第3話 アキトの女たち
俺は社長を辞めて古ぼけた雑居ビルに引きこもった。この駅裏の小さな建物は個人で買い取った物件だ。もちろん大江商事との関わりは無いから誰も知らないはずだったのだが。
「本当にかまわないのですか?」
俺の目の前には元の社員が三人いた。
しかも全員女性だ。
思わず何をやってると叫びそうになった。それを、こらえた俺を褒めてほしい。
去っていく俺に、回りは冷ややかだった。それまで支えてくれていた社員からの連絡はおろか、慰労の会が開かれることも無かった。
それが、この連中は俺に使ってくれと言ってきたのだ。
「まあ、お給料さえだしてくれたら……付いて行っても良いかな……なんて、あはは」
新卒の藤枝沙月が偉そうに言った。
思わず何を言ってるのか理解できなくて、咎めるように睨んでしまった。
「す、すみません! 調子乗ってました。転職とか面倒で、いや! 嘘です。雇ってくれる所ありません」
そう言っていきなり頭を下げた。
正直に言って俺に着いて来ないで、残れば良いと思った。
明るく元気でショートカットの良く似合うこの子は、社内の評判がすごく良いのだ。
年よりの役員連中なんかは、スタイルの良い彼女の姿を舐めるように見ていたのを俺は知っている。
セクハラなので止めてほしかったけどな。
「つまらないから辞めてきちゃった」
のんびりとした口調で騙されるが、経理課の佐川美枝はかなりやり手だ。
ゆるんで少しだけ開いた唇に、たまに見せる頼りなげな表情で男達を手玉に取っていた。
確か三十四だったかな。
まだ独身だったはずだ。
浮いた話は一つも耳に入ってこない。いくら晩婚の世の中とは言っても、彼女はじゅうぶんに美しかったから不思議に思ったものだ。
正直、魔女かと最初は思ったものだ。
「見返してやりましょう」
妙に気合いの入った佐倉夏希だが、彼女も二十九歳と崖っぷちだ。主に婚期という話だが。
「最後に確認します。本当に良いのですね」
まあ、人も物も足りない状態で、先行きは不安だけれど、俺は超のつく美女にだけは恵まれたようだ。
「しばらくはのんびりと行こうか」
先日の役員会でも、個人大株主である俺は打つ手はまだあった。
さすがに時間が掛かるだろうが、会社を取り戻すのはまったく不可能だと言うわけではなかった。
それをあっさりと手放したのは、人間関係に疲れていたからだ。
叔父との確執に始まり、社内と世間の期待を背負うのにはまだ俺は若かった。
実を結ぶ寸前で、梯子を外された事に対しては思うところもあったが、この三人を見てそれも変わった。
「では、今日は食事会でも開きましょうか?」
しばらくはこのままで行こうと決めた俺は、さっそくの仕事を仲間との時間に充てることにした
*****
俺の父親は医学者で経済とは無縁の研究者だ。
祖父である大江明人の娘広子と学生時代に結婚したが、一貫して大江商事とは距離を取っていた。
簡単に言えば勘当されていたのだ。
その当時の祖父の怒りはすさまじく、誰も庇えなかったらしい。
その祖父の怒りが解けたのはある日の事だった。
大した事でも何でもない。要するに俺が生まれただけだ。
生涯娘にしか恵まれなかった祖父が、アメリカまでわざわざ飛んで来て涙を流して俺を抱きしめたと聞いた。
そして、日本で育てることを哀願したという。
それまで強面で、厳しかった祖父のあまりの変わりように呆れて、思わず頷いたと母が笑っていた。
そのため俺は小学校に入るまでは、ほとんどを日本で祖父と暮らしていた。とにかく、愛情は十分に注いで貰っていたと思う。
特に前世の記憶を思い出した混乱の時期に支えてくれたのは、祖父と祖母の愛情であった事は間違い無い。
だから祖母の誕生日を欠席する訳にはいかなかった。
よそよそしく距離を置く親族の中で、居心地の悪い思いで食べることに専念する。
何人かは話しかけて来たが、型どおりの挨拶に終始していた。叔父とその息子などは側にも来なかった。
「あっ! ごめんなさい」
アキトが帰る理由を探していた時。
華やかな会場で忙しく働く使用人が俺にぶつかってしまった。良く祖母の世話をしてくれている小柄な少女は、パニックを起こしたのかおろおろするばかりだった。
「気にしないで結構ですよ」
持っていたグラスから零れたワインは無残にも俺の胸元を汚しているが、顔色を青くする彼女に怒鳴りつけるわけにもいかず、やさしく声を掛けた。
内心これで立ち去る口実が出来たなどと思っていたからだ。
「あらあら、アキトちゃん大変ね。雪子さんお着替えをお願い」
だがそのもくろみも祖母には通じなかった。
めざとく俺を見つけると、子供時代のように嬉しそうに世話をやき始めた。
「おばあさま、大丈夫ですよ」
