第15話 湖中からの脱出

 高度経済成長が始まると、乳製品や畜産物への需要が高まっていった。このため、乳牛、肉牛の増頭を図るため、全国各地で様々な規模の牧野開発が開始されていった。北海道でも、国営、道営を中心に大規模な草地開発事業が計画された。手探りの状態から始まった大規模牧野造成は、牧野開発部などが開発した技術を参考に、現場に合わせた改良が行われ、大型機械を使って数百から数千ヘクタール規模で行われるようになっていた。


 牧野造成の方は、どこも概ねうまくいっていたが、牧野の利用に関しては、牧場によって評価が分かれた。公共牧場というのは、その地域の畜産農家や酪農家の労力を軽減するため、農家から委託された牛を一定期間飼養管理することを目的としているので、農家からたくさんの牛が一つの牧場に集まる。しかし、大頭数の牛群を管理した経験が少なかったため、発育が悪いとか病気や事故に遭ったなどの問題が発生していた。そこで農務省は、公共牧場牧野の合理的な利用方法を構築するための研究を特別研究(プロジェクト研究)として立ち上げ、全国四か所の地域農牧試験場で行うことにした。


 北海道では、北海道農牧試験場の牧野開発部と畜牧部が担当することになり、各研究室から専属の研究員を出し、研究班を構成することになっていた。寺山がいる牧野1研からは、寺山と広中が参画することになった。

 対象とする牧場は、十勝管内北部にある上士幌町の牧場であった。この牧場は、国営の牧野開発事業が続いていた。寺山にとっては、以前飛行機による牧草の播種作業を視察した所なので、なじみのある牧場であった。また、冬期間の受け入れも行っているため、越冬用の飼料も生産していた。こちらの方の調査や技術指導は、下村が中心に行うことになっていた。下村は、牧野2研に移ってからサイレージの研究を主体に行ってきたので適任であった。

 このような、農務省主導の大がかりなプロジェクト研究は、特別研究課題、略して「特研」と呼ばれ、研究員に毎年配分される研究予算とは別に、高額な予算が配分された。この特研が始まると、研究班の何人かが、調査のために交代で牧場に出張に出かけた。高速道路もなく、未舗装の道もあり、札幌と牧場の間は、車で6~7時間かかるので、1回の出張で、2、3泊することが多かった。


 この特研が始まった年の夏、この年に代わったばかりの場長が牧場の視察のため、部長とともにやってきた。寺山と下村は、この特研の総括責任者である牧野4研の奥原と技術連絡部の川畑とともに、前日から現地入りし、2人の到着を待っていた。奥原がいる牧野4研は、農業経営の研究室で、このプロジェクトの経営評価を行うことになっていた。また、川畑が所属する技術連絡部というのは、この年にできたばかりの部署で、農務省の農林水産研究会議事務局、あるいは国や地方自治体の試験研究機関との窓口の役割を担っていた。今回この4人は、単なる調査のためではなく、この秋に予定している、このプロジェクトの現地検討会の運行経路の下見も兼ねて出張していた。


 場長と部長は、牧場事務所で牧場長に挨拶すると、早速車に乗り込み、寺山たちの車に先導されて、牧場の最も高い場所に移動し、部長や奥原などから研究の概要や進捗状況の説明を受けた。

 牧場は、まだ牧草地の造成中で、正式な開場はしておらず、暫定的に牛を受け入れていた。場長や寺山たちが降り立った場所は、開場後は、展望広場として開放することになっていた。ここからは、造成中の牧野が見え、切り倒された雑木や抜根された根が、ブルドーザーによってと埋められた排根線が、圃場の片隅に、土塁のように並んでいた。

 別の場所では、造成後の収穫作業などが行いやすくするため、地面をならす作業も行われていた。すでにできあがっている牧野もあったが、牧草の生育があまり良くない部分や裸地になっている所もあった。そのことの原因について場長から尋ねられた寺山は、

「造成工事の際、平坦にすることを優先したため、表土を削りすぎて、心土が出てしまったためではないかと思います。このようなことは、他でも起こりえるので、要因解析と対処法を検討していきたいと考えています。」

と答えた。これを聞いていた下村は、「寺山も成長したな」と感じていた

 牧野を見た後、牛舎やサイロなどを視察し、この日の日程を終えた。翌日、場長と部長は寺山たち4人と分かれて、札幌に帰っていった。残った寺山たちは、予定通り、この特研の現地検討会での視察経路を確認することにした。


 現地検討会というのは、農務省をはじめとした、この特研の関係者が全国各地から集まり、各実施場所を視察しながら、課題の実施状況や問題点について議論する場で、今回は、北海道で行うことになっていた。

