第5話 新たな日常

「ゆう―紙飛行機作って」

「はぁ?またかよ」

小学生の小さな手から渡されたのは羽根が大きく曲がってしまった紙飛行機だ。自分の作った紙飛行機はよく飛ぶと評判になりせがまれて作る事十数回目。もうそろそろ飽きてくれないだろうかと考えるも紙飛行機を投げて飛ばすだけでも子供達は楽しいらしく延々と僕が折ってやった紙飛行機を飛ばし続けている。

「やっほー、調子はどう?」

「あ、かなめだ」

その声に顔を上げて紙飛行機を折るのを中止する。

「あのね、ゆうの紙飛行機すっごく飛ぶんだよー!」

「皆で飛ばしっこしてるの」

「もうすっかり懐かれてるねー良かった良かった」

笑顔で子供たちの頭を撫でるかなめはまるで母親の様だ。そのかなめが言うのだから子供達には懐かれているのだろう。僕がこの組織に来てから一か月が経とうとしていた。初めから警戒されている事は無かったが最近は距離が近くなったというか、最初にあったどこかよそよそしい雰囲気も消えている。

「で?なんか用?」

「あっ、そうそう。今日お野菜沢山貰ったからお鍋にしようと思ってて、お手伝いを頼もうかなと」

「なるほどね」

「お手伝いするー」

「僕もー」

「はーい、じゃあお野菜切りたい人は手を挙げてー」

「はーい!」

「お肉はー?」

「お肉は無いかなぁ、ごめんね」

それに不平を漏らす事もなく、子供達はキッチンへ向かう。ここにいる子供達はわがままを言う事が殆どない。少しそれを異常に感じるのも確かだ。

「いい子達で本当に良かったよ」

そんな心中を察してかたまたまか、かなめは肩をグルグルと回しながら呟く。

「あぁ、文句も言わず、大人しく遊んだり勉強したり…妹と比べたらすらべものにならないくらいいい子達だな」

「うん、気を遣ってくれてるんだよ、あの子達も。ここ以外に居場所が無いから」

その声は少し悲し気な色を纏っていた。しかしそんな色はすぐに霧散し、かなめはこちらに驚いた表情を見せる。

「ゆう君、妹さんいたの?」

「姉と妹がな、もういないけど」

「そ…っか」

「そんなやつばっかりだろ、ここは」

「まぁね……」

気を遣わせてしまったらしい。かなめは俯きがちにキッチンへと向かった。キッチンからは何やら言い争う声が聞こえる。

「白菜切ったでしょ!次は私!!」

「まだちょっとしか切ってないだろー!」

「こらこら!包丁持ったまま暴れないの!!」

「危ないな……」

幸いにも双方に怪我は無く、喧嘩をしていた子供達は包丁を取り上げられ雷を落とされるだけで済んだ。以降、手出しを禁止された子供達は退屈そうに部屋へと戻っていく。大方、また紙飛行機大会を再開させるのだろう。

「ごめんゆう君、手伝ってくれない?」

「いいよ」

2人で並んで材料の野菜を切っていく。ある程度の家事が出来るようになったのはあの神の声が聞こえて3人を失ってからだ。今となっては包丁を握るのもすっかり慣れてしまった。そのうち無言の空間に耐えきれなくなったのか、かなめが口を開く。

「ゆう君を入れて良かったーって思ってるんだ。凱斗は何かを警戒してるっぽいけどそんなの気にしなくていいからね。シュウもあんな態度だけどゆう君には懐いてるし」

「いや、僕こそ助かってる。ここにいなかったら今頃どうなっていたか分からないし」

かなめは器用に大根の皮を剥いていく。むかれた大根の皮は徐々にまな板に積み上がって一反の布の様にとぐろを巻いた。僕にはこんな器用な事は出来ない。にんじんの皮はピーラーで剥かれて半月切りにされていく。

