第2話 プレスリリース

 受付で藤枝沙月は暇だった。

 新卒社員の彼女は総務部受付をしている。


 今日は定例の役員会議が開かれるため、来客の予定も特に無かった。普段なら対応に追われて、お昼を逃すことも多々あるのだが今日は閑散としている。


「早めに休憩行っても良いよ。そのあと私も行くから」

 同僚に休憩を勧めた沙月は「たいくつだぁ」とつぶやくけれど、暇をわかってシフトに入ったのだ。ちゃっかりとしていたのは言うまでもない。


「あれ?」

 まだ会議の時間だというのに、夏希を連れてアキトが現れた。

「えッ! 社長!?」

「お仕事ご苦労様です。あと、もう社長じゃ無いから」

 すっきりとした表情で笑顔を浮かべたアキトに声を掛けられた。

「えっ、ええっ?」

 意味がわからず混乱する沙月に、軽く手を挙げて出て行った。


「焔社長は退任よ、問い合わせは秘書課か公報に振ってね」

「ちょ、ちょっと! 夏希さん」

 秘書らしく指示を出して、夏希もアキトの後を追いかけ出て行った。


「なにこれ!? えええ! どうなっているの?」

 一階ホールに沙月の声が響き渡る。

 受付嬢としてはありえないことで、バレれば叱責ものだけれど、仕方が無いだろう。


「沙月ちゃん、社長は? もう行ったのかしら」と、そこへ経理の佐川美枝が声を掛けてきた。

 沙月は「ひっ!」と悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえた。

 ほんわかしている見かけと違って、中身は経理のスーパーコンピューター。役員でも彼女には逆らえないのだ。


「なっ、なんでもありません」

 お局の登場に思わず気を引き締めた。女同士は大変で、それは沙月も例外では無い。


「美枝さん? 社長はただいま出られました」

 沙月は必死に、平常心を取り戻して答えた。

 それを聞いた美枝は「歩き? 車? どっち?」と聞いてくる。

 思わず首をすくめて「歩きだと思います」と答えるのが精一杯。

 美枝は聞くなり、飛びだして行ってしまった。


「ちょっ! 今日はどうなってるのよ!」

 今だ事態の把握が出来ていない沙月は、混乱を深めるだけだった。



     *****



「良く準備してくれた」

 派手好きな彼は満足の笑みを浮かべると、近くで作業していた社員の肩を叩いた。

 今回の発表は良明の発案で、自分の得意分野とばかりに張り切っている。


 前面には大型のモニターが置かれ、今は会社ロゴが立体的に表示されていた。

 モニターは左右後方にも多数設置されて、どこからでも見えるように配慮していた。音響も視覚効果も満足する出来で、彼の自尊心を大いにくすぐった。


 社内スケジュールでは製品発表のプレスリリースは先の予定だった。

 それを前倒しで行うと聞いて、社内は騒然となった。

 ところが、予定されていたかのように機材は揃えられ、社外への広報もあっという間に済んでしまったのだ。


 そんな中、仙道良明の司会でプレスリリースが始まった。


「本日はお集まりいただいて、誠にありがとうございます。まずは我が社の新商品を発表する前に新たな社長を発表します」

 話題の触媒理論を用いた商品の発表と言うことで集まっていた記者達は、社長交代の報告に騒ぎ出した。


「ええと、社長の交代ですか?」

 すかさず、全国紙の記者が手を挙げて質問を始める。

「はい、先日の役員会で決まりました」

 にこやかな笑顔を返して答える良明にいくつかの記者から質問の声が上がった。

 会見場は雑然とした空気に包まれたが、壇上に上がる男の登場によって静まり返った。


「ただいま紹介にあずかりました仙道良三です」

 これまた満面の笑顔で登場した良三である。フラッシュに顔をしかめる事も無く、ゆっくりと回りを見回した。


 社長就任の挨拶に対して当然の様に疑問が起きたが、商品開発の終了で学業に専念するという説明で納得する記者たち。

 後任が叔父の良三なら、見た目はクーデターでも何でもないのだから。


 照明が落とされ、スポットが中央に視線を集めた。


「それでは、これがわが社の新商品のエコレアです!」

 会場に現れた新商品に、一斉にフラッシュがたかれた。

