第16話

 夢は電車の中から始まる。

 この映像の主役、つつは他校の彼氏と遊んだのち、帰路に就いていた。

 半袖のブラウスにベージュ色のベスト、赤を基調としたチェックのスカートというやや明るめの一般的な夏服を着ている。放課後なのにそんな格好をしてるのは、部活をサボってまで会いたい彼氏の家が離れているからだろう。その眉上で切り揃えられた前髪や、頬の高さから首後ろへ向かう丸みのあるショートヘアも、陽菜の自由さを表している。

 おうと呼ぶには開けっぴろげなその時間の余韻に浸りながら、彼女は電車を降りて駅を出た。駅の外は暗く、歩道に沿ってタクシーが並び、それが途切れた場所からやや離れて横断歩道がある。渡る先の歩道は左右へ更に延びていた。

 陽菜の家に近いのは右の道だ。


『分岐です。彼女が行くのは右ですか? それとも左ですか?』


 俺の視界に文字が現れる。

 答えたくない。もしも答えてしまったならば、俺のせいで陽菜の運命が決まってしまう。

 

 陽菜は何処にでも居る変わった女だ。

 好きな歌手の話をする時でもマイナーな奴を選ぶ。人気グループの中で一番人気のなさそうな奴を。本当に誰も知らない歌手や芸能人の話は全くせず、ゲームも動画配信者とかがやるポピュラーなゲームの中のマイナーなキャラだったり、ガチ勢がやる様な戦法を選ぶ。漫画でもそうだしアニメでもそう。

 友達もそうだ。

 クラスで浮いている女子に話し掛けに行ったり、

 そのくせ明るい。そのくせたまに、頭がおかしい事を言う。俺がサッカーを始めたのも、陽菜を意識してのものだった。あいつがたまたま外国人選手の話をしたからである。

 中学に上がると陽菜は、明るい奴らとつるむ様になった。

 明るい奴らの中で、個性的なキャラクターを発揮する様になっていた。

 俺も明るい奴らとつるむ様になった。陽菜と一緒にいたかったから。

 だがいつまでも一緒には居られない。中三の半ば頃、陽菜に彼氏が出来たのである。学校ではいつもの様に絡んではいたのだがプライベートでの関わりはなくなった。

 その頃には友達の質も変わる。誰に対しても分け隔てなく接する事を辞め派手な奴らと絡む様になり、との付き合いは辞めていた。その上で「個性的な自分」を表現している。今も。

 正直に言うと、今も一緒に、楽しく、陽菜と話したい。でも無理だ。どうしてもあいつの言葉の端々、その裏側から、その奥に居るであろう彼氏にどうしても嫉妬してしまう。

 だから俺の方から離れた。

 それをあいつは気にしなかった。

 だから俺も、気にしない様にしている。気にしてしまえば俺の負けなのだ。

 だが今、俺は陽菜の運命を文字通り左右できる状況にある。

 でも選びたくない。

 何故ならこの分岐は

 昼間の俺はきっと、陽菜が死ねば幸せになるかもしれない。強制的に陽菜を忘れる事ができるから。しばらく、どれだけの間、どれくらいの喪失感が俺を支配するかはわからないが、それでも叶わぬ想いを失う事ができるだろう。

 でも無理だ。そんな事を考えた時点で俺は、この罪悪感にさいなまれている。

 

 陽菜をこの世から、俺の中から、失いたくない。


『まもなく時間です。カウント10で自動的に彼女の行動が決まります』


「右か左かでわかるわけねえだろうが!」

『10』

 俺に応えず非情な数字が映し出される——くそ、どうするべきだ?

『9』

 右がいつもの道だろう——なら右か?

『8』

 だがいつもの道で、いつもとは違う出来事があるかもしれない——じゃあ左か?

『7』

 いや、左でも何かがあるかもしれない。それに、遠回りになる。普通に考えたなら外にいる時間の少ない方が安全だ。

『6』

 ——考えろ。だめだ。冷静になれ。

『5』

 右か。

『4』

 左か。

『3』

 ——陽菜はどちらを選ぶ? 今は暗い。考えるまでもなく夜だ。でも何時だ? そういえば——。

『2』

 前に嶋田は、陽菜から「いきなり電話された」と言っていた——今日もするか? いつする? 何故する? 自慢? 嶋田以外にもそうなのか?

『1』

 ——だめだ! ヒントになりそうで何もヒントにならない! 結局勘に頼るしかねえ!

「右だ! 真っ直ぐ家に帰る!」

 

 映像が、動き出す——。


 女に刺されたあのオッさんは真っ直ぐ帰って殺された。だがあれは特殊な例である。あれはオッさんが浮気をしていたから憎まれて殺された。

 そうじゃない普通の女子である陽菜の家に、陽菜を殺す様な奴なんていない。居たとしても「帰らない選択」は陽菜にはないし、もしそうならそもそも「こんな二択」は発生しない。つまり陽菜の死の原因は家の外にある。

 答えを出してから自分の選択に後付けで、そんな正当性を持たせた。実際そんな事は考えつかず、ただ数字に追われて答えを出しただけである。果たしてそれは、正解か。

 

 陽菜はしばらく歩いていたが、場面が切り替わった。明るい。

「——あははっ! そんでねー?」

 ——ここは陽菜の部屋か?

 椅子に座る陽菜が映った。黄緑のタンクトップに赤のショートパンツというラフな格好である。ただでさえ短い前髪をヘアバンドとヘッドセットで上げていた。

 陽菜の向こう——映像の奥にあるベージュ色のカーテンは完全に閉じられ、その下にはベッドがある。女子らしいかどうかは知らないが枕も布団もピンク色だ。

 陽菜が向くのは視界の右側の壁にある大型の薄型テレビで、横長の台の上に置かれている。その横にゲーム機本体が立ち稼働し、画面にもその映像が流れていた。

 ゲーム機からケーブルが、部屋の中央を越え、視界の左側に居る陽菜へと伸びている。手に持つコントローラーと頭に付けたヘッドセットに繋がっていた。

 陽菜の背中が向く壁には大型の机があり、テレビよりも小さなディスプレイと、キーボードが載っている。ゲーム機から伸びるケーブルは、机に置かれたスマートフォンにも繋がっている。どうやら誰かと通話しているらしい。

「——えー? うっせーっつーの! じゃあ外で話せって?」

 相手の声は聴こえない。

「——今日帰る時思ったのよねー? 静かで良さそうだなーって! ——————ん? あはっ! やっぱり? あははっ——!」


 ——もしかして、助けられたのか?

 俺が勝手に家に帰るのが普通と思い込んでいただけで、もし選択しなかったならば陽菜は左へ進んでいた——そういう事か?


「——しっかたねーなー? じゃあバイバイ」


 その通話が終わると、俺は安堵した。

 死なない選択をできたから救えた、そんな当たり前の事実に、安心する。

 見殺しにした奴らも本当は救えたのかもしれない。当たり前だ。当たり前だが、見ないようにしてた。

 あの少女の事があってから、強く責任を感じて避けていた。

 逃げていた。

 選ばない事を正当化していた。

 本当はどの分岐も、選ぶべきだったのかもしれない。たとえ助けられず殺してしまったとしても、この「死の分岐」を観る事ができるのはきっと、俺だけなのだから。

 一方的に責任を押し付けられたくはない。

 しかし——。


 実行しない事で生じる責任も、負いたくはない。

 

 映像は徐々に薄くなっていき、白い光に包まれる様に、していった。

 

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