「この野菜って、どうしてるの。さっき貰ったって言ってたけど」

「これはね、近所のおじいちゃんから貰ってるの。おじいちゃん、お野菜作ってるからそこは困らないかなって。」

「かなめは……家族がいるの?」

「あ、おじいちゃんって言っても血が繋がってる訳じゃないよ。私が住んでた家の近くに住んでて、小さい頃から可愛がってくれてたの」

「あぁ、そういう事……」

だからか、と心の中で納得した。ここの運営には関わっていないから資金面がどうなっているか、物資や食事の材料がどうやって得られているのかを僕は知らなかった。何か協力出来る事は無いかとかなめをはじめ凱斗や秀一に行ってみても皆一様に「子供たちの面倒見といて」としか言ってこない。初めは入ったばかりの俺を警戒しているのだと思ったし今もそう思っている。しかしこうやって情報を少しずつ出してくれているという事は信用を得られているのだろうか。

「じゃあ、お礼言わないとな」

「そうだね。子供達にもお手紙書かせようかな」

「いいじゃん」

コンロにかけられた鍋では少しずつ水がお湯へと変化していっている。ぼちゃぼちゃと具材が鍋へと入れられて調味すればあとは加熱し続けるだけ。料理の中でも簡単な部類に入るだろう。冬の時期は母親が鍋ばかり作っていた理由がよく分かる。

「ご飯だよ!食器運ぶの手伝ってー!」

部屋に向かってかなめの声が響いた。


「いただきまーす!!」

鍋に続々と箸が伸びていく。加熱された野菜はほのかに甘く柔らかい。少しの出汁と共に胃に入れると空腹に染み渡るようだ。大した事はしていない筈なのにとても美味しく感じた。

「おいしーね」

「うん、おいしー!」

ここではよほどのことが無い限り全員で食事をとる事が決まりになっている。理由を聞けば「一人の食事は寂しいから」との事だ。家が賑やかだった自分は食事を1人でとるという経験が殆どない。だが、凱斗や秀一が大人しく従い食事を共にしているちう事はこれが相当大切な意味を持つのだろう、なんて考えた。

食後の食器洗いは交代制の当番だ。小学校高学年から適応されるそれは今日が自分の番だった。キッチンにはエアコンの風が届かずおまけに冷たい水も扱う為、とりわけ不人気の当番だ。今日は鍋だからまだ洗い物が少なくて済む。大きな土鍋が二つと人数分の取り皿がシンクに置かれている。1つの皿を取って泡のついたスポンジで擦りまたシンクに置く。白い息を吐きながら手の感覚がマヒしてしまわないうちに終わらせてしまおうとただひたすら手を動かした。

「おい」

皿の触れ合う音に紛れて聞こえたのは低い声。顔を上げると僕より幾分か背の高く体格のいい男が立っていた。

「凱斗……さん。何でしょう?」

わざわざこんな寒い所へ来るなんて、と手を止めれば手を吹きながら彼へと向き直る。

「一か月、だな」

「はい、そうですね。皆さんには本当によくして頂いています。僕も何かお役に立てればと常々思っていて…」

「御託は良い。今日の夜、12時にアーケード街の門の下。かなめには言うな」

それだけを言ってしまえば彼はすい、と部屋へ消えてしまった。こちらの返答も聞かないその態度に少し腹が立ったが兎にも角にも今は目の前の仕事を終えるのが先だと再びシンクに向き直った。

「お疲れ様です」

食器洗いを終えた僕を迎えたのは秀一だった。凱斗の言葉を思い出す、彼は「かなめには言うな」とは言ったが秀一に言うなとは言っていない。つまり、僕が今ここでさっき言われたことについて秀一に相談したとしても何も問題ないという事だ。

「ねぇ、シュウ君。あの……凱斗くんから呼び出されたんだけど、彼、なんか言ってた?」

「凱斗さんですか?うーん、僕は特に何も聞いていないですね。ただ、呼び出し、か……」

「かなめには言うなって言われたんだけどさ、なんか僕やっちゃったかな?」

「いえ、僕から見て特に何もありません。悠さんは非常に働き者だな、という印象しか」

「それならいいんだけど」

彼に訊いても分からないのなら本人に訊くしかないのか、なんて肩を落としているとその様子を眺めていた秀一が口を開いた。

「凱斗さんは……こう言ってはなんですが頭が良いとは言えないので僕は苦手です。なんでも腕っぷしで解決しようとする節があります。そして、かなめさんの傍にいる事に執着しているように見えます。多分、かなめさんの事が好きなんじゃないですかね」

