第39話
ジリリリリリリ——————————!
「ごほっ、げっほ、ごほぉっ!」
寝ていた薄着の男が咳き込みながら、ベッドの上から降りる。必死に口元を手で押さえていた。
これはいつもの夢だ。
この男は、この部屋の主。窓の外は暗い、が、そこから見える隣りのビルだろうか、それがオレンジの明かりで照らされている。
映像は男の視野となり、狭い部屋の中を見渡す。机。テレビ。テーブルに乱雑に積まれた本。
そして男は窓の反対側の角、そこにある隙間に注目した。
この部屋の出口だろう。扉はない。
そこに進む。
曲がる。
数メートル先に突き当たりがあった。左には冷蔵庫、ガスコンロ、シンク、ツヤのない灰色のドア。
右には曇りガラスの様なドア、白い壁、木のドア。
突き当たりの下にはマットが敷いてある。
シンク下の収納に隠されてはいるが、玄関だろう。
そこを目指す。
下を見る。
靴を履く足が見えた。
上に戻る。
真正面の灰色のドアが開かれた。
ドアの外は、外——手すりの外が見える。先ほどの窓とは違い、近くに建物はない。
右へ向き、その通路を進む。奥に階段が見える。
そこから誰かが登って来た。
そして小走りで近づいて来る。
「ごほっ、ダメだ! 下も燃えてる!」
そいつは男だった。
この視野の持ち主も言う。
「何ですって!? でも階段なら——」
「あんた馬鹿か!? 俺が上がって来たの見たろ!? 無理なんだよ!」
「階段が駄目!? どうして——」
「知るかよ! なんでか知らねえが、階段も燃えてるんだよ!!」
「そんな!」
映像が下の手すりを見た。
下に駐めてある白い車に注目する。
『分岐です。彼はここから飛び降りますか? それとも辞めますか?』
これは、火事、だろう。
そしてこの選択が、この夢の主人公の生死を握る。
——飛び降りる? 下の車にダイブするのか?
映像を見る限り、下はそんなに遠くない。たしかに、助かりそうな気がする。
選択肢を決める前に、少し気になる事があった。質感を見る限りこの手すりも、この通路も、そして奥にある階段もコンクリートか何かでできている——なのに、階段が燃えている?
しかし、その疑問は余計だ。
俺は選択肢に意識を戻した。
『時間です——』
いつもより制限時間が早い。いや、俺が早く感じているだけなのか。目の前のこの男のパニックに影響されているのだろうか。
それとも、早く解けるほど簡単なのか。
『カウント10で自動的に彼の行動が決まります』
——つーか彼の行動? どっちのだ?
『10』
いや、どっちでも良い。
この二人は今、同じ運命を進んでいるはずだ。もしかしたらこの選択で、二人の人間を救えるかもしれない。
『9』
——飛び降りれば助かるのか? 階段はそんなに危ない状態なのか?
『8』
——何故俺はそんな事にこだわっている?
どちらでも良い。飛び降りて助かるのなら。
『7』
いや待て。ここから飛び降りて助かるのなら、階段でも同じではないだろうか。
少なくともこの階は燃えていない。どこからでも飛び降りられる。
『6』
——下の状況はどうだ?
映像は車にズームして止まったままだ。
その周りの状況はわからない。車の白い屋根と窓が、オレンジの炎を反射している事しか。
『5』
車に注目する前の映像を思い出す。
下の階達の手すりが頭に浮かんだ。
『4』
四、三、二、一。
——違う! ここは五階だ!
こんな所から飛び降りて助かるワケがない。
『3』
——車がクッションになる? なるのか? 金属だぞ? アクション映画みたいにその後ピンピンできるのか?
『2』
——それ以外はなんだ? 飛び降りるしか下に行けない。降りずに助かる? どうやって?
『1』
何か見落としている気がする。考えろ、いや、思い出せ。
『0』「——答えは『辞める』だ!」
映像が、動き出す。
結局、明確な答えは出せなかった。だが、辞めた方が良いと感じた。直感だ。
直感で他人の生死を決めるなんて、最近の俺では考えられない。最近はより思慮深く、そして合理的な答えを出していたはずだ。
しかし、俺の直感はこうも言っている。「この男は助かる」と——。
「あんた! さっさと飛び降りようぜ! な?」
「……いえ、僕は飛び降りません」
視野の主が言った。
「何でだよ!? ああくそ! 俺は先に行くからな!? あんたもモタモタするなよ!」
そう言って男が飛び降りた。
がしゃあぁぁぁぁんっ。
映像が地上を見る。
下の車に男が仰向けで寝ていた。まるで低反発のマットレスの上のシーツとでも云うかのように、屋根が沈み、へこんでいる。
——さてどうする? こいつは飛び降りずにどんな選択をするんだ?
俺はもう選択を終えた。
先に飛び降りた男は死んだ。それを残念に思う一方、夢の主にそうじゃない選択をさせたという安心感と満足感が、その後の映像に興味を持たせる。
映像が反転した。壁が映る。
右を向く。こいつが出てきた部屋のドアは閉まっていた。
近づく。ドアを開ける。中に入った。曲がって更に奥へ進む——窓を開けた。
——そうかなるほど!「ここから飛び降りますか?」ってのは、あの手すりじゃなければ良いって事だ! でも、じゃあここから、どう助かる?
映像が窓から飛び出した。
勢いよく、隣りのビルが近づいて来る。
そして、止まった。
「がっ……! はあっ、くそっ……痛い」
眼前に鉢植えがある。真上から近くで見下ろした——そんな感じだ。視界が微妙に揺れている。
映像が上がる。縦長のガラス戸だ。
——すげえっ! ここは隣りの建物のベランダか? その手すりに引っ掛かったんだ!
窓には隣りの建物の炎が映っている。
「……はぁ……はぁ……」
映像はもう一度下を向き、少し斜めを向いた。
映像の右下から膝が生え、足が硬そうな床に降り立った。その隣りに左足も降りる。
視界が上がった。
伸びる手が、ベランダを開ける。鍵は掛かっていなかった。
中には誰も居ない。
「……はぁはぁ、逃げたんだな、そりゃそうか。ここも、まだ危ない。はぁはぁ……あばらが、折れた、のか? ふぅふぅ……とにかく、外に、出よう」
独り言を言う男の息遣いは荒い。だが、どうやら無事の様だ。
映像が、フェードアウトする。
俺はまた救った。この夢で、こいつを助けたのだ。
夢が、終わる。
〝くふふふふふふ——————〟
脳裏に、あの夢の男がチラついた。
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