一人で着替えてくるからと断ってみても、あれやこれやと嬉しそうにしてくる。
「うふふ、老後の楽しみを奪う物では無いわ」
祖母の一言で、抵抗することを諦めた。たぶん俺は一生祖母に勝てないのだ。
私室に案内された俺は、祖母の好きにさせた事を後悔していた。
あれが良いこれが良いとばかりに、早速始まるあれこれ。
獲物を捕らえた祖母の目は生き生きとしていた。諦めて着せ替え人形になることを受け入れた。
次々と出される服の数々にうんざりしながらも、どれもが俺のサイズぴったりに仕立てられていることに気づいた。
「……おばあさま、これって」
改めて祖母の深い愛情を知った。忙しさにかまけてしばらく会いに来ていなかったが、もう少し祖母との時間を取ろうと思った。
ひとしきり遊んで満足したのか「紹介するわね。雪子ちゃんよ」と祖母を手伝っていた女性を紹介してくれた。
祖母の側で楽しそうにアキトを着せ替えていた女性は「春日雪子です」とどこか楽しそうだ。
染めた色では無く、淡い栗色の髪を肩まで伸ばした少女。どこか異国の血を引くような誰もが認める美少女だった。
「古いお友達の娘さんなの」
聞けば東洋銀行頭取の娘さんだと言うことで。普段はお手伝いさんなどでは無く、行儀見習いがてら祖母の寂しさを埋めるために遊びに来たらしい。
彼女は俺と同じ大学に通っていた。
「おばあさまから聞いていたので、キャンバスで会えるかと思ってたのに……全然見かけないんだもの」
非難めいた口調だが、勝ち気そうな目はいたずらを思いついた子供のようだ。
「はは、ほとんど通っていなかったんです」
会社では多数の美女に囲まれていたが、同世代の超が付く美少女とあって珍しく緊張する。
「ふふ、でもこれからは通うんですよね?」
上目遣いは無意識なのだろうが、自分の魅力を良く知っている仕草が出ていた。くだけた口調の使い分けも見事だ。
甘えるのが上手そうだな。
「まあ、暇になりましたから」
確かに前よりは暇で、多少は大学に顔を出せるだろう。もっとも卒業は難しそうだったが……。
「でしたら一度、私のわがまま聞いて貰えますか?」
小悪魔はさりげなく、でも大胆に甘え始めた。
「はい、出来る事なら」
何だろうかと思って聞けば、触媒理論の事であった。
「あれって、世紀の発明品なんでしょう? すっごい興味があるの」
外見からは想像も付かないような興奮を見せた。
いきなり腕をしっかりと掴まれ。
「えっ、ちょっと!」
俺は押されるままだ。
「おばあさまから聞いていたの、アキトくんの事! 絶対に今日会えると思ってた」
どこか夢見るような彼女は、どうやらオタク? それも重度の理系オタクだったようだ。
「お願い! なんでも良いから手伝わせて!」
いつの間にか、壁際まで追い詰められた俺は逃げ道を完全に塞がれていた。
そして「あ、はいっ!」と返事したのだ。
*****
祖母の誕生会も無事に済み日常が戻ってきた。仕事らしい仕事でもないが、それなりに日々忙しかった。おもに社員たちとの飲み会とか食事会だ。
「そういえば良いんですか?」
そんななか、夏希が切り出した。
いまどき珍しく黒髪にこだわる彼女は、肩まで伸ばした髪の手入れを欠かさない。美しく整えられた眉と小さめの口は、涼しげな目元と相まって理知的な魅力を振りまく。まだ独身なのが不思議なくらいだ。
「ん? なにが」
俺は年相応の笑顔で答えた。
最近は取り繕うことも必要無いから。
だだ俺は気づいて無かった。
俺のたまに見せる表情は、ある種の女性をとりこにしていることを知らなかった。
「えっ! あ、はい」
夏希はどきっとした顔を見せて、恥ずかしそうにしながら切り出し始めた。
「触媒の件です。あのまま渡しても大丈夫なのですか?」
「ああ、あれ問題無いよ、もう作れないから」
「へっ? えっと、作れないのですか?」
俺は夏希の表情に吹き出しそうになるのをこらえ「そう、あれは僕がいないと無理だから」と、軽く答えたが、事実は結構深刻な話だった。
大江商事の社運を賭けたと言っても過言でない新商品が、もう作れないと言うのだから。
当然だろう。錬金術を利用しての技術である。
俺がいないと作れないのは当たり前だ。
「パテントも僕が持っているし、技術的にも彼らには作れないよ」
そう表向きには機械による生産を装っていたが、それで出来るのは形だけだ。魔法的な要素は何も無いから、触媒は何の反応も起こさない。ただのゴミである。
大江商事はどうなって行くのだろうか?
まあ、俺にはもう関係ない事だけれど。
********
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