第9話

 今日はいつもより帰りが遅くなった。自主練もそうだが、他の連中にイジられた時間が主な原因である。楽しいが、疲れる。

 今日は風呂が沸いていたので夕飯よりも先に済ませる事にした。母さんから「寝るんじゃないよ?」と言われたが、やっぱりウトウトしてしまう。それでも寝なかったのは、腹が減っていたせいだろう。

 晩飯はハンバーグだった。かけられたソースはいつもの中濃ソースとケチャップを肉汁に混ぜたものだ。箸でハンバーグを切ると、更に肉汁と混ざり合う。ハンバーグをご飯になすりつけ、ご飯にも味付けを行った。この食べ方が一番美味い。添えられたブロッコリーにも皿のソースを擦り付け、口へと運ぶ。

 俺の口数はいつもと比べて少なかった。だが母さんは俺がモリモリ食べる姿を見て、とても満足そうである。期末テストが話題に出るまでは。

「最近すぐ寝るけど勉強してるの?」

「してる」

 嘘だ。すぐ寝ている。

「テスト、七月の初めでしょ? 来週あたり?」

 何故期末テストの時期を知っている?

 せっかく部活が楽しくなって来たのに、勉強というのは本当に邪魔だ。いつもは提出する直前に適当にパパッと済ませていたプリントや宿題も、テスト前だと量が多すぎてとてもじゃないけど捌ききれない。


 ——仕方がないけど、やりますか。

 シンクへ食器を下げて階段を登って部屋に入る。歯は後で磨けば良いだろう。

 机に数枚のプリントを広げた俺だが身が入らない。気分転換に動画を観る事にした。たまたま流れてきた海外のオーディション番組で、日本の芸人が裸でパフォーマンスをする。パンツを穿いているのに穿いていない様に見せるその芸風が、審査員や観客に大ウケしていた。素直に凄いと思う。

 やる気の出た俺は勉強を始めるが、動画を観ていたせいで、いつの間にか夜中になっていた。つまり眠い。少し休憩しようと思い、机に頭を乗せて目を瞑る。

 それが、間違いだった——。


 映像だ。今日もまた、あの夢だ。昼間は忘れているのに、この夢の中だと鮮明に思い出せる。

 昨日の夢は酷かった。俺が選んだ選択肢によって、オッさんが帰宅し刺されて殺された夢。「別の場所に寄る」という選択をしたならば、どうなっていたのだろう。


 そして今日の映像は——どこだここ?

 暗くて一瞬わからなかったが、白色の照明の形や建物の雰囲気で、そこが学校である事がわかった。ただし俺が通う高校よりもかなり綺麗な校舎である。それに、映像に映し出されていたのはだだっ広い駐車場だ。その全体が見える位置から目の高さぐらいで遠くまで映し出されている。視界の奥にはフェンスがあり、その奥にグラウンドなどがあるのだろう。俺の通う高校と雰囲気は似ている様だが外観はかなり違う。だから「たぶん何処かの学校」と言った方が、かなりくる。

 駐車場に停めてある車は少なく、職員達の大半は既に帰宅したのだろう。

 視界がフェンスへと近づいてゆく。正確にはフェンスの左脇にある校舎との隙間。

 その隙間に入ると更に遠くに背の高いフェンスが見えた。そうやって各競技のグラウンドに仕切りをしているのか。かなり金のありそうな学校だ。

 そしてパッと映像が切り替わる。

 視界いっぱいに映っていたのは、ドUPの照明器具。四角い枠組みの中に小さな丸が沢山ついたライト——これは野球なんかで使うナイター照明だ。

 カメラがそこから降りてゆく。距離は離れずただ降りる。

 天辺で点いている灯りと比べてその柱は夜闇よりもかなり暗く感じる。元々黒い柱であると錯覚してしまうほどに。

 そんな照明柱の根元まで下がると、更にその奥へとズームする。

 とても薄暗く見えにくいが、白の特徴的なユニフォームが動いていた。それは言うまでもなく野球のユニフォームだ。

 それを着た誰かが四つん這いになって、何かをしている。一つのところに留まっているわけでもなく、四つん這いで少しずつ移動している——何してるんだ?


