第5話

 久しぶりに学食に来た。初めて来たのはいつだったか。

 初めて来た時と同じく白い長テーブルが規則正しく置かれているその空間は、この学校内では珍しく広い。普通の教室二、三個分くらいの広さだ。

 入り口の券売機の前で生徒達が並ぶが昼休みに入ってからそれなりに時間が経つので、長い行列、というわけでもない。学年ごとにテーブルが区分けされてるわけでもないが、それぞれの奴らがタメ語で話している所を見るに、それぞれ仲の良い奴らで固まっているのだろう。

 空間の奥にあるカウンターの右端ではオバさんが生徒から食券を受け取っているのが見える。その左では配膳を待つ奴ら。更に左へ進んだ端っこには食べ終わったぼんが下げられており、それを手早く片付けて奥で洗う別のオバさんも見えた。

 俺は食券を買う必要がないので、適当に空いている席に座った。既に誰かが使った後の様でこぼれたソースか醤油か何かを拭き取った跡がある。


「——涼太! 弁当あんなら教室で食えよ」


 背中から声が聞こえてそちらに向くと、近くのテーブルに先輩方が居た。既に食事を終えている様で汁だけが残ったわんなどが見える。うどんか蕎麦でも食べたのだろう。

「お疲れっす。ツレと一緒なんすよ。ほらあそこに並んでる奴です」

 俺はカウンターに並んでいる嶋田を指差した。ちょうどこちらを見ていたようで、嫌そうな顔をしている。

「はぁ!? お前女連れて何してんだ!? しかもちょっと可愛いじゃねえかコノヤロー!」

 先輩が大袈裟に驚いたフリをする。

「違いますって! そんなんじゃないっすから!」

 そう言う俺だが、少し誇らしい。

「お前、後で見てろよー?」

「何も悪いことしてないのに! てかタツヤくん達こそ食べ終わったなら席空けて下さいよ?」

 イジられるついでに先輩へ軽口を叩く。

「あいつ調子に乗ってんな?」などと別の先輩も騒ぐが、一人が立ち上がり皆その後に続く。

「いいか涼太! 今俺らはお前に気ぃ使ってやってんだからな?」

「あざすー」

「……アイツ、やっぱ後でシメとくか」

 そう言いながら先輩達は盆を持って席を立った。途中、コチラにくる嶋田と俺の方を交互に見て、ニヤニヤする——ああコレは後で根掘り葉掘り聞かれるパターンだな? 

 練習中もそうでない時もゆるーい、良い先輩達である。


「先輩?」

 嶋田が席に盆を置いた。

「うん先輩。別に変な事話してないから」

「うそ。ゼッタイ変なコト話してたでしょ」

「それよりソレ、ゼッタイいヤツ」

 嶋田が置いた盆には冷やし中華が載っている。円い皿の上には程よくスライスされたトマト達と細くカットされたハムの塊が対角に盛られ、トマトの隣りにはハムと同じほどの細さのキュウリが並ぶ。そのキュウリの対角にはヒモみたいな卵焼きの塊があった。具達の下からは麺がはみ出し、胡麻油と酢の匂いが漂ってくる。

「もう」

 先ほどよりは不機嫌そうじゃない。

 俺もいつもよりも大きめな弁当の包みを開き、その中身を披露した。

「うわ母さん、やり過ぎでしょ」

 中身に思わず声が出る。

 二段重ねの上段にはいつも通り、ご飯が入っている。ただし今開けた蓋の裏側には冷やし中華に入ってるのと同じような細い卵焼き、そして海苔、ピンクの魚肉が薄くこびりついていた——散らし寿司である。当然酢飯の匂いも漂うが具の間から見えるそれは、炊き込み飯だった。

 俺は下段も開ける。

 そこには今朝見た唐揚げと少ししなびたレタス、半分に切られたミニトマト、ポテトサラダ、ひじきの佃煮なんかが敷き詰められていて、その豪勢さに、少しだけ気恥ずかしくなる。

