第16話 天ヶ崎舞羽と開かない箱


 人は『箱』と対峙したときに、一種神妙な気持ちになるものである。


 それは人の生活のあらゆるところに箱が存在するからに他ならない。プレゼントを箱に包んだり、思い出の品を箱にしまっておいたり、暖かい気持ちを形に現すための形状として人の意識に記憶されているのが箱ならば、同時に、ゴミ箱、ブタ箱、パンドラの箱。見たくないものに鍵をかけるときも箱に入れるのである。


 喜怒哀楽の様々な感情を包み込むのが箱である。


 それは一見して何が入っているか分からない。だからこそ人は箱を見た時にちょっと警戒するのであり、ことに正体の分からない箱には恐怖すら覚えるものなのだ。


                  ☆☆☆


 それは僕の通学カバンの中からとつぜん姿を現した。


「なに、この箱?」


 藤宮氷菓が僕の目の前に置かれた木製の箱を取り上げてじろじろと眺めている。10センチ四方の手のひらサイズの箱であった。組み木細工のように木材が互い違いに構成されており、一見して蓋のようなものは見当たらない。指で叩くとこぉんこぉんと内部で反響するような音を返すから、それが空洞である事は分かるのだけど、これがどうやって開くのかは分からない。唯一ヒントになりそうなのは木材に彫られた星や三角のマークくらいだろうか。それもまったく意味が分からないけれど。


「おそらくパズルのようになってるんだろう。正しい順番でパーツを動かせば開くとか、もしくは鍵になってるパーツを外せばバラバラになったりね」


「ふぅん……」


「でも、ぜんぜんダメだ。どこを触っても開く気配無し」


 僕はお手上げのジェスチャーを取った。


 朝のホームルーム前の登校時間であった。夏休みと言っても夏期講習がある。教室のそこかしこから「おはー」という元気な声が聞こえ、教室の喧騒は次第に圧を増す。


「壊せば開くっしょ!」


 と、藤宮が手を振り上げて箱を叩きつけんとする。僕が慌てて彼女の手から箱を奪い返さんとする騒動に何人かの生徒が気づき、「それなに?」と興味を持ってしまった。


「いや、あの、なんだろうね、これ……」


 僕は困り果てた。


                  ☆☆☆


 ところが、その日は箱を開けることができなかった。授業時間を目いっぱい使っても壊す事すら出来なかったのだ。よほど頑丈に組み合わさっていたのだろう。二人がかりで引っ張っても踏みつけてもビクともしない。どうにか鍵穴らしき隙間を見つける事に成功したが、その頃にはクラスメートの熱は冷めており、最後まで戦い抜いた猛者は僕を除けばパズル同好会のオタクとかの物好き数人だけだった。藤宮氷菓は早々に飽きてどこかへ行った。


「このマークに何かしらの意味があるとしたら、それは僕達の文明じゃ理解できないものなのでしょうね」


「もしくはオーパーツか、ですね。いずれにせよ、この箱を開けた時によくない事が起こるのは疑いないと思われます」


「普通に専用の鍵で開けるんじゃないの?」


 彼らは思い思いの所感を述べて去って行った。


 しかし、僕はどうしても納得がいかなかった。どうにかして開ける方法がないものか? 教室に一人残って開かずの箱と格闘していた。


「これは、なんなんだろう?」


 だいたいどこから現れたのかも分からないのである。僕がこんなものを学校に持ち込むはずもない。


 とすると、誰かが僕のカバンに箱を忍ばせたことになる。


 そんなことが可能な人物は………。


 教室のドアがからりと開いて誰かが姿を現した。


「ゆう~、帰ろ~~?」


 天ヶ崎舞羽だった。


 まるで色とりどりの花が咲くような香りが、とたんに鼻腔をくすぐるのだから不思議なものだ。彼女の持つふわふわした雰囲気がそう錯覚させるのだろうか。教室中の空気が和らいだように感じられて、僕は思わず頬を緩めた。


「よぅ、用事とやらは済んだのか?」


「うん。ちょっと友達の勉強見てたーー………あれ、その箱……」


 僕のもとに、とてとて駆け寄る舞羽の表情が次第に固まっていく。


 放課後に用事があると言う舞羽を待つ間、僕はずっと開かずの箱と格闘していたのだけれど一向に成果が上がらなかった。


 考えてみれば、なぜ舞羽に相談しなかったのだろう? 彼女はああ見えて頭が良いのだから、何か似たようなパズルだったり組み木細工を知っていたりするのではなかろうか。そうしてその知識を活かして快刀かいとう乱麻らんまを断つがごとくすっぱり解決してしまうのではないか。


 僕がそんな期待を胸に、箱を手に舞羽に歩み寄ると、


「わ、わ、わあ~~~~~~~!」


 と、舞羽は箱を奪い取ってしまったではないか。


「え、なに!? どうした!?」


 僕は訳が分からずにビックリした。が、彼女の、箱を隠すように胸に抱えて頬を赤らめる仕草にピンとくるものがあった。


「さては、これ、お前のだな?」


「…………うん。失くしたと思ってた」


「……なるほど。これはなんだ?」


 僕が訊ねると、舞羽はチラッと僕を見上げて、「………作ったの」と言った。


「……作った? この組み木細工をか?」


「ルービックキューブ。作ろうとしたら失敗した」


「自作の……? ルービックキューブ? えっ?」


 僕は一瞬、彼女が何を言っているか理解できなかった。けど、目の前にいるのが舞羽なのだと思うと、「まあ、そういうこともあるか」といった気持ちになって、僕はそれ以上聞こうとはしなかった。


「いいから帰ろっ、ね? 帰ろ?」


 舞羽に促されるまま、僕たちは教室を後にした。


                  ☆☆☆


 学校から帰った後の舞羽の自室での事だ。これは僕の知らない話である。


「……はぁ、どうしてあんな嘘ついちゃったんだろ。ルービックキューブなんて、そんなの作るわけないじゃん」


 舞羽は頬杖をついて、物憂げにため息を吐いた。


 舞羽の机の上には、僕のカバンに入っていたのと似たような木の箱が置いてあった。短い棒が伸びている。いま、二つの箱が机の上に置かれていた。


 彼女はそれらを組み合わせて、持ち手の短いダンベルのような形にすると両端の箱を捻った。すると、箱の回転に合わせて木材が動き出してある形を作っていく。中に歯車が入っていてパーツを動かす仕組みらしい。


 それはハートの形をしていた。


 片方を失くした時は本当に焦ったけれど、気づかれなくて良かった。


 舞羽はしばらくそれを見つめていたけど、やがて深いため息を吐きながら机に突っ伏して「………意気地なし。ばか。私のばか」と言って、胸がきゅうっとなるのを感じていた。


「……………………」


 やがて彼女は目を閉じて、自分の気持ちを確かめるようにその名前を口にした。


「……ゆう」


 今にも泣きだしそうで、甘い吐息。


「……ダメ。自分で、言わなきゃ」


 机のそばには『二人で作る恋の形』と題された空箱が転がっていた。



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