錬金経営術

鐘矢ジン

第1話 造反の役員会議

 目をそらしてバツの悪そうな顔を浮かべる役員たちを見て、俺は全てが後手に回っていた事に気づいた。


ほむらアキト代表取締役の解職を要求する」

 青木常務が今にも泣きだしそうな顔で切り出すと、先代社長の頃から家族同然の付き合いをしていた役員たちは不安な様子を抑え込んだような表情を見せた。


 こうして、退屈なだけの週末定例役員会は、唐突に出された議案で懇親会の仮面を剥がしていった。


「では役員の提案を受けて議決に入ろうか」

 役員たちの凍りつくような沈黙を破るように専務の叔父が声を上た。


 茶番劇は商法に則って進んで行った。


 代表取締役の解職は、理由を問わず、いつでも行うことができた。

 会社法三三〇条で代表取締役と会社との間の契約関係は、委任に関する規定に従うと定められているし、委任契約は各当事者がいつでも解除することができると民法六五一条で明確に決められていた。

 だからこれは、正当な権利の主張というわけだ。


 叔父は醜悪な顔を歪め、得意そうに歯をむき出した薄笑いを隠そうともしない。


 かわいそうなくらいに怯えて縮こまる役員たちを見て、今の俺は意地の悪い微笑みを口元に浮かべているだろう。

 

 素直に退席を要求すれば楽になるのに。俺がいないほうがスムーズに進むだろう。

 少なくても、あんた以外の役員はホッとするはずだ。


 どこからも反対の声が出ないことは、根回しが出来ていることの証明であり、形勢は不利だった。

 負けを悟った俺はじっと目を瞑る。思い返せば兆候は有ったのだと思う。


 

    *****



 祖父が築いた大江商事を受け継いだのは昨年の事だった。

 急速に規模を拡大した経営は、重い金利負担と不況に苦しむ中で行き詰っていた。

 肝心の創業者は病中で、何が出来るわけでも無く、経営は親族が代行して行っていた。


 そう誰も会社を継ごうとしなかったんだ。祖父はもう助からないと分かっていたのに。


 やつらは無能のまま銀行の支援を取り付け、赤字部門を売却させて延命を計った。

 銀行の言うがままにリストラを行い、経営の失敗を社員に押しつけるだけの幼稚な経営だった。


 誰の目にも魅力に思えなかったのだろう。

 強欲な叔父でさえ手を出さなかったのだから。


 そして予定された創業者の死を迎え、追い詰められた経営陣は最後の札を切る。

 まだ一八歳の俺に会社を放り投げたのだ。


 普通じゃ考えられない事だけど、理由は簡単だった。

 世界のエネルギー事情を一変されると言われる技術を、俺が持っていたからだ。



     *****



 話は三年前にさかのぼる。

 当時俺はアメリカで暮らしていた。一五で飛び級を使い大学に進んで、ある研究に没頭していた。

 触媒原理を使った新しいエネルギーの研究だ。

 エネルギー保存の法則を考えれば無茶苦茶な理論で、誰もが俺の研究をクレイジーと馬鹿にした。


 だけど俺には勝算があったんだ。


 理論の使い方は様々有るが、具体例を挙げよう。

 ある触媒に塩水を通すと電気が発生した。

 また、大気などの汚染部質に反応させると、分解して無毒にさせる。

 反応は様々だが、特質は他のエネルギーを必要としない事だ。

 触媒となる物質に触れさせるだけで良い。

 要するに触媒さえあれば、後は一定の条件だけ整えると結果が出るわけだ。


 例を挙げれば切りが無いが、恐ろしい技術だと思う。夢のような可能性は無限に広がっていくのだから。


 この奇妙な論文が発表されとき、当初誰もが疑ってかかった。

 詐欺師とも呼ばれたよ。

 科学者たちが一斉に反発したのは当然の事だと思う。

 彼らが信じていたものが壊れていくんだから。


 当然、論文だけでは信じてくれないのは分かっていた。

 手始めにロシアの物理学者にサンプルを送り、実証してもらった。

 驚愕した彼は偏屈で有名だったが、すぐに飛んできたね。

 今では一番の親友さ。


 彼の発言は無視できない存在だ。

 学会の重鎮でノーベル学者が太鼓判を押したのだ。

 次々と追試の申し込みが殺到し、世界中の学者が俺に会いに来た。


 結果は分かっていたから、驚愕する彼らを尻目に特許部分の手続きを進めて行った。


 現在では触媒理論と呼ばれるそれは、俺だけの技術になった。


 世界中の企業や国は驚喜したんだ。なぜなら手にすれば巨万の富も夢では無いからだ。誰もがその技術を欲しがり、開発者の俺を手に入れようと考えた。



     *****



 ところがだ。

 祖父は俺に会社を譲ると遺言を残して亡くなったんだ。

 正確には祖父の保持する株式を俺と母に相続させたのさ。遺言書の日付は亡くなる五年前で、当時はまだ子供でしかなかったから、どんな気持ちで譲ると決めたのかは永遠に謎のままだけど。


