第5話 部内検討会

 畜牧部では毎年、その年度に行った試験の結果について検討する部内検討会議を行っていた。この会議には、部長をはじめとする全研究員と業務科長、それに加えて本場から場の次長が参加することになっていた。この時の北海道農牧試験場の場長は、札幌にある国立大学の教授が兼任していたので、次長は、場長代理として試験場全体の研究課題を統括する立場にあるだけでなく、まだ農務省など外部機関との折衝に当たる部署がなかったので、これらを担う仕事もしていた。

小雪が降る中、始業の鐘が鳴る前から、畜牧部庁舎二階の会議室に、参加者が集まってきた。寺山が、初めての会議で緊張して入っていくと、すでに場次長と部長は、入り口と反対側の窓際の席にカラマツ並木の方向を背にして座っていた。しかし、窓は曇っていて、並木はうっすらと見える程度であった。


 部長を中心に、部屋の壁に沿って横長のロの字型に机が配置され、その内側には、大きな石炭ストーブが置かれており、ストーブの小窓からは、赤々とした炎が見えた。部屋は、十分に暖められていたが、天井が高いせいか、熱は、上の方に溜まってしまい、足下や背中側は冷え冷えとしていた。

 部長の左手から、研究室ごとに時計回りに席に着いた。研究室の並び順は、牧畜第1研究室から始まる編成順であった。牧野研究室は高木室長、喜久知主研、下村の順に座り、寺山は末席に着いた。寺山が緊張する中、場次長と部長の挨拶の後、牧畜第1研究室の成果検討から始まった。この日の予定は、席の並び順と同じく、牧畜第1の後、第2、第3、牧野と続き、最後に飼料作物研究室という順番であった。


 牧畜第1研究室の矢野室長からの説明は、まず戦後急激に飼養頭数が増えていためん羊の育種に関するものであった。戦後羊毛の価格が高騰したことや景気の回復で羊毛需要も増えたため、めん羊を飼う農家が増えていた。このため、より多くの毛を生産できるめん羊への改良が求められていた。しかし、そのためにどのような雄を選んで交配すればいいのか分かっておらず、農家の経験による交配が続けられ、改良は進んでいなかった。そこで牧畜第1研究室では、めん羊の産毛量や産肉量といった経済形質と遺伝との関係を調べ、新しい指標を作ろうとしていた。まだ研究は始まったばかりであったが、難しい式や言葉を使った説明が続いた。寺山は、なかなか話しについて行けず、ふと研修中に行った羊舎で、業務科員から聞いた話を思い出していた。


「先輩から聞いた話だけど、戦前、種羊場しゅようじょうだった頃、不景気で国にも金がなかったから、期末手当(ボーナス)なんかが現物支給されてたことがあったそうだ。」

めん羊担当の松木が話し始めた。

「現物支給って、なんですか。」

「現物支給っていうのは、現金の代わりに生産物をくれるってことさ。期末手当の時は、背広一着分の羊毛を現金の代わりに渡されたらしい。それをツキサップ(月寒)の問屋に持って行くと、一着分の反物に換えてくれたんだ。さらにこれを、豊平の洋服屋か質屋に持って行き、現金に換えたっていうことだ。」

「へえ、すごいですね。ちゃんと最後はお金になるんですね。」

寺山が、松木の話に納得していると、松木はニヤリと笑って話を続け、

「まあ待て、この話には続きがあるんだ。ツキサップ、豊平と国道を北上して、やっと現金を手に入れたある人が、さらにその先の豊平川を渡ったんだ。橋を渡った先は札幌だ。そこには何がある。」

と聞いてきた。寺山は、すぐに思いついて言った。

「すすきの、ですか。」

「そう。その通り。やっと手に入れた金を持って、すすきのに行き、あっという間に使いきって一文無で帰ってきた。っていう話さ。」

松木が笑いながら話すと、それを聞いて寺山も吹き出してしまった。


 こんなことを思い出しているうちに、牧畜第1研究室の説明は、次の乳牛の課題に移っていた。乳牛の話も、難しい式や言葉が、どんどん出てきて、寺山は、すんなり理解することはできなかった。それは彼だけではなく、課題の説明が終わった後の質疑では、部長を除いて鋭い意見や質問はあまりでなかった。このため、牧畜第1研究室の課題検討は、予定通りの時間で終了し、次の牧畜第2研究室に移っていった。ここからは、比較的理解しやすい内容が多いため、各課題の説明が終わると、部長や室長、さらには主任研究官たちから、様々な質問や意見が飛び交った。個性的な室長や主任研究官が多いため、質問や、それに対する反論を述べる際は、各自、大論陣を張るため、なかなか先に進まなかった。


