第8話

 リオはミクロくんが示すルートに沿って走り出した。

〈特区〉を結ぶステーションは巨大な空港のようで、六角形の区画の各面に設置されている。ミクロくんは特区管理機構に見つからないようランダムでステーションを選び出し、リオは〈特区〉内を駆け抜け、ステーションのゲートを通過する。本来、そのゲートでは厳格な検査が実施されるはずだが、リオが通り過ぎるときは決まって機械が不調をきたしていた。

 リオは風のように様々な〈特区〉へと足を踏み入れ、そして様々な未来が広がっていることを知った。

〈2200年代文明停滞特区〉では、天候装置アマテラスが地球上の環境を確実に制御している時代だった。天候は安定し、必要な程度の晴れ間と雲と雨を生み出している。心地のいい風はすべてが完璧に計算された人工風で、〈特区〉内のエリアごとに春夏秋冬が定められていた。

〈2500年代文明停滞特区〉では、ハチソン技術を用いた反力装置が発明されていた。それは電光を纏った光の環で、自然界の四つの力を自在に制御している。特に目立ったのは反重力装置によって人々が地面から離れた暮らしだった。地上には雷の如き雷光が浮遊島から浴びせられ、土と石だけの死の土地となっている。浮遊島を結ぶ高架を走り、リオはその〈特区〉を抜けた。

〈3100年代文明停滞特区〉では、積層構造世界への干渉を活用した時空トリップ技術が確立していた。世の中のものすべてを構成する紐をついに人類は操る術を見つけ、粒子創造を実現させた。街は無からあらゆるものを生み出し、不要となったあらゆるものからエネルギーを抽出して無へと還す、完全な循環が完成された世界だった。建物が瞬き一つで描写されて現実化する。人の体や意識すらもその時代にとっては自由自在な粘土や絵画のようなものだった。

〈4900年代文明停滞特区〉では、人類は三つのレベルの並行世界――すなわち超遠方宇宙上の地球、マルチバース上の地球、量子論的並行世界上の地球、このすべてが発見され統合していた。地面を踏みしめていた足がぐわんとグミの上にでも乗ったかのように揺らぎ、リオは膝をつく。

「ちょっと……ちょっと待って……!」

 頭がこんがらがっている。

 4900年⁉ そこで文明を停滞させた〈特区〉があるということは、未来はまだまだ続いているということだ。

「今はいったい西暦何年なんだ⁉」

 2010年代から続く未来がすでに存在していることは知っていた。ハルカは〈2050年代文明停滞特区〉の人だったし、その会話の中で〈2100年代文明停滞特区〉があることも知った。しかし、せいぜいその程度かと思っていた。こんなに数千年紀も離れた〈特区〉が存在しているだなんて、簡単には受け入れられない。

「いまが西暦何年なのかは不明だよ」ミクロくんが言う。「〈特区〉は他にも無数に存在しているし、未来はまだまだ続いている」

「そんな……」

 永遠に続く未来――

 さながらタイムトリップをしているかのような〈特区〉の移動に、リオは驚愕することしかできなかった。

「リオ、移動しよう。いよいよ次がハルカのいる〈2050年代文明停滞特区〉だ!」というミクロくんの声が、リオの思考を妨げる救いだった。

 リオは重たい空気をかき分けるようにして、奇妙奇天烈な〈4900年代特区〉を走り抜けた。そして立ち上がり、ぐわんと歪んだ地面に倒れこむ。その姿勢のまま新たな平衡感覚を得られたところで振り返ると、必死に自分自身が走っており、自分の体と合流する。衝撃で海に落ちたかと思ったら空から落下を開始して、雲に紛れ、砂漠から飛び出す。

「落ち着いて、リオ。この世界では、見たい世界を見ることができる。リオが混乱すると君が見る世界も混乱する。ゲートをイメージするんだ。そこが〈特区〉の出口になる」

 ミクロくんに言われ、リオは過呼吸気味だった呼吸を整えた。そして〈2050年代文明停滞特区〉へと接続される入り口を想像する。すると、どこかの〈特区〉で見たステーションの前に立つリオへと意識が移り、リオはハッとしてその巨大な扉を見回した。周囲は白い世界が延々と続く平地で〈特区〉の壁も見えない。ここは自分だけの世界なんだとミクロくんが言う。

「この世界は量子不死を実現している。つまり、すべてが君自身の主観によって完成された世界ということだよ。もちろん、同時に他者のあらゆる主観とも完璧な統合がとられている。君の視点で君が死ぬことはどんなことをしても絶対にありえないし、それは他者も同じということなんだ」

 わけがわからないまま、リオは扉を開けた。

 すると、目の前に爽やかな街並みが広がり、その景色の中を歩くハルカの姿を発見した。

「リオ⁉」ハルカは不意のできごとに目を丸くした。「え、突然、なにこれ」

「未来の〈特区〉では、自在に出口を設定できるんだ」ミクロくんが言う。しかしその説明をよそに、リオはハルカに抱き着いた。

「やっと会えた! 僕だけ逃げてごめん! 酷い目に合わなかった⁉」

 リオは情けない口調で涙を流す。その頭を、平静を取り戻したハルカがよしよしと撫でる。

「うん。〈特区〉間移動は別にそんな重い罪じゃないから。心配させてごめんね」

 こっちこそごめんとリオは何度もハルカに謝ったが、その時間は長く続かなかった。特区管理機構の異常検知システムが復活する。すぐにミクロくんがそれを無効にしたが、複数の警官が現れ駆け寄ってくる。

「逃走ルートを見つけたよ。確認して」

 ミクロくんが示したそれは今来た道を引き返すルートだ。またあの得体の知れない〈4090年代文明停滞特区〉に足を踏み入れなければならないのは苦痛だったが、警官がどんどんと集まってくる。リオはハルカに言って彼女の手を引き、霧のような扉を潜り抜けた。

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