「そ、そうなんだ」

「だからかなめさんの言う事に強く反論できません。あと、一度懐に入ったら面倒見は良いですよ。悪い人ではないですから」

「それは、まぁ、そうだね」

「少なくとも、厄介さで言えば悠さんの方が上手ですから頑張ってください」

こちらをにやりと見た彼の表情は「知ってるんですよ」とでも言いたげだった。僕がこの集団に馴染むため、人畜無害を演じている事が彼にはばれているのだろうか。こちらはひくついた口角をわずかに上げる事しかできなかった。

「あ、ありがとう。君の方が厄介そうな気がするけどねぇ……」

「いえいえ、僕は悠さんの事嫌いじゃないです。少なくとも凱斗さんよりは言語が通じそうなので」


今日は満月だ。大きくて真ん丸な月が天頂に上る頃、僕は指定されていた商店街アーケード入り口の飾り立てられた大きな門の柱の傍に立っていた。

「寒っ……」

上着は着ているものの真冬の深夜は耳が痛くなるほどの冷え込みだ。鼻をすすり身体を抱きすくめながらひたすらに待っていると長く伸びた影が一人分、近付いてきた。

「よう」

逆光になっているせいで表情は見えないが声色と体格でその人が凱斗だという事が分かった。冬服でより体積が増した彼はシルエットだけで見てしまえば熊の様にも見える。やっぱり、彼には体格的な意味で勝てる事は無いのだろうなと考えれば少しだけ後ずさった。

「ちゃんと来たな」

彼はそばに座り込めば何かを投げ寄越す。キャッチすればそれは微かに暖かい。月明りで見て見ればすぐそばの自販機に売っている缶ココアだ。

「あ、ありがとう……」

「そう怯えなくても良い。俺は二人きりで話がしたかっただけだ」

カキュリ、と音がすれば彼も何かを飲み始めたらしく嚥下音が聞こえてくる。僕もそれに倣って封を開け中身を飲んだ。久しぶりに飲んだココアは甘ったるく、喉に引っかかるようだった。彼は「怖がらせてしまったかな」と呟いた後に大きく白い息を吐いた。

「一か月、ここにきて一か月経つというのに碌に話した事も無かったと思ってな、この時間なら全員眠っているだろうし誰にも邪魔されず話せるだろうと」

「そういう、事だったんですね」

「別に敬語でなくてもいい。本当ならこちらが敬語を使わなければならないのだから」

彼は喋るのがあまり得意ではないらしい。複数人がいる時は黙り込んでしまうし話しかけるのにも勇気がいる。今日の誘いも本人にとっては精一杯だったようだ。あまりに遅すぎる自己紹介を経て僕と彼は少しだけ仲良くなれた様な気がした。

「驚いたよ、君が年下だったなんて」

「この体格だからな、年上に見られる事が多い」

「柔道してたんだよね。スポーツ推薦だって」

「悠人は陸上してたって言ってたな」

種類は違えどスポーツをしているという事は同じだ。部活動での苦労や練習の苦しさ、顧問の悪口、互いの種目の意外なルールなんかを離していれば缶ココアはあっという間に空になった。

「…これ以上は身体が冷えすぎてしまうな。また話そう」

立ち上がり缶を潰す凱斗を追いかけつつ自分も缶を潰してみようと試みる。しかし缶を潰す事は叶わなかった。心の中で彼を敵に回す事はやめておこうとひっそり誓う。


「どうでした?」

眠気眼を擦りながら起床し洗面所に向かった僕に話しかけてきたのは秀一だ。彼には余計な心配をかけてしまったな、なんて考えつつも特に何も無かったことを報告する。

「普通に話しただけだよ。2人きりで話してみたかったって」

「ふぅん……」

彼なりになにかを納得したのか唇を軽く尖らせて頷けば口に手を当てるポーズをしたためそこに耳を近付ける。

「言ったでしょう?悠さんの方がよっぽど厄介だと」

にやりと笑うその表情は心底楽しそうでいつもはすまし顔の彼の年相応のものに見えた。とはいえ、彼が僕に対してどんな印象を持っているのかは謎のままだ。

「シュウ君、今度は君と話してみたいな」

「僕ですか?いいですよ、なにも面白い事はありませんがね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

畜生の園 涼風鈴 @suzusiikaze

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