第11話

 教室内がガヤガヤしているが、俺はそれに参加する気はない。まだ三限目が終わった所だというのに、限界が近い。

「涼太、調子悪そうだな。今日は部活休めよ」

 陸が顔に似合わず優しい言葉を掛けてくれる。

「そうするよ」

 というか、今日は最初から、部活に参加するつもりがなかった。道具も持って来てはいない。理由は寝不足だ。今朝は馬鹿みたいに早い時間に目覚めたが、そもそもその原因は夜遅くまで起きて寝落ちしたからである。動画なんて観ないでさっさと宿題を済ませるか、早く寝てから今日と同じ始まりを迎えれば良かったのだ。

 普段は寝不足なんて部活を休む理由にはしないのだが、今朝は何故か「無理をしてはいけない」と感じた。

 そしてそれは、正解である。

 多少の眠さは覚悟していたが、予想していなほど眠くはない。しかし体が重いし顔が熱い。服が体に擦れる感触も不快だし、まるで風邪をひいた時みたいだ。

 朝はむしろ、いつもよりも調子が良いくらいだったのに、急にここまで調子が悪くなるとは。たぶん昨夜は四時間も寝れていないのではないだろうか。目を瞑った時に時計を見ていなかったので逆算する事はできないが。

 昼休みは無理矢理にでも、目を瞑ろう。

「やっぱり昨日、頑張り過ぎたんじゃねえか?」

 そうかもしれない——いや違う。

「昨日お前らがしつこく訊くからだろ? だから帰りが遅くなったんだよ」

「気になるもんは気になる——でよ? 結局誰なんだ?」

 こいつ、俺を心配してくれてたんじゃないのか。

「言ったろ? まだ教えねえって」

 そう言いながら俺は、女子達の塊をチラッと見た——いつか言わなきゃいけねえよなぁ。でも好きな女なんていねーし。適当な女の名前でも出すか? でも誰にしよう?

「もしかして筒井か?」

 女子達を見たのが良くなかった。

「あ? 陽菜? ちげーから。それにあいつ、彼氏居るぜ?」

「マジで? ちょっとショック。でもその割には仲良さそうな言い方じゃん」

「……昔はな」 

 昔、という程でもないが。陽菜と話さなくなったのは去年の終わりくらいにあいつに彼氏ができたからだ。

「ふーん? じゃあ嶋田?」

「なんでだよ?」

 こいつは俺と嶋田のやり取りを見ていないはずだ。見ていた先輩方も、嶋田の名前を知らない。

「んー、なんとなく」

「ちげーし」

 他の女子なら適当にでっち上げても良いが、嶋田の事はそういう感じにしたくない自分が居る。話が広まって変な誤解をされたくないし、せっかく話掛けやすい女子ができたのだ。それを壊したくない。

「そう? じゃあ俺が狙おうかな」

 俺は女子達にまた目を向ける。

「……いんじゃね」

 嶋田と一瞬、目が合ったような気がした。


 そして昼休み——。

 母さんには悪いが昼飯はスピード重視で頂いた。そして机に突っ伏——そうとしたが、制止される。黒板近くの女子達の群れに居たはずの嶋田がこちらに寄って来るからだ。

 たぶん俺よりも後ろに用事があるのだろうが、今机に伏すと「目を逸らした」とか「逃げた」とか思われそうな気がする。いや、そんな風に受け取られる事はない気もするが、そうなる事に少しだけ抵抗があるのだ。

 果たして嶋田の目的地は——俺だった。

「奥田」

「ん?」

 俺は今気づいたフリをする。

「さっきコッチ見てたでしょ」

 ——ああ、やっぱ目が合った事に気づいてたか。

「見たけど、なんでもないよ」

 見た事は事実だし否定する事でもないので俺は素直に答えた。

「なんの話してたの?」

「んー、女子にはちょっと答えにくいな」

 本当に答えにくい。

「どういう事?」

「好きな女の話」

「ふん、答えてるじゃん」

 嶋田は鼻で笑ったが、別に馬鹿にした様子でもない。シンプルに口を閉じて笑った、そんな感じだ。

「お前らの方がそういう話するだろ? だからなんでもねーって」

 完全な偏見である。

「じゃあ私らの中に居たんだ、その好きな女ってやつ」

 俺が素直に答えたのは「訊かれても困らないアピール」だ。変に隠そうとしたなら勘繰られる。それでも「女子に話しにくい」としたのは「眼中にねー、とは思ってねーアピール」という高度なテクニックだ。今考えた。この先使うかどうかはわからない。何故なら全然効果がなかったからである。

「居るかもな」

「女々しいやつ」

 嶋田がこんな事を言うのは、この前話したのせいだ。

「いや、陽菜だけはないって。この前も言ったろ?」

 だが俺はその時、ただ仲が良かったとしか言ってない。それだけでこんな事を言うのはこいつが女子であるゆえの特性だろう。

「ふーん?」

「言っとくけど、居るかもって事は、居ないかもって事と同じだからな?」

「わかってるわよ。ただ気になっただけ」

「そうか、ちょっと安心。かんさわってなくて良かったよ」

「? なんで?」

「いや『お前見てただろ』とか、チンピラみたいだと思ってさ」

「馬鹿じゃないの? 見ただけでそうなるわけないじゃない」

 ——ごもっとも。

「ところでメシ食わねえのか? 俺は食ったからもう寝るけど」

「食べるわよ、じゃあお休み」

 そう言って嶋田は去った。

 俺は今度こそ寝ようと机に突っ伏す——が、寝れない。どうやら今の会話で目が冴えてしまったようだ。

 仕方がないのでスマホを見る。通知が来ていた。ただしそれは誰かからの連絡ではなくスマホに最初から入っているニュースアプリの通知だ。いつもなら無視して動画サイトを開くのだが、の事もあるし、気になってタップした。


〝殺人の疑いで30歳女逮捕 刺された夫死亡〟

 

 という見出しだ。何処にでもあるニュースだが下へスクロールして読んでみる。


〝29日午後6時15分ごろ、「夫を刺した」と女性から119番があった。警察が——————〟


 という、やはり何処にでもある内容。

 しかし俺は、一昨日の晩の母さんとのやり取りを思い出した。自分の旦那を刺す、なんて事をするなんて、よほどそうしたい理由があったのだろう。一歩間違えてたら俺の父さんも、このニュースみたいになっていたかもしれない。俺が女子に対して消極的になったのは、大人のそういう部分を見てしまっているからだ。今の両親はとても仲睦まじい関係といえるので、そんなに悪いものではないとも思えるが。

 男も女も、どうして恋愛なんてものが好きなのだろう。

 どうして陽菜は、彼氏なんか作ったのだろう。

 嶋田と話す時の俺は、どうして楽しそうなのだろう。


 空いている嶋田の机をぼんやりと眺めているうちに、チャイムが鳴った。


 

 

 

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