 庁舎の外は、雪が降り続いていたが、会議室の中は、暖房と研究員たちから出る熱気で室温はぐんぐん上昇していった。煙草を吸う人も多かったため、室内は煙草の煙で白くなり、反対側の人の顔がはっきり見えないこともあり、時々寺山や坂井たち若手研究員は、窓を開けて、外の空気を入れるよう部長から指示されていた。


 1研究室当たり1時間程度が割り当てられていたが、どんどん時間を超過していった。初めて参加する寺山にとっては、説明内容が難しくて、よく理解できないこともあったが、普段物静かな研究員が、この日は、人が変わったように、口角泡を飛ばして、喧々諤々の議論をする研究員たちに圧倒されてしまった。しかし、意見がすれ違ったり、堂々巡りに陥ったりすることもあった。その時は、部長も慣れているようで、頃合いを見計らって話を引き取り、次に進めていった。下村の話では、昨年もこんな感じだったとのことであった。結局、終礼の鐘が鳴っても検討会は続き、午後6時を回る頃、やっと終了した。寺山が疲れを覚えホッとしていると、みんな席を立って、そそくさと研究室に戻り帰り支度を始めた。みんな帰るのではなく、懇親会のためにクラブ(宿泊所)に行くのである。検討会終了後は、懇親会を開き、会議で話し尽くせなかったことを、とことん議論するのが恒例となっていた。寺山も研究室に戻ると外套を着て外に出た。雪はやんでいて、月が出ていた。庁舎の裏にある鐘楼の屋根にも雪が積もり、月明かりで青白く輝いていた。


クラブに行くと、ふすまが取り払われた大広間に、酒やビール、コップとつまみなどが並んだテーブルが置かれていた。つまみは、乾き物などではなく、石狩鍋に旬の魚の刺身、ホッケの開き、ニシン漬けなどだった。全員が席に着いたところで、乾草上げの時と同様、部長の挨拶と乾杯で懇親会は始まった。部長は、挨拶の中で、検討会で言い尽くせなかったことは、この会で、とことん話すように言っていたが、皆会議の時に自分の考えを十分開陳したせいか、会議の時とは打って変わって、穏やかに飲んで話をしていた。しばらくすると、次長の津久井が寺山の所にやってきて、彼の頭を触りながら言った。

「なんだ、坊主頭じゃないじゃないか。琴似では、寺山って言う、坊主頭で威勢のいいのが畜牧部に入ったって評判だよ。馬糞風ばふんかぜとともにやってきて、あっという間に風とともに去って行ったってね。なんだ、髪を伸ばしちゃったのか。」

残念そうに言う津久井に寺山は、春に出頭先を間違え、本場の琴似に行った後、そんな噂になっていたことを初めて知った。彼は、津久井が会議の時に部長の隣に座っていたので次長であることは分かっていたが、初めて会ったので、とりあえず挨拶することにした。

「津久井さんですよね。初めまして。寺山です。」

「おう。そうだ初めてだったね。失礼したね。次長の津久井だよ。まあ、琴似のことは気にすることない。それより、畜牧部の感想は。」

津久井が寺山に尋ねると、

「研究室に配属されてからまだ2ヶ月しか経っていないのでなんとも言えませんが、いろんな人やいろんな家畜がいて、非常に混沌としている所だと思います。でも、そこが面白いです。今日の会議のように自由に議論できる雰囲気もいいと思いました。」

と、苦笑いしながら答えた。さらに、

「今日は、難しくて理解できない話も多くて、発言できなかったですが、もっと勉強して、会議で発言できるようになりたいです。」

「まあ、まだどう(北海道)と分かれたばかりで、種羊場時代の流れも残っているから、ごちゃごちゃしているように見えてもしかがないかもな。」

「そう言えば、ここは昔、種羊場だったと聞いたんですが、確かに羊は多いですが、何で乳牛や、狐なんかがいるんですか。」

「ここは、いろいろと名前が変わったから、種羊場だったのは一時いっときだ。もともと、外国からいろいろな家畜を導入して、北海道にあった家畜を増やして、農家に払い下げたり、貸し出したりするために設置されたんだ。」

