第4話

 雨が地面を叩く音が聞こえる。この調子だと、今日の部活は屋内でやりそうだ。屋内、とはいっても俺の通う高校に屋内練習場などの設備はない。体育館もバスケ部やバレー部が使うので、俺達は廊下や階段で走ったり申し訳程度にあるウェイトトレーニング室を使ったりする。普段の練習はチームメイト以外と関わる事はないが、屋内の場合だと放課後ダラダラと残っている女子達との距離感が近いので、密かに俺は楽しみにしている。

 しかし、自室のカーテンを開けると外は雲一つない快晴だ。だが鳴る音は止まない。

 部屋を出て階段を降りると音の正体がわかった。母さんがせっせと作る、揚げ物である。

「母さんおはよう」

 リビングに入った俺は台所の母さんへ声を掛けた。無理矢理一本に縛られた中途半端な長さの髪が、うなじに数本垂れている。

「涼太? 今日は早いね」

「その音で目が覚めたんだって。なんで朝から揚げ物?」

 いつもは冷凍食品をフライパンで焼いたりする程度だったはずだ。俺と父さんの弁当の中身は大体同じなので、それくらいは俺にもわかる。

「ほら、お父さん今日から出張だから来週の誕生日を祝ってあげられないでしょ? せめてお昼くらいは豪勢にしてあげないと」

「あれ? 去年は祝ってたっけ?」

「そういう事は言わないの」

 去年は色々あった。だが父さんも母さんも今は仲良くしてくれている。それはきっと俺の為なのだから、俺も仲の良い家族の一員である事に努めなければならない。

「それよりその唐揚げ、俺のにも入れてくれる?」

「当たり前でしょ?」

「おっしゃ!」

「今日は朝から機嫌が良いね? いつもは眠そうなのに」

 ——機嫌が良い? 

 そう言われると確かに、そんな気がする。両親の前ではいつも「上機嫌」を意識する俺だが、朝は違う。眠い時はダルそうにするのが自然だ。だから朝だけは気張らず素の自分を晒している。つまり今はナチュラルにだ。

「きっと、早起きすると気分が良いとか、そんな感じなんじゃない?」

「じゃあ毎日早起きしなきゃね!」

「それはその日によるじゃん?」

 体も心なしか軽い。昨日は早く寝たし、そのせいかもしれない。

 夢を観なかった事も熟睡の証ではある。

 俺は他人よりも夢を多く観てそうな気がするので、気になって調べた事があった。どうやら夢を頻繁に観る人は睡眠の質が悪いらしい。というか、夢は誰でも必ず観るそうなので「覚えていない」というのが正確か。

 だから俺が昨晩見たであろう夢はきっと良い夢だったに違いない。その上で、忘れているだけなのだろう。

「お、涼太。今日は早いんだな?」

 父さんがリビングに入って来た。まだ四十代だというのに、黒髪よりも白髪が多い。

「それさっき私が言った」

 母さんが顔を、俺から父さんへと移す。

「父さんはいつもトイレが長いよな?」

 父さんを様な母さんの調子に、俺も乗った。

「ん? 良い事でもあったか? なんかお前、今日は機嫌が良いぞ」

「それもさっき、私が言った」

「きっと今日の弁当のせい。父さんのおかげだね」

「そう思うなら『誕生日おめでとう』ぐらい言ってくれ」

「父さんが帰って来てからで良い?」

「来月の話じゃないか」

 今日はとても爽やかだ。この気分はきっと夜まで続くだろう。そんな気がする。


 案の定、その気分は昼まで続いた——早寝早起き恐るべし。

 俺は弁当を取り出し教室を出る。

「あれ涼太? 今日は外でメシ?」

 クラスメイトであり部活仲間のさかりくが声を掛けて来た。俺よりも濃い日焼けのせいでその細い眉毛が見えない。別段太っているわけではないのだが身長が低いので全体的に四角く見える。顔も大きくて四角い。

「外で食える場所なんてある? 学食だよ学食」

「知らねー。てか誘えよ?」

 ちなみにいつも昼飯は教室で取っている。こいつと食べる時もあるし、別の奴と食べる時もある。一人で食べる時もあるが、女子と食べる時だけがない。

「お前も来る? たまには先輩でも誘おうとか思ってんだけど」

「じゃあ良いわ。バイバイ」

 そう言って陸は他の奴の所へ行った。こいつはこんな奴だ。露骨すぎる。

 俺も普段は上級生に混じって飯を食うなんて発想はないのだが、何故か今日は、そうしたい気分だ。

 真っ直ぐ学食へは行かず、階段を登り二年の先輩達が居る教室へ向かった俺だが、徒労に終わる。既に先輩方は教室から出て行った様だ。引退した三年の先輩方を誘って思い出作りに励むのも良いとは思うが、流石に気が乗らず、来た道を戻って学食へ向かう事にした。


 一階の廊下を歩く途中、後ろ姿の嶋田が目に入る。一人だ。普段はスルーする所だが、今日の俺は駆け寄る選択をする。

「嶋田、なんで一人?」

「えっ!? ああなんだ、奥田くんか」

 急に声を掛けた俺も悪いがそんなに驚かなくても良い気がする。

「他の女子はどうした? ホラ、筒井、とか」

 嶋田はいつも陽菜と一緒のハズだ。陽菜と、他の女子達と昼を取っていたハズ。

「陽菜なら教室に居るよ? 私は今日は別」

「なんで?」

「なんででも良いでしょ?」

 嶋田は少しだけムッとした顔になる——なんだ? 喧嘩でもしたのか? まぁ良いか。

「そっか。じゃあ俺行くよ」

 機嫌が悪そうな奴と話してても気まずいので、俺は足早に立ち去ろうとする。これがイケてるメンしたヤローなら膨らませる話もあるのだろうが、残念ながら俺は、イケてるメンではない。


「ちょっと」


 嶋田が俺を止めた。

「ナニ?」

「そっちこそ何? いきなり話しかけて来て」

 確かに。

「あ、悪い。怒らせたみたいだから」

 取り敢えず謝っておけば良いだろう。

「怒ってないけど」

 そういう奴は大抵怒っている。この場合は声を掛けた俺が悪いが、そんな態度を取らなくても良いんじゃないか?

「じゃあなんでボッチ?」

 俺は更に相手の機嫌を損ねそうな言葉を選んだ。俺も多少、気分を害しているからである。

「ぼっ……!」

 ほらまた怒った。だから女は嫌だ。何故俺はこんな奴に話し掛けたのだろう。

「何があったか知らないけど俺、今日は気分良いんだよね。だからバイバイ」

 気分が良い内に退散したい。

「奥田ってそういうヤツだったの?」

 嶋田が俺を呼び捨てにする。

「どういう奴だよ?」

「一方的に人を怒らせてさっさとどっかに行く奴よ」

 怒る奴が悪い。というか——。

「やっぱ怒ってんじゃん」

「はぁ……もう良いわ。どっか行って」

「そうする」

 俺は再び背を向ける。

 だが少しだけ反省もする。今の俺は確かに嫌な奴だ。それに、いきなりキレるのは女子の本能なのかも知れない。

 そんな悟りに近い何かが俺に、普段とは違う選択をさせた。


「——なあ嶋田、やっぱり俺が悪かったよ。俺で良ければハナシ、聞こうか?」

「えっ?」


 俺もくるくるくるくる、忙しい奴だ。

 


 

 



 


 

 


 


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