第21話 天ヶ崎舞羽と頭なでなでの刑


「………………………………」


「………………………………」


「………寝たのか? 舞羽」


「………………………ん」


「………寝たならやめるが」


「お、起きてます! 起きてる起きてる起きてるから! まだ寝れない! 全然眠れないよっ!」


「……お、おお、そうか……」


 ベッドに入ってから、明らかに舞羽の様子がおかしかった。


                  ☆☆☆


 ババ抜き対決の決着がついてすぐ、舞羽は「おトイレ!」と言って部屋を出た。ベッドから1歩も出たくないのだろう。歯を磨き、化粧水や乳液によるスキンケアをこなし、ストレッチを丹念にやり(僕も無理やり手伝わされた)、寝る前の準備を完璧にこなして、舞羽は部屋に戻ってきた。


「ほら早く、はやくっ」


「楽しそうだな……」


「うん!」


 舞羽の目はキラキラしていて、僕の心など微塵みじんも気づいていないようにベッドの方へと引っ張っていく。


 この様子では舞羽は夜更かしをするのではなかろうかと思われる。勝ち取った『寝るまで頭なでなで』を骨の髄まで堪能すべく、夜通し起きているのではないだろうか。


「ちゃんとブラックコーヒーも飲んできた!」


「あ、そう……」


 夜通し起きているつもりのようだ。


 僕は諦念ていねんに近い感情に満たされた。舞羽を部屋から追い出したとしても鍵を開けて侵入してくるだろうから意味が無い。僕が嫌だと言っても必ず約束を履行させられるだろう。


 こうなったら覚悟を決めてしまったほうが男らしいのではないか。


 気骨ある男は女性に恥をかかせない。約束を破れば、僕は舞羽に恥をかかせることになるのだ。自分の決めた事を曲げる事ほど格好悪い事は無い。


「分かった……舞羽。僕も男だ。覚悟を決めたよ」


「……ん? うん。よく分かんないけど、凛々しい顔してるね」


 僕は覚悟を決めた。舞羽が一晩中頭を撫でろというのなら撫でてやろう。そうして彼女の色香に惑わされること無く頭を撫できり、僕の貧弱な理性を鍛え上げる。その鍛錬に使わせてもらおうと決めたのだ。


「さ、おいで。舞羽」


 僕は先にベッドに潜り込んで横向きになると、掛布団をはぐり、舞羽が収まるべきスペースを手でぽんぽんと示す。


 僕はやると決めたことはやり通すし、それを行う事で自己の鍛錬に繋がるならどんな苦行でも進んで受ける事にしていた。むろん、これは僕にとっては苦行である。精神の鍛練である。舞羽のマシュマロのごときボディと桜のごとき色香に屈さぬ強靭きょうじんな精神力を養うための試練である。


 驚くべきことに本気でそう思っていたのである。


 今にして思えばこれが僕がおかしくなり始めた最初の段階だったのかもしれない。


 僕は、自分のやっていることがどれだけ破廉恥かを自覚せずにやっていたのだから恐るべき童貞力である。


 この時ばかりは舞羽の方が正常だった。


「へ? おい……で……、え? え?」


 舞羽は電池が切れたロボットのように固まった。突然積極的になった僕に戸惑っているようだったし、このシチュエーションにドキドキしているようでもあった。


 耳の先まで真っ赤に火照りきって、呼吸を忘れたようにあんぐりと口を開けて、目だけはやたらキラキラと星屑ほしくずのように濡れていた。


 僕がもう一度「おいで」と言うと、舞羽はやたら従順になってぎこちなくベッドにあがった。


「あ……あの、あの」


「ん、どうした?」


「よろしく……お願いします」


「うん。まあ、痛くはしないからさ。ていうか痛かったら言って」


「ひゃ、ひゃい………」


 その日、舞羽は一睡もしなかった。ブラックコーヒーが効いたのかそれとも別の理由なのかは定かではない。


 ただ、次の日の朝、舞羽がぽつりと呟いた言葉だけが謎であった。


「頭なでなでの刑は、私にとっての拷問だった」


 僕はただ頭を撫でていただけなのに、まったく、不可解である。

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