「学校の外で、その呼び方やめて」

 正しくは、学校でも恥ずかしいからやめてほしい。

 小学校での梨音のあだ名は「第四小学校の王子さま」だ。ついで言うと、みんな普通に梨音のことを「梨音君」と呼んでくるので、本当によく男の子に間違えられる。

「え〜、だって梨音君、背が高くて顔もキレイだし、本当にカッコいいんだもん。私の、自慢の王子さまだよ。そして可愛い私はお姫さま」

 芽衣が頬に指を当ててニッコリ笑う。

「それ、自分がお姫さまって言いたいだけでしょそ。……それに、本当の王子さまは、もっとカッコいいよ」

「その言い方だと、梨音君、本物の王子さまに会ったことあるの?」

「うん。本物王子さまに会ったことがあるよ。すごくキレイな顔をしていて、優しくて頭が良くて、まっすぐに夢を追いかけていて、完璧な王子さまだった」

 六歳の頃に出会った梨音の王子さまの名前は、仁藤友樹にとうゆうき

 梨音より二つ年上の小学校二年生だった彼は、そのころすでに「将来のなりたい自分」というものを持っていた。

「梨音君は、その王子さまにはどこで会ったの?」

碁会所ごかいしょ

「ゴカイショ? どこの国?」

 聞きなれない言葉に、芽衣は外国の地名を想像そうぞうしているらしい。

「普通に日本だよ。囲碁いごの好きな人が集まって囲碁を打つ場所。死んだおじいちゃんが好きだったから、ちっちゃい頃よくついて行ってたの」

「囲碁って、将棋の親戚みたいなやつでしょ?」

「ルールから盤の線の数まで、全部全然違うけどね」

 梨音は、こちらを見上げてくる芽衣の頭をクシャクシャと混ぜた。

 そうやって指を動かしていると、芽衣の長い髪が揺れる。

 友樹に囲碁を教えてもらっていた頃の梨音は、芽衣みたいに髪が長くて、性格は、極端に引っ込み思案だった。そんな性格だから、同世代の子と遊ぶより碁会所の方が居心地よかった。

 碁会所に通うのは年配の人がほとんどで、子供は数人しかいなかったから、梨音は友樹に囲碁の打ち方を教えてもらっていた。その合間に、友樹は梨音に囲碁のプロの棋士を目指していると話してくれた。

 友樹は、梨音が知る他の男の子のように意地悪いじわるを言ったり、さわいだりするようなこともなく、静かで優しくて、頭が良くて、小さな梨音の目には完璧かんぺきな王子さまのように映っていた。

 そして囲碁について話す時の友樹は、すごくワクワクした顔をしていて、梨音はその顔を見ているのが好きだった。

 そレは確かな恋心だったのだけど、それは一方的なお思いだったらしく、同じく碁会所に通っていた他の子に、「友樹君、アナタのこと、長い髪に顔を隠すようにして、ボソボソ話すから気持ち悪いって言ってるよ」と教えられ、あえなく失恋したのだ。

 幼い梨音は、失恋のショックで髪を短く切り、「ボソボソ話すから気持ち悪い」と思われないために、勝ち気に振る舞うように努力した。

 そうやって努力を続けた結果、徐々じょじょに性格も変わっていって今の王子さまキャラにいたる。

「ねえ、その梨音君の王子さまは、今はどこで何しているの?」

 芽衣は絡めていた腕を解いて、髪を整える。

「知らない。昔のことだもん」

 そう返した梨音の言葉の半分は嘘だ。

 友樹に嫌われていると知って、碁会場に行くのもやめたけど、三年前、小学生の囲碁の全国大会ぜんこくたいかい優勝者ゆうしょうしゃに彼の名前を見つけたのでそこまで囲碁を続けていたことはわかっている。

 ただその後は、名前を見なくなったから、囲碁をやめちゃったのかもしれない。

(死んだおじいちゃん以外、私の周りで囲碁を打つ人がいから、よくわからないんだよね)

 そんなことを考えていると、髪の毛を整えた芽衣が梨音の腕を引く。

「そろそろ行こうよ」

「そうだね」

 うなずいて、梨音は芽衣と並んで碧海学院附属中学校の校門をくぐる。

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