第6話

「教えてくれますか? リオ。どうしてあなたが他の〈特区〉に興味を持ったのか。どうやってそのスマートフォンの中のAIを生み出したのか。そしてクオンタム・リンクはそう簡単に発明できる代物ではありません。私はずっとあなたをみていましたが、あなたの行動には計り知れないものがあります。これは母としてとても喜ばしいことであると同時に、管理者としてはこの上ない懸念事項でもありました。いずれにせよ、久々の再開を果たすには十分な理由と言えます。私はあなたのことをもっと知りたいのです」

 フェルマはデスクから立ち上がり、リオへと歩み寄った。母としての慈愛、管理者としての厳しさを同時に纏っているような表情で、リオの頬に手を添え、顔を近づけた。

「私はこれまでのあなたのすべてを知っています。そしてこれからも、あなたのすべてをこの手の中で見守らせてください」

「僕は……もっと学びたかったんです」

「学びたかった?」

「はい。他の〈特区〉に興味を持ったのも、ミクロくんを生み出したのも、ただそれだけのことが理由でした」

 フェルマの目を見つめながらリオは言った。

 リオの記憶の中に母の姿はない。しかし、彼女の瞳の中にはリオが居る。そのことが、リオの感情を緩めはじめていた。

「知ろうと思えば知ることができる。学びたいことが学べる。ただただ、そんな自由がとても心地良かったんです。でも〈2010年代文明停滞特区〉では知る自由に上限がありました。自力でいろいろ調べていくと、すぐにその上限に達してしまいました。……でも、僕はもっと知りたかったんです。そして次第に、この〈特区〉では得られない知識を、既存の知識をもとに推測し探求するようになったんです。いろいろ失敗しました。でもAIを作ることができました。そしてその知識をいろいろな人たちと共有したいと思い……、でもこの〈特区〉でそれをすることはできないから、外の世界に希望を見出したんです。僕が作ったAI……ミクロくんと一緒にクオンタム・リンクを作って、そしてはじめて外の世界と交信しました」

「先にAIとクオンタム・リンクを生み出して、それから外の世界と繋がったのですね」

「はい」

「では今から、あなたはそのAIをスマートフォンから消去して、クオンタム・リンクを解体します。いいですね?」

「え?」

 急にフェルマの口調が変わったかのようにリオには感じられた。しかし目の前には初老の女性が母親の表情で立っている。

「リオ。私の息子。あなたは、自分がどのようなことをしてしまったのか、まだちゃんと理解できていないようですね」

「そ、そんなことはないです」声が震える。しかしリオは勇気を振り絞って言った。「でも、仕方ないことだとも思っています。学びや探求は人間の本能です。それを禁止されても、どうすることもできないんです」

「学びや探求は禁止すべきではないと?」

 リオは気圧されそうになったが、目を閉じると、ハルカと語り合った記憶が蘇る。

「はい」と、リオははっきり言った。「〈特区〉は解放されるべきだと思っています」

「そう」

 短く言って、フェルマはリオに背を向けた。凛とした背中はゆっくりとデスクへと戻り、彼女はそこへ深く腰掛ける。その表情は、もはや管理者のそれだった。

「たしかに知りたいという欲求は人間の本能です。けれど残念ながら、その本能に従えば幸福になれるかというとそうではありません。結論から言うと、人類の文明はあなたの理想どおりの世界ではありませんでした。だから〈特区〉が生まれたのです。ご存じのとおり〈特区〉は人類が自ら文明の停滞を望んで生み出したものです。2000年代頃までは、あなたの主張も悪くない時代でした。いやむしろあなたのような人で溢れていたと言ってもいいでしょう。けれど問題は2010年代を過ぎてからでした。その頃から文明は強力なAIの登場によって人類の学びのスピードが指数関数的に加速しはじめたのです。世界には、その速度についていける人とついていけない人に二分され、後者は新たな科学技術を恐れるようになりました。自分たちに到底理解の及ばない存在を、人間は恐れるのです。そうして人類は文明停滞派と文明発展派に分裂し、対立するようになりました。両者の間で、軽い口論から暴動、テロ、戦争に至るまで大小さまざまな争いがはじまりました」

 リオは言葉に詰まった。

 そんな歴史は知らなかったからだ。

「リオ。一つ話をしましょう。生物史の加速の話です。もともと、宇宙は数億年に及ぶ変化が緩やかに引き起こされる世界です。宇宙は、すぐになにかが変わることはありません。しかし長時間スケールでみると宇宙は確かに変化しています。変化することこそが宇宙としての不変であって、変化のない宇宙は宇宙たり得ません。その悠久の変化の中で宇宙は太陽を生み、地球を生みました。地球は複雑なアミノ酸を生み出してそれを生物とし、生物は地球環境を変化させはじめました」

 話の意図を汲み取ろうと、リオはフェルマの言葉に耳を傾ける。

「先に話した通り、変化とは宇宙の不変です。変化がないことはありえません。すべてのものは移ろっていきます。しかし問題はそのスピードでした。ここまで話したとおり、宇宙は数億年に一つの変化を引き起こす長時間スケールの世界です。太陽が変化を引き起こす時間スケールは数十万年単位。人間がまだ存在しなかった頃の地球は数万年単位でした。それが人間が生まれ社会が形成されたことで、一つの変化を引き起こす時間スケールが数千年に短縮されました。言葉や文字、そしてその伝達手段等によって変化はさらに加速し、その時間スケールは数百年単位となり、産業に革命が起こるとそれが数十年単位になり、情報技術の発展で数年単位となり、そしてAIの登場で、これまで地球が数万年、宇宙が数億年の時間スケールをかけて起こしていた変化を、人類は数ヶ月で行えるようになりました。やがてAIはシンギュラリティを迎え、その速度は数秒単位にまで圧縮されることになります。当時の人類は酷く混乱したそうです」

 そして彼女は「わかりますか?」とリオに投げかけて、続けた。

「問題は変化そのものではなく、その速度なのです。変化は制御できずとも、その速度は制御する必要があります。そのために人類は〈特区〉を生み出しました。一定の技術革新が起こる寸前の年代で人々は学びや研究を放棄し、それに耐えられない者は正規の手続きを経て別の〈特区〉へ移住する。それによって〈特区〉の文明は一定に保たれています。すなわち、人類の幸福がここにあるということです」。

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