 当時、世界の中心にいた俺を親族が放置するわけは無いことで。

 米国で研究にいそしんでいた俺を、祖父の遺言を盾にして大江商事を継ぐことを強引に迫ってきた。


 受ける必要は無かったのかもしれない。

 自分でどこかとパートナーを組んで、会社でも作れば簡単に成功しただろう。

 それくらい自信はあった。


 それでも、心のどこかに祖父の事があったのだろう。俺は日本に戻ったんだ。


 そして、俺の社長就任は満場一致で決議された。


 当然の如く、資金難は影をひそめた。出資者が殺到したのだ。会社は瞬く間に持ち直し、

上手く行けば一気に黒字化も夢では無い所までこぎ着けた。

 それが触媒理論を用いた商品の開発に、成功したからなのは間違い無いだろう。


 先日自らが、会社と五年間の特許使用の契約を結んだ。独占的な契約な上に格安な使用料も、自分の経営する会社相手に利益を貪るつもりが無いからだった。


 だからこんな事になったわけだ。そう考えて、笑いそうになるのを奥歯で噛むようにこらえた。


 考えてみれば、自らの利益だけが欲しい叔父が黙っているわけがない。


「理由を聞いてもよろしいですか?」

 俺はどうせ無駄だと思いながら叔父に聞いて見た。叔父である仙道良三は、歪んだ口元を隠そうともせず。「我が社の約款では、特に解任の理由は必要無かったはずですな」と、すでに権力を手にした余裕を見せながら発言した。


 俺と良三叔父のそりは合わない。傲慢で権力志向の強い彼とはしばしやりあってきた。長年会社を私物化してきた感覚が抜けないのか、派手を好み経費を湯水の様に使いたがるからだ。


「私の方からもお願いしてよろしいですか?」

 何時までも茶番に付き合う気は無い。俺はこれでも忙しいのだ。

「ん? なんだ、ある程度なら聞いてやらんでも無いぞ。がはは」


 馬鹿かこいつは! 自分が手にした権力を誇示するかの様に振舞うのは小物だぞ。

 もうまともに相手するのも疲れてきたから終わらせよう。


「代表を変わるついでに、会社からも距離を置かせて下さい。学業に戻りますから」

 おかしな話では無いだろう。まだ十八なのだ。

 解任とは違って代表取締役の解職の場合、代表権は失うが取締役ではあるのだ。どうせなら自分から辞めてやる。

「そうだな、それが良いだろう。良し! 退職金ははずんでやろう」

 本来なら株主総会で決議を取らなければ、追い出すことは任期まで出来ない。それを自分から出て行くと言うのだ。気前も良くなだろう。

「所有する株式も引き取ってやろうか? 可哀想だから市価にイロを付けてもかまわんぞ!」


 現在の株価は上昇気味だが、それほどでもない。

 こいつは、どこまで強欲なのだろう。

「さすがにそれは無理です。母の持ち株も有りますから」

 まだ会議の途中だが、静かに立ち上がると私物を整理する事を告げて退出した。


 こうして俺の社長解任劇は終わった。



     *****



 社長室に戻ると、迎えに出て来たのは従兄の仙道良明だった。


「やけに手回しが良いですね」

 親の金で遊ぶ事しか興味の無いような男だ。三人兄弟の一番上で、会社では役職こそ部長だが特に所属は無かった。

「まあな、お前がどんな顔をしているか興味が有った」

 ニヤニヤとして笑いをこらえている。普段から俺を目の仇にしてたから、追われる姿を見てやろうと来たのだろう。

「すみませんが、手早く荷造りして出て行きたいんですが」

 時間の無駄とばかりに、俺は荷物を整理する。もっとも、置いてある物に価値の有る物は無かったが。

「ふん、強がりを言った所でオマエは負けたんだぞ」

 勝った負けたと短絡な連中は良く言う。目障りな俺を追放した気でいるのだろう。


「そうだ、オマエの持っている特許を買ってやろう。どうせ金の方が良いだろう? 高く買ってやるよ」


 馬鹿だなこいつは。


「……お断りします」

「なっ! どうしてだ! 高く買ってやると言っているんだ! お前にも損の無い話だろう?」

 自分の意見が通らないとすぐ怒り出すところは、昔と一緒だ。まったく成長してない。


「残念ですが、無理ですね。あれは僕の物です。もっとも使用料を払って頂けたら使うのはご自由にどうぞ」

「ちっ! 他に売れないのに強情な奴だ! 良いだろう! 金に困って頼んで来てもその時は知らんぞ!」


 確かに契約では他社には五年間は売れない。

 言われなくても自分で結んだのだから分かっている事だ。


「そうですね」

 俺は心の中で下を出した。お前は分かってないようだな。

 SEXしか頭に無いような奴が思いつくはずも無いか。

 契約じゃ、俺自身が作れば問題ないんだ。社長の俺が他で作るなんてのは、法務部の連中でも想定してないからな。

 いまごろ法務部の連中は頭を抱えているかも知れないぞ。

 もっとも俺にとっては、抜け穴みたいになった事を彼らに感謝するか。



     *****



 馬鹿の相手をそれ以上続ける気もなく、俺は鞄に私物を詰めて社長室を出た。

 ドアを開けると、秘書の佐倉夏希が立っている。俺から見れば、もうすぐ三十になろうかと言う夏希に助けられた事は多い。


「長い間お疲れ様でした」

 何時もと変わらない態度に俺は、ほっとした。社内で味方の少ない俺にとっては最大の協力者だったから。

 彼女にも少なからず影響は有るだろうに、普段どうりに接してくれた事で救われた気分になった。


「ごめんなさい、負けちゃいました」

 溜息を一つ吐くと十八の少年の顔を見せる。

 笑顔を見せられた夏希は、目を見張ると胸を反らして「ふふっ、こんな会社捨てちゃいましょう」と姉が弟を元気付ける様に言った。



 どうらや俺の最大の味方は、最後まで付いて来てくれるようだった。

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