「……ねえ奥田くん?」

 嶋田が俺に言った。

「何?」

「いや、なんでもない」

 なんでもなくはないだろう。

「いや父親の誕生日が近いから母親が張り切って。あ、父さん今日から出張だから昼だけは豪華にって言ってて俺も弁当の中身同じだから。でも母さんがここまでするとは思わなかったなー?」

 俺は「なんでもない」と言われたのにも関わらず早口でベラベラと喋る。しかも父親と母親、父さんと母さんという単語が入り混じっていた。

「はぁ……奥井くんは良いね、お弁当作ってくれるお母さんがいて」

 また嶋田が不機嫌になる。

「? 嶋田だっていつも弁当食べてなかったっけ?」

「私は自分で作ってるの」

 言いながら嶋田が卵に箸をつけた。俺も唐揚げを摘む。

「ふーん? 凄いじゃん。料理好き?」

「そうじゃない。仕方なく作ってるのよ。ホントはすごい面倒臭いんだから」

「じゃあ作んなきゃ良いだろ?」

「親が作れってうるさいの。奥井くんにはわかんないだろうけど」

「まぁ、確かにわかんねーけど」

「そうだよね、ゴメン」

 嶋田のテンションが少し下がった。

 今のは俺が悪いかも知れない。いや、普通なら勝手に、むくれたりする奴が悪いとは思う。しかし忘れかけていたが、話を聞く為に俺はこいつを昼飯に誘ったのだ。返事が少しそっけなかったかもしれない。

「んーとさ、今日はなんで作んなかったんだ?」

「寝坊」

「はい?」

「寝坊したから作れなかった」

 あまりにシンプルな答えに俺は拍子抜けした。

「そ、そうか。まぁ自分で作るってなったら色々大変だよな? でもいつもは早起きしてるんだろ? やっぱ偉いって」

「……そう思う?」

 ——面倒くせえ!

「そ、そうだよ。それで? なんで他の奴らを誘わなかったんだ? いつもみたいに一緒に食べれば良かったじゃん。でもさ。俺だって自前のヤツ食べてるし」

 さっき他の奴らを見た感じだと皆んながみんな、食券を買って食事をしているわけでもない。

「誘ったよ? でも『移動するのシンドイ』って断られた」

 ——なんだそれ?

に?」

「うん、陽菜が」

 こいつら親友じゃなかったのか?

 いや——。

「あいつ、そういうトコあるからな。確かにしんどいかも、嶋田のほうが」

「そう! 自分勝手なのよ陽菜は!」

 急にまた嶋田のテンションが上がった。

「そ、そうだよ。自分勝手なんだ、あいつは」

「そうよ! 今日寝坊したのだって陽菜のせいなんだから!」

「へ、へー?」

 嶋田の冷やし中華は全然減っていない。

 俺がわざとらしく自分の散らし寿司に手をつけると、嶋田は少し落ち着いた様に麺をすすり、続きを語る。

「今日私が寝坊した原因は陽菜よ。昨日いきなり陽菜が夜、電話してきたの。『今日はステキな一日だった』とかなんとかで。良いわよね陽菜は。彼氏がいて毎日楽しいんだから。最近私と遊んでくれないし。お昼だけでも一緒にいたいから誘ったのに。『寝坊するのが悪い』って」

 声の大きさが収まってはいるものの、怒りは依然ヒートアップの真っ最中であるらしい。

「ま、まあまあ。がああいう性格なのは今に始まった事でもないし」

「そういえば」

「ん?」

「奥田は陽菜の、なんなの? さっきから親しい感じで名前言ってるけど」

 また呼び捨てで名前を言われた。

「お、俺——?」


 表情も感情も、そして話題もコロコロ変わる。やっぱり女は面倒くさい。

 そんな事を考える俺だが、今の時間をあまり憂鬱に感じてはいなかった。


 

 

 

 


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