 日本再生の切り札にも成るだろうと言われる商品に会場は盛り上がり熱気が高まった。


 触媒理論を利用した製品は名前をエレコアと名付けられた。

 機能的な外観を現代風にまとめ、軽量コンパクトな家庭用発電機だった。

 五センチ四方の箱型部分が発電モジュールで、太陽光パネルのように繋げれば発電量がコントロール出来た。

 会場には小型のエアコン室外機や大型の冷蔵庫など、従来の家電が多数並んでいた。

 それら全てに独立した発電機能が組み込まれている。


 詳しい商品の詳細を説明される度にどよめきが上がり歓声に変わった。

 質問は過熱していく。

 価格や生産量から始まり、他社への供給や世界展開まで、尽きることはなく質問はとんだ。



     *****



 経済団体の大物がにこやかに仙道良三と会話を交わしていた。

 横では与党の議員が社員からの説明を聞き、満足そうに笑みを浮かべている。

 誰もがプレスリリースの成功を喜び、明日への意欲に満ち溢れていた。


 だがそれを冷ややかな目で見る者もいた。

 会場で笑顔を振りまき来場者の相手をする沙月である。

 沙月はアキトの受けるべき称賛を横取りしていく彼らに、呆れ軽蔑していた。


 アキト退任で巻き起こった混乱はまだ全てが収まったわけではない。

 だが不思議と女性社員たちは静かだった。

 その理由は、社内のネットワークを通じて全貌が一夜で共有されたからだった。


「酷いよね……アキトくん可哀想……」

 小声で女性社員たちが、今回の顛末についての話をしていた。

 アキトに対する気持ちを打ち明けあっていたのだ。


 なぜかわが社の女性社員は『アキトくん』と呼ぶ。知らないうちに定着した隠語だ。

 ちなみに専務の仙道良三は女性社員から『大豚』と呼ばれている。部長の息子は『白豚』だ。


「この会社選んで失敗したかな?」

 思わず本音が出る。他にも内定が出たなか大江商事を選んだ理由は、雑誌で見たアキトがいたからだった。


「沙月さん、お仕事中よ」

 いきなり後ろから声を掛けられた。

「えっ、す、すみませんって! って、美枝さん?」

 アキト退任以降、姿を見せず、噂では長期の休暇を取ったと聞いた。

 そんな、この場にいるはずの無い美枝を見て驚いた。

「うふふ、誰に聞かれるか分からないから注意するのね」

「あ、はい」

 反射的に見回して誰も側にいないことを確認すると溜息がでた。

「気を引き締めなさい。でも……後で話があるの、時間取れるかしら?」

 ふんわりした言葉使いなのに美枝の目は真剣で断れない迫力があった。



     *****


 プレスリリースは大成功に終わり、翌日の新聞紙上では一面を飾る事になった。


 ただ、誰もがもっとも知りたがっていた秘密。どうやって出来ているのかは明かされることは無かった。


 アキトの論文でも触媒物質の構造は載せていない。完全にブラックボックス化していた。

 反応の過程と結果を数値に現し、現物を出しただけである。科学者は触媒物質の構造を知りたがったが公表は拒んだ。

 特許でも付帯と関連する部分だけで、触媒物質自体は隠している。


「なぜ明かさないのか」と聞かれた。

「世界のために明かすべきだ」とする意見も多い。

「何か事情があるのだろう」と擁護されれば「お金のために言わないだけだ」と揶揄された。


 それに対してアキトは何も反応しなかった。

 誰にも信じてもらえないのをわかっているから相手にしない。

 だって、アキトは錬金術師で魔法使いなのだから。


 触媒物質は錬金術で作った。

 笑ってはいけない。

 真実なのだから。


 中世で信じられていた学問がある。金を作り出すなど自然科学の生みの親とも呼べる技術は、現代人の視点から見ればあり得ないだろう。


 だがそれを可能としたなら?

 生まれた時から奇妙なことに前世の記憶を持っていた。幼い頃は意味が分からなかったが、今ではきちんと理解していた。


 前世で彼は錬金術を使える魔術師であり、違う世界で生きていた事をアキトは覚えていたのだ。

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