第4話

米国での私の仕事は、日本時代と変わらず、実験用のシミュレーションソフトの開発である。


入社したのは、現在でも世界トップクラスのソフトウェアメーカーで、仕事のスケール・予算も桁違いに大きくなった。当然、こういった規模の開発を一人で行うことは出来ない。チームを組むのである。


最初は英語でのやりとりに苦労した、と言わざる得ない。しかし、人間追い詰められれば、脳の仕組みが変わるのか、半年もすれば、社内で飛び交う英語の大半は理解出来るようになった。元々、プログラマーの世界は専門用語が多いが、それだけに使われる英語もある程度、決まっている。


カフェテリアでの世間話になると若干戸惑いを覚えたが、少なくとも仕事上でのコミュニケーションで、大きな不都合を感じることはなかった。


さて、突然だが、プログラマーには大きく三種類のタイプがいると言われる。まず、仕事は出来るがコミュニケーション能力に難があるタイプ。映画やドラマなどで見られるオタク気質なプログラマー像だ。


次に、仕事はあまり出来ないが、コミュニケーション能力に優れるタイプ。実はこれはこれで役に立つ。というか、こういった人材も客先でのプレゼンや交渉に際しては、非常に有為な人材だ。


最後に、仕事も出来て、コミュニケーション能力にも優れるタイプ。つまり、顧客の要望を噛み砕き、察知し、言語化することに長け、なおかつ、それをコードにして具体的な製品として完成させることが出来る。このタイプは希少である。おそらく百人に一人もいないのではないか。


自慢する意図はないが、私は3番目のタイプだ。


私は自分が米国でも十分にやっていけるだけの実力を兼ね備えている、と思って転職したが、それは間違っていなかった。事実、私は仕事ですぐに頭角を表し、幾つかの重要なプロジェクトに携わるようになった。


そして、ある大学での研究プロジェクトで、灰流はいると出会った。


灰流は若くして、東海岸の名門大学でテニュア、つまり終身雇用の教授職を得ていた。権威ある研究雑誌に、何度も論文が掲載され、専門である理論物理学の界隈では、将来のノーベル賞候補とまで見做されていた。


最初の出会いは忘れない。


ある夏の日、私は灰流の研究室を訪ねた。私が約束の時間に、研究室のドアを開けると、灰流は机の上のモニタを鬼気迫る表情で見つめていた。


「Excuse me.」(すいません。)私は声をかけた。


しかし、まったく応答がない。聞こえているはずだが、灰流はモニタから目をそらさず、こちらを一向だにしない。


「Excuse me!」(すいません!)私はすこし声を大きくして、再度声をかけた。


「Business card in it.」(名刺はその中に。)突然、灰流が声を発した。相変わらず、目線はモニタに釘付けなので、会話した気にならない。


私が訳もわからず硬直していると、少し苛ついた声が再び部屋に響く。


「Business card in it.」(名刺はその中に!)見ると、ドアの脇に小さな机があり、そこにプラスチックのケースが置かれている。中にはいろいろな会社の名刺があり、米国では誰もが知っている大企業の担当者のそれもいくつか見えた。


仕方なく、私は言われた通りに、自分の名刺を一枚手に取り、ケースの中に入れた。


「入れましたけど」私が所在なさげに呟くと、灰流は「えっ、日本語!」と驚き、初めてこちらの方を向いた。


灰流と目が合う。お互いにとって、気まずい沈黙が流れる。わずか1〜2秒程度の静寂がとてつもなく長く感じた。


沈黙を破ったのは、向こうだった。


「...もしかして、波佐見はさみさん?」彼女が私の名前を呼んだ。


私は曖昧な笑みを浮かべて、頷いた。これが、灰流との奇妙な付き合いの始まりであった。

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