 検討会当日は、まず、調査対象の上士幌町の公共牧場を視察し、その後、町内北部にある糠平ぬかびらのホテルで会議を行い宿泊し、翌日、糠平と鹿追町を結ぶ、開通したばかりの道路を南下し、途中にある然別湖しかりべつこを経由して十勝平野に出て、新得駅あるいは帯広駅に向かうことになっていた。


 寺山たち4人は、牧場を出発し、まず当日の宿泊場所に予定しているホテルに向かい、打ち合わせを行った後、然別湖に向かって車を走らせていた。 運転するのは川畑で、その横に寺山、寺山の後ろが下村、川畑の後ろが奥原だった。

 ホテルを出ると、急カーブが続く峠道を上っていった。幌鹿峠という峠を越えると下りに転じ、然別湖に注ぐヤンベツ川沿いに出ると緩やかな下り坂になった。そのまま下って湖畔に出ると道路はほぼ平坦になり、左側には夏の日差しに輝く湖が白樺やトドマツの間から見えた。車は、湖に近づいたり遠のいたりを繰り返し、順調に進んでいった。


「フフフフ、フフフフ、小樽の駅で・・・。」

ラジオから流れる歌謡曲を鼻歌まじりで口ずさみながら運転している川畑に、助手席の寺山が話しかけた。

「順調ですね。このまま行けば、あと1時間くらいで鹿追しかおいですね。」

「そうだな。峠のカーブは急だったけど、この道は新しくて走りやすい。湖もよく見えるし、道外からのお客さんも、喜んでくれるだろう。」

などと、二人が話しながら湖に近いところを走っていると、急に車がガタガタと振動を始め、ハンドルも細かく動きだした。

「おかしいぞ。車が言うことを利かない。」

と話す間もなく、左の前輪が路肩に落ち、それとともに車は道を外れていった。道路は湖面から5、6メートルくらい高いところにあり、湖に向かって斜面が続いていた。道を外れた車は、バランスを崩し、横転しながら湖に落ちて行った。4人は投げ出されないように、ハンドルやドアの取っ手に必死で捕まった。車は、何回か回転した後、最後に大きく弾んでからほぼ水平状態でタイヤを下にして着水した。この時、後部座席の窓が開いていたので、そこから水が入ってきた。さらにフロントガラスも一部が割れて穴が空いたため、ここからも水が入り、あっという間に車は沈んでしまった。


 寺山は、無我夢中でフロントガラスを蹴った。すでに一部が割れていたためか、意外と簡単にガラスの割れ目を広げることができたので、薄暗い水の中に出て、湖面に向かって泳いだ。その時下を見ると、湖面からさしこむ光でおぼろげに映る車と寺山の後を追って出てくる下村と川畑の姿が見えた。幸いなことに、車は水深7、8メートルの所で引っかかっていたのである。

「みんな無事か。」

下村が、そう言いながら周りを見回すと、寺山と川畑しかいなかった。

「おい、奥原さんはどうした。」

残った奥原がまだ浮かんできていなかった。そこで、寺山と下村が潜って探しに行こうと息を大きく吸った矢先に、奥原がぽっかりと浮かび上がってきた。

「よかった無事で。みんな生きてるみたいだが、どこかケガはないか。」

下村が、3人に呼びかけた。

「折れてるところとかはないようだ。」

「あちこち痛いですが、大丈夫だと思います。」

「頭をぶつけたみたいだが、生きてるみたいだ。」

お互いの無事を確認すると、なんとか泳いで岸にたどり着いた。


 彼らが落ちた道には、後続車や対向車が車を止めて、寺山たち4人を道からのぞき込んでいた。何人かは、岸辺まで降りてきて、彼らの手をつかんで引っ張り上げてくれた。彼らが落ちた所は、道から湖面にかけて傾斜していたが、崖の様に切り立ってはいなかったので、岸に上がるのは、比較的楽であった。

 岸に上がると、濡れた衣服を脱いだ。夏とは言え、標高800メートルの湖は、水も湖畔の空気も冷たかった。彼らが、絞った衣服や手ぬぐいで体を拭いていると、湖畔の温泉ホテルの車がやってきて、4人にタオルを貸してくれた。事故を見た車の一台が、警察に連絡するために湖畔のホテルに行ってくれ、連絡を受けたホテルが急いでやってきてくれたのである。


 4人は体を拭くと、とりあえずホテルに連れて行ってもらうった。ホテルに着くと、寺山が電話を借りて札幌の本場ほんじょうに連絡した。川畑は、事故を起こしてしまったショックで、ホテルの玄関先に座り込んでしまった。