「ふうん。そうなんですか。でも狐や兎は、どうしているんですか。」

「まあ、あれは最後に飼いだしたもので、毛皮を輸出して外貨を稼ぐことも考えたのかもしれないが、実際には、軍服の外套や飛行服の襟なんかに使うのに必要だったから、農家に飼わせたかったみたいだ。そのために、その飼い方を研究したり、教えたりしたんだろう。戦争が終わってしまった今、これからどうするかを考えていかなければな。」

 津久井が言う「道と別れたばかり」というのは、昭和25年(1950年)に、それまで一緒だった試験場が、国立と道立に分かれたことを指していた。真駒内まこまないにあった畜牧部も、施設や用地が進駐軍(アメリカ軍)に接収され時に滝川と新得しんとくに移った人員と家畜で道立の畜牧試験場になり、国の種畜牧場だったここが、国の試験場の畜牧部になった。兎や狐は、種畜牧場時代の名残である。


 2人が話していると、酒瓶を抱えた喜久知がやってきた。

「津久井さん。琴似にあるトラクターを早くこっちに回してくださいよ。こいつトラクターが来たら、それでトド山を切り開くって言ってるんですよ。」

喜久知が、寺山を指さし、津久井に酒をつぎながら言った。

「それはすごいな。でも、トラクターだけで山を切り開くのは難しいな。それに、今うちにあるトラクターの馬力じゃ、そんな大きな仕事は無理だよ。ただ、トラクターの方は、来年当たり、ここにも入りそうだよ。」

次長の津久井は、は上部機関である農務省といろいろとやりとりしているので、多くの情報を持っていた。

「ほんとですが。楽しみだな。あ、でも俺、免許持ってない。」

寺山は、津久井の言葉に喜んだり、残念がっていたが、

「免許なんて、雪が融けてから取りに行けばいい。それに、研究員の君が作業する必要はないんじゃないか。そういうのは業務科に任せておけ。」

「そうだ。トラクターの運転は、業務科に任せろ。それより覚えることがいっぱいあるんでないかい。」

と、津久井と喜久知からたしなめられた。

「でも、やっぱり、自分の手でやってみたいんです。」

「気持ちは分かるが、俺たちのような牧野の研究者は、事象の観察と要因の解析が大切だ。冷静な判断を下すには、作業を少し離れた場所から観察する必要がある。だから、牧野の造成や改良の実際の作業は、業務科員にやってもらった方がいい。研究員と業務科員の仕事は違うんだ。もちろん一緒に仕事をしなければならないこともあるがな。」

「そうだな、まずは研究員としての資質を上げることが先だ。焦らずに喜久知君や下村君の下で、いろいろ学びなさい。」

寺山は、諦めきれない気持ちを伝えたが、喜久知と津久井から諭された。残念に思ったが、喜久知が言うとおり、どのみち雪が融けるまで何もできないし、飼料成分の分析など、覚えなければならないことが一杯あったので、当面、免許を取ることは諦めることにした。


 その後、普段あまり会うことがない研究室の人とも杯を交わし、懇親会は和やかに行われ、酒もつまみもなくなってきた頃、幹事の高木室長が、津久井に締めの挨拶を促した。津久井は、皆の拍手に促されて立ち上がると、この日の感想を述べた後、

「最後に一本締めで締めたいんだが、最近、鴻巣こうのすの試験場から転勤してきた人に教わった関東一本締めというので締めたい。これは、かけ声の後、手拍子を一回だけ打って、それで終わりだから間違えないように。」

と、新しい締め方を伝えた。鴻巣の試験場というのは、同じ農務省傘下の試験場で、琴似ことににある本場と同様、作物の育種や栽培を研究する機関で、本場とは人事交流があった。皆が立ち上がると、津久井のかけ声の後、大きな拍手の音が一回、会場内に響いたが、数人は、一回で止まらず、今まで通りの拍手を続けそうになった。これを見て、みんな大笑いしてお開きとなった。一応お開きとなったが、いつも通り、そのまま飲む続ける者、外に飲みに行く者などで談笑は続いた。寺山は、津久井がそのままクラブに宿泊することになっていたので、坂井や畠など若手の研究員とともに、遅くまで研究談義に花を咲かすのであった。

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