第4話 教えてドクター

 突発性女転とっぱつせいにょてんに限らず、性別適合手術などを通して性転換が行われると、女性ホルモンや男性ホルモンの分泌により、恋愛対象に変化が見られることはあり得ます。しかし、あくまで個人差があり——


「だから……!」

「個人差がある」でまとめられる当事者こつちの身にもなってくれよと、ついそう思ってしまう。


 結局、調べてみてもよく分からなかった。

そもそもデータが少ない。

突発性女転に該当する者が、およそ20人というだけでも微々たるもの。

 しかもそのうち、自らインタビューに答えた者、人権啓発などを積極的に行っている者など、大々的に情報を発信しているのは2人ほどと、詳細なことは本当にわずかしかない。

20人というのは、ただの数字に過ぎなかった。確認された国の名前があるだけで、名前などの個人情報は厳重に守られている。


 今朝、電車内で僕が見た、女転のすえに妊娠した人について書かれた記事には、その人の住む国名すら明記されていなかったし、大体あの記事のソースはあやふやだったかもしれない。

……あやふや?


「うん、違うな。たぶんこれは恋じゃない、よな? ……うん! 恋じゃない!」


 そうだ、あやふやなんだ。

第一に僕は、恋というものをまだ分かっていない。中学の頃は、男子にも女子にも特別な気持ちなど抱いたことがないと思う。

なんなら、事あるごとに下ネタを発する男子に内心少し引いていたし。


 初恋もまだ知らない。

そんな僕が、体調を心配されたくらいで勘違いしてはいけないな。

それに今の僕は、日本における女転のパイオニア。特殊な状況に身をおかれて混乱しているのだろう。だから先輩のことも、少しだけ考えてしまうだけで……


[まだちょっとしんどいので、晩ご飯の時間まで寝てようと思います。心配してくれてありがとうございます]


それだけを送信すると、仮病を使ったことに今さら罪悪感を覚えた。


 そして僕は、思い出したようにトイレへ向かった。万が一のために、母さんには悪いが拝借しようと思うのだ。

トイレットペーパーが補充されている棚に、確かナプキンがあったはずだ。使い方はよく分からないので、ひとまず1枚だけ抜き取って部屋に戻る。


 明日は土曜日。女転をわずらった僕には行くべきところがある。


◉ ◉ ◉


 翌日の11時。静かな時間が流れている。

女性ばかりの空間に気まずさを感じた僕は、ソファの端で、絵本の本棚を盾にするように座っていた。

僕と同い年くらいの女性もいれば、大きな腹を優しくさする女性もいる。


山本雄一郎やまもとゆういちろう様」


 診察室から姿を現した看護師が僕の名前をあっさりと呼ぶものだから、周りの女性たちがチラチラとこちらを見てくる。

待合室にいるだけなら誰かの付き添いとして見られたかもしれないが、男子高校生が単品で呼ばれる光景はやはり珍しいのか、視線はそれなりに感じる。恥ずかしい。


「こんにちは。どうぞ、かけてください」


 診察室には、白衣をまとった60代くらいの医師がいた。丸椅子に腰かけた僕は、つい体をこわばらせてしまう。

「そんなに緊張しなくても大丈夫。……あ、山田さん、ちょっと席を外してほしいかな。男同士のほうが、いろいろと話しやすいだろうからね」

 男性医師は、僕を診察室へ案内してくれた女性ナースへ穏やかに呼びかけて、この空間には僕と男性医師の2人だけになった。


「えー、山本さんは今日、初めての来院というわけだけど、パパになった気分はいかがですかな?」

「えっ? いやいや、ちゃいますよ! そういうわけやなくて!」

「はっはっ、冗談ですよ。生理のことについて、お話が聞きたいんだよね」


 周りに他の看護師はいないということで、僕は意を決して打ち明けることにした。

いつまでも隠し通せるものではないし、産婦人科に来ればきっと大丈夫だ。

……とは言っても羞恥心が強くて、信じてもらえるか不安なので耳を近づけてもらった。

彼は不思議に思いつつも、耳打ちをされる体勢に入っている。


「実は僕、体が女になったみたいで……」


 男性医師は無言でこちらを向き直し、しばらく沈黙した。気まずい。

やがて口を開いたのは彼のほうだった。

「……ごめんね。パパになったとか何とか、デリカシーのない冗談を言って。君の冗談はなかなかいい線いってると思うよ」

「いや、違いますよ。冗談で言ってるんじゃなくて、女体化したと言いますか、下半身が引っ込んだと言いますか、1年まるまる女の子というか、うん……突発性女転です」

「突発性女転!?」


 突然の大声に肩が跳ね上がってしまった。

今の声が外に聞こえてしまうという心配よりも、椅子から転がり落ちた男性医師の心配のほうが先だった。そこまで驚かなくても……


「す、すまない、つい大きな声を出してしまった。えっと、突発性女転……悪いけど、女転の治療法はまだ確立されていなくて。いや、そもそも君、本当に女転を罹患したのかい?」

「……見せましょうか?」

「あ、うん。拝見させていただきます……」


 立ち上がってズボンを下ろす。相手は医者だし、こちらはそれほどボーボーというわけでもない。恥ずかしがっていても仕方ない。

前のほうだけをずり下ろした僕と、それを前のめりに見つめる男性医師。

 そして彼は口を開き——


「こりゃあ……まごうことなき女性器だね」


と、独特な感想を述べた。

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