 本場では、事故の連絡を受け、大騒ぎになっていた。場長と担当部長が出張中だったため、次長を中心に対応策を練り、とりあえず牧野開発部と総務部から人を出し、現地に行ってもらうことになった。また、現地に近い芽室めむろ町(帯広の西隣)にある、畑作開発部にいる庶務の係員も現地に送ることになった。


 寺山たちは、札幌からの連絡で、札幌と芽室から職員が向かっていることを知ったが、どちらも着くまでには、大分待たなければならなかった。芽室からでも1時間以上は掛かるので、札幌からなら夜になってしまう。その後、ホテルの好意で浴衣を借りてロビーの片隅にいると、やっとパトカーと救急車がやってきた。救急車の方は、4人が元気そうにしているのを見て、緊急性がなさそうなことを確認すると帰って行った。警察官の方は、運転していた川畑を連れて現場に行くと、簡単な現場検証と事情聴取を行った。他の3人も順次事故時の状況を尋ねられた。スピード違反も疑われたが、証拠もなく自損事故と言うこともあり、警察官は、調書を作ると帰って行った。事故の原因がスピードの出し過ぎにあったのか、車に原因があったのかは、車を引き上げてみなければ分からなかった。


 川畑は、パトカーが帰ったのを見届けると、寺山たちに、

「すみませんでした。俺の運転ミスでこんなことになってしまって。」

と言って、頭を下げた。事故直後から黙り込んでいた川畑だったが、警察の調査が終わったのを受けて、話し始めた。

「警察にも言ったんだけど、スピードは出ていなかったんだが、急にハンドルが利かなくなって、あれよあれよという間に道から外れてしまったんだ。」

「パンクでもしたんじゃないか。」

「車の故障かも知れませんよ。」

「とっちにしろ、川畑君のせいじゃないから気にするな。」

川畑の話を聞いて、他の3人は、彼に慰める言葉をかけた。

 寺山は、車の運転を川畑と交代でしていたので、自分の時に起きていたら、慌てて急ハンドルを切ったり、急ブレーキをかけたりしたかも知れず、どうなっていただろうと思った。そう考えると、4人とも無事でいられたのは、川畑の運転のおかげかもしれず、改めて無事で良かったと感じていた。そこで彼は、川畑の気を和らげるように、

「でもみんな、ほんと悪運が強いね。俺、もう終わったかと思った。」

と言うと、下村が笑いながら、

「警察の人も言ってたけど、落ちたところが良かった。道ができたばかりで、湖との間が裸地だったから、立木にも当たらず、そのまま湖に落ちることができたんだ。それに、落ちてからも途中で引っかかったから車から出られたんだ。まさに奇跡だよ。悪運だ。」

と、言った。川畑は、少し気が和らいだのか

「そういえば、奥原さんが、なかなか浮かんでこないから、ダメかと思いましたよ。」

「そうそう、奥原さん、心配しましたよ。どうしたんですか。」

と、寺山と2人で奥原に言った。すると奥原は無表情で、

「いや、僕は昔、海軍経理学校の時に、ボートが沈む時はあわてるな、と教えられたから、落ち着いて出てきただけだよ。」

と、言った。その表情と普段と変わらぬ言動に、他の3人は、おかしくて仕方がなかった。そうこうしているうちに、芽室からの車がやって来たので、とりあえずホテルの浴衣を借りたまま、芽室で札幌からの着替えの到着を待つことにし、ホテルを出発した。


 芽室について数時間後に、札幌からの車が到着した。総務部の運転専門の職員が頑張ったおかげで、想定していた時間より早く着いたが、すでに夜になっていたので、芽室にある畑作開発部のクラブ(宿泊所)に泊まることにし、翌朝一番の急行で札幌に帰ることになった。その夜、突然の訪問者に、畑作開発部の多くの職員がクラブに集まり、慰労会を開いたのは言うまでもなかった。


 本場に戻ると、すでに戻っていた場長と部長から、無事だったことへの安堵と労いの言葉をかけてもらったが、部内では、一木いちのきたちから

「なんだ、みんなピンピンしてるっしょ。」

「湖から何拾ってきたんだい。」

「奥原さんが、一番危ないんじゃないかと話してたけど、やっぱ最後に浮かんできたんだって?」

などとひやかされ、しばらくは、この話題で場内は持ちきりだった。しかし、寺山たち当事者を含め、皆内心、笑い話で済んでよかったと思っていた。数か月後、車は湖から引き揚げられたが、事故の原因は分からなかった。また、現地検討会は中止となり、翌年以降に行うことになった。 

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