「——分岐です。彼は諦めますか? それとも諦めませんか?」


 ——は? それだけ?

 この「それだけ?」の意味は一つだけではない。 

 まず映像が中途半端だ。

 野球部員であろう彼が何をしているかがわからない。そもそもユニフォームを着ているだけで彼が野球部員であるか断定するのは軽率だと思う。

 次に選択肢。

 「諦めますか?」と訊かれても、どう答えるべきか検討もつかない。昨日の夢の方がまだマシだ。自宅に帰るか寄り道するか、そういう具体的な行動が表示されていた。それでもあの結末を予想できるわけはないとは思うが。

 物事には諦めた方が良い事とそうじゃない事があると思う。それがノーヒントだと、どうすれば良いのかわからない。どうするのが自然なのか、わからないからだ。

 最後に。

「それだけ?」と思う選択肢から答えを導き出して、また昨日の様な嫌な映像を見たくない。

 どうすれば良いのか、本当に迷う。

 

『まもなく時間です。カウント10で自動的に彼の行動が決まります——10』


 今回は見送ろうと思う。

 昨日のオッさんがああなったのは、オッさんが浮気していたからで俺のせいではない。しかし俺が選んだ結果だと言われたならばやはり、そうなのかもしれない。

『9』

 一方的に選択を迫られて気分を悪くするのは理不尽だ。そもそもこれは、ただの夢。

『8』

 責任なんて感じる必要はないし、必要なんてモノも、ない。気楽に考えよう。

『7』

 だったら何もしなくても良いではないか。何も選ばなければ全部、俺の夢の中に居る「彼」のせいである。

『6』

 つまり、彼の自己責任だ。

『5』

 そういうわけで俺は、ただ待つ事にする。

『————1』

 いや待て。「選ばない」とは、「選ばないという事を選んだ」という事にならないか?

『0』


 ——映像が、動き出す。

 動き出してから気づいたが、彼が四つん這いになってガサガサしてるのは、草むらだ。ナイター照明の足下には、暗くてわかりにくいが短い草が茂っている——もしかして何かを探してる?

 しばらく同じような行動をしていた彼が立ち上がり、こちらを向いて近寄ってくる。影になったその顔から落胆がうかがえた。諦めたようである。


 場面が切り替わった。

 切り替わったが同じ場所だ。同じ場所の同じ位置。ただし照明が作り出していたコントラストが消えていて、代わりにまだ薄暗い空の光が草むらを照らしている。

 早朝か夕方か。

 この場所の方角がわからないので、明るさのイメージで判断するしかない。朝ならば四時から五時といったところである。


 視界が照明柱がそびえる草むらから離れて行き、そして反転した。カゴに入ったボールやら車輪のついたネットやらを準備している奴らがいる。やはり昨日の彼は野球部員だった。何故ならその準備している奴らの中に彼も居たからである。


 そして視界の正面にあるフェンスの裏——キャッチャーとかバッターが立つ場所の後ろにあるフェンスの裏から、ユニフォームの上に黒いブルゾンを羽織ったオッさんが歩いて出て来た。

「おはようございます!」

 一人が大声で挨拶すると、他の奴らも続いた。

「お前ら遅いぞ! 準備はもう良い!」

 オッさんは挨拶も返さず怒鳴って応える。

「——準備しなくて良いっつってんだろうが! さっさと集まれ!!」

 ぽかん、とオッさんを見ていた部員たちはハッとなり、皆んな駆け足で寄っていく。

「お前らはまず来るのが遅い。俺はお前らが来る三十分前にはここに居た。その時、あっちの草むらでこんなものを見つけた」

 オッさんが「あっち」と顔を一瞬向けたのは、ナイタースタンドが立つ草むらである。「こんなもの」とは、手に持っているボールの事だ。

「——誰か説明出来るか!?」

「じ、自分が説明します!」

 オッさんの怒鳴り声に対し前に出たのは、四つん這いをしていた、あの彼だった——。


 


 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る