第20話 天ヶ崎舞羽と公開ババ抜き


 これは夏休みの、舞羽が僕の家に泊っていたときの話である。


 2人で出来るババ抜きを考案したから遊ぼうと言うのだ。そのルールがちょっと特殊だったので書き残しておくことにする。


「あのね、あのね、ババ抜きって運の要素が強いから、もっと頭を使って戦略を立てられるようなゲームを考えてみたの!」


「……それが、これか?」


 僕らの目の前には表向きになったトランプが数枚ずつと捨て札の山があった。


 舞羽は風呂上りなのか、水色の水玉模様のパジャマを着ていた。シャンプーの華やかな香りがふんわりと漂い、湯上りの髪の毛をストンと垂らして清流のごとき滑らかさ。半袖太もも丈のパジャマの子供っぽさと大人びた雰囲気の相反する舞羽の可愛さをもっとも象徴していると言えるだろう。


「名付けて『公開ババ抜き』だよ! ルールは普通のババ抜きとほとんど一緒なんだけど、ちょっと違うのが手札を表向きにしておくのと、ババを持ってないターンが3ターン続いたら負けってことかな。あと、ババを取られたターンに取り返すのも禁止ね!」


「なるほど? 最初にジョーカーを引いたヤツが不利になるのを避けるためにターン制限を設けてるわけだな」


 舞羽にしてはしっかりルールを考えている。おそらくどこかで見たか読んだかしたのだろうけど、面白そうだ、と思った。


「それで、負けた人が勝った人の言う事を何でも聞くの! 私が勝ったら、ゆうは『私が寝るまで頭なでなでの刑』ね!」


「………いいよ。なら、僕が勝ったら舞羽には君の部屋で寝てもらおう」


「うん。じゃあ、スタート!」


 こうして、互いの願望をかけた仁義なきババ抜きが幕を開けた。


                  ☆☆☆

 

 舞羽が短期集中型の秀才であることは以前言ったと思う。どんな事にでも凄まじい集中力を発揮するクセにころっとスイッチがオフになるアンバランスさが舞羽を舞羽たらしめるのだと思うが、その双方が合わさった時―—まあつまり、やりたい事に集中するときは、他の事が目に入らないくらいの集中力を発揮するのである。


 公開ババ抜きをただのババ抜きと侮るなかれ。手札が見えているんだからターンを残しておけばいいじゃんと思うだろうけれど、それは相手からすれば、3ターン後に決着がつく状況を作ればいいだけの話である。それだけで僕はババを取らざるをえず、その際に手札が2枚になっていたら負けが確定する。勝ちに至るまでの道筋は1ターンごとに狭くなり、自分の手番では10分を超える長考をようし、相手の手番を一手読み間違えると完全に不利になる。あえてババを取ってターンを管理する必要がある、先読みとかく乱が重要なゲームなのだ。


 そのことに気づくのが遅れた僕は、始まってそうそう窮地に立たされていた。


「……これ、まずくないか?」


 いわゆる二人零和ぜろわ有限確定完全情報ゲームであった。運の要素が一切なくお互いが最善手を取り続ければ必ず先行有利か後行有利かが決まっているゲームの事をそう呼ぶが、将棋とかオセロがこれに当たり、まさかトランプで聞くことになるとは思ってもみなかった。


 僕の手札は6枚。舞羽の手札は5枚。勝負が決するまでには5ターンが残っているような状況。ジョーカーは僕の手札にあり、後行の舞羽はこのターンにジョーカーを取る事が決定している。そのターンは舞羽が取って終了だ。


「……………」


 トランプは花札よろしく床にならべてある。舞羽は集中しているのか無言で身を乗り出して僕のジョーカーを取った。


 とはいえ、僕が勝つためにはこのターンで再びジョーカーを取らなければならない。それは、ジョーカーを取ったターンを1ターン目にカウントされるということと、3ターン目に取った場合、取れる手札が無くなって、僕の負けが確定するのである。どうやら先行後行が一巡して1ターンとカウントするらしいから、先行の僕は理論上ジョーカーを毎ターン取る事が可能なのである。


 寝るまで頭なでなでの刑などとても耐えられない。僕は禁欲生活をしたいわけでは無いが、舞羽は、なぜかそういう目で見たくないのだ。安心感の象徴とでも言うべきか。舞羽にはいつも横にいる存在であってほしい。僕は自分が弱い事を自覚している。きっと、一線を越えたら同じように見られなくなるだろう。それは嫌だ。


 僕の理性を守るためにも、僕はこのターンでジョーカーを取る。これは勝つためではなく勝ち筋を見出すための一手だ。


「……僕のターンだ」


 ところで、舞羽が来ているパジャマは生地がサラサラした風通しのいいパジャマであった。鎖骨が見えるくらい広い襟元。袖口がヒラヒラしており、裾はふわふわ。夏は涼しいけれど、その防御力はスカートよりも低いのでは無いかと思われる。


 舞羽は濡れた瞳で一心にトランプを見つめて、集中しすぎた体はトランプの上に覆いかぶさるようだった。


 それが悪魔の罠であった。


 とうていパジャマでは支えきれない舞羽の胸と緑色のレースのブラジャーの紐が、前のめりになった襟元から、とてもよく見えていた。


「バッ――――――、おまえ! 姿勢を正せ!」


 思わず凝視してしまった僕は軽くパニックを起こして、目をそらしたままトランプをひったくった。


「ま、間違えた! これ、ハートのキングじゃないか!」


 それが悪かったのだ。僕の手の中にはジョーカーは無く、ピンクのおじさんがいた。悪魔のごとき笑顔を浮かべているように見えた。


 僕はやり直しを要求したが、舞羽はダメだと言って聞かなかった。


「それはダメっ! 間違えたゆうが悪いもん!」


「お、お前があんな姿勢になってるから悪いんだろ!」


「…………?」


「無自覚か!」


 それから、あれよあれよと試合が進み、舞羽は定まった勝ち筋に沿ってトランプを取っていく。


「やったーー! 勝った! 勝ったー!」


 満面の笑みとバンザイのポーズで、体全身を使って喜びを表す舞羽。あそこで取り違えたのが決定的な敗因であった。3ターン目でジョーカーを取る事になる僕にはゲームの主導権は無く、残り3枚の手札のうち、舞羽がジョーカーを取るわけが無いのだ。


 一瞬の気の緩みが勝敗を左右する事がある。それを僕は肝に銘じておかなければならないだろう。


「じゃあ、ゆうには、『私が寝るまで頭なでなでの刑』を言い渡します!」


 これから始まる長い夜。僕は気を張り詰める必要があるのだから。


 舞羽は、僕の腕の中に飛び込んで、ふにゃっと笑った。

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