がったダニを見つめていた。わざわざたくさんのダニに食われている牛を不憫に思った。

「早く、効果的な防除法ができあがればいいですね。」

「そうだな。今行われている。薬液槽の通過や薬の散布は、効果が一時的だからな。費用も掛かるし。いい薬ができるといいな。」

ダニやアブなど、外部寄生虫と呼ばれる牛の体に付く虫を駆除する薬はあったが、多くが水溶性で、水で希釈して使うので、短時間で流れ落ちてしまい、放牧期間中に何回も薬を掛ける必要があり、手間がかかり非効率だった。このため、牛が通過するだけで薬が掛かるような器具がいろいろと考案され、寺山たちも試しているところだった。しかし、決定打となるようなものはなく、ピロに罹患する牛の数は、なかなか減らない状況だった。なお、有効な方法が開発されるのは、1990年代になってからだった。


 放牧地では、ピロ以外にも様々な病気にかかったり、中毒症状を起こしたりすることがあった。これらに対する予防法や治療法を確立することは、農家が安心して牧場に牛を預けるために必要であった。寺山が所属する牧野管理部や畜牧部には、獣医師が河内を含め数名しかおらず、放牧衛生の課題を主体的に取り組むことは難しかった。このため、畜牧衛生試験場や道立の試験場などの技術開発に協力していくのだった。



  農牧試験場の本体が琴似から月寒への移転が完了した頃、札幌オリンピックの開催も決まり、国道36号線の拡張などのインフラ整備が始まると、試験場周辺も徐々に住宅が増えていった。そしてこの頃から、周辺住民などが、春から初夏に掛けては山菜採り、秋はキノコ採りのために、勝手に試験場の敷地内、特に山林に入りこむ姿が目立ち始めた。


 場内の山林部につながる林道には、鎖が掛けられていたが、徒歩なら自由に出入りできた。また、外周の総延長が16kmもあり、境界線の柵などほとんど無いので、敷地外の山林から山菜採りに入っても、いつの間にか敷地内に入り込むことが多々あった。山菜の中でも、ネマガリダケとも称されるチシマザサの根元から出る新芽を採るタケノコ狩りは人気が高く、毎年何十人もの人が来ているようだった。このタケノコ狩りは、ササ藪に入って、ササの根元を探すので、方向感覚を失いやすく、知らないうちに試験場内に入ってしまうことが多かった。


 寺山たちの放牧地は、山林を切り開いて造ってきたので、チシマザサの藪が隣接していて、外部の人が入り込むことがよくあった。彼らにとって、山菜を求めて歩き回るのは、牛がいようが試験区域だろうがお構いなしで、トラブルを起こしたり、その原因を作ったりすることも少なくなかった。

 

 山菜採りも一段落した初夏のある日、寺山が、作業小屋で塩野たちと打ち合わせをしていると、内線電話が鳴った。

「庶務係ですが、場外の人から、家の庭に黒い牛がいるという電話がきているので、替わってもらえませんか。」

電話を受けた寺山が聞いてみると、

「庭に黒くて大きな動物がいたので、最初は熊かと思ったが、尻尾が長いので、牛だと分かった。この辺で牛を飼っているのは、試験場くらいだ。なんとかしてくれ。」

とのことだった。そのことをその場にいた室員たちに話すと、

「また脱柵か。今朝確認した時は、全頭いたけどな。どこから出たんだベ。」

「とうとう場外にまで出ちゃったのか。」

「すぐに連れ戻しに行こう。」

早速、寺山、塩野、広中、迫田の4人は、研究室のジープに乗り込むと、電話で告げられた住所を頼り、現場に向かった。


 現地に到着すると、確かに真っ黒い牛6頭が、庭の端に座って、のんびりと反すうをしていた。この家の周りに人家は無く、ササ藪に囲まれた庭の先には、試験場に続く林があった。庭には、トウモロコシや何種類かのマメと野菜が植わっていたので、寺山は、放牧地を抜け出した牛たちは、林の中をさまよっているうちに、これらの臭いにつられて、この庭に来たのだと思った。


 寺山たちは、家主に謝ると、庭に入って牛たちを立たせ、林の中に追い立てた。寺山と迫田が先に立って、牛が歩いてきたところをかき分けながら進むと、牛たちはおとなしく付いてきた。アンガスは、群れで行動する習性があるので、バラバラになることはあまりないが、念のため、塩野と広中は、牛が横にそれないよう注意しながら追っていった。


 放牧地の境界の所までくると、牧柵のバラ線を止める針金が切れて、バラ線が垂れ下がっていた。針金は、牛がバラ線を引っ張ったことで引きちぎられたのではなく、ペンチなどで切られたようであった。切られてから時間が経っていたらしく、切り口が少し錆びていた。これを見て寺山は、おそらく、山菜採りに来た人が、ササ藪の中より放牧地の方でよく生えるワラビを採るために、バラ線を切って入ったのだろうと思った。牛の確認は毎日行っているが、牧柵の確認は、放牧開始時に行ってからは、あまり行ってこなかったため気がつかなかったのは、失態だったと悔んだ。


 牛たちは、出てきた所から、その時と同じようにバラ線をくぐって入ることは、ほとんどない。逆に、入れてしまうと、ここから出入りできると学習してしまう可能性がある。そこで、ここを避けて、本来の出入り口に向かわせることにし、バラ線沿いに牛を歩かせた。この間に、迫田と塩野が針金を新しいものに付け替え、バラ線を張り直した。牛たちは、ササ藪の中を歩いてきたので、ダニが付いている可能性が高かった。このため、放牧地につながるパドックでダニを払い落とし、薬剤を掛けてから放牧地に戻した。


 後日寺山は、場内で獲れたトウモロコシや果物を持って、改めて謝罪に行った。家人から、

「うちで作ってた奴より立派なものをもらってしまった。これは、牛が運んできてくれたようなもんだ。」

と言って、感謝された。


 山菜採りなどに来た人が、牧柵線をくぐったり、切断したりして放牧地に入るのは、よくあることだった。寺山たちは、対策として、見回りの回数を増やして注意したり、切れ難いバラ線使ってみたりしたが、効果はあまりなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る