5、ドラゴンが教えたもの 前半

黒竜の血の杖 制作:つえつえ堂


いにしえの魔道保管庫から発見された杖。媒体は竜の血だと伝えられている。



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 その魔法具に出会ったのは、爽やかな風が舞う秋晴れの日であった。


「来たか!」

「あら、イェルハルドさん。昨日はどうも」

「丘ノ上ノヴィルマ様。貴殿ニオ願イガアッテイラッシャイマセヨ! ドウカ、ワイデリカノ故郷ヲオ助ケ頂キマスヨ!」

「昨日の露天商だな」

「ドチラ様デアラセラレルネ?」

「レオンだ」

「歴戦ノ猛者トオ見受ケサレマスネ。ヴィルマ様ノオ知リ合イデイラッシャイマセネ?」

「ああ、そうだ」

「オウ~、ジーザス! ワイデリカノ故郷救ッテ頂キマスネ!?」

「よく分からんが、話を聞こうじゃないか」

「ここでは何ですから。さあ、上がって」


 長身のレオンを先頭に、小柄なヴィルマ、季節外れの厚手のローブの下にターバンを巻いたイェルハルドの順に続いた。「お水でいいかしら?」独り言のような呟きを耳にしたイェルハルドは、「オ構イナイデスヨ」と慌てて前を歩くヴィルマに返した。「砂漠デ水、貴重デスヨ」その言葉を聞いたヴィルマはクスッと笑い、「この国では水が豊富にあるの。年中雪解け水が流れているから」と言い残して奥の部屋へと消えた。


「それで? 故郷で何かあったんですか?」

「オウ~。呪イヲ振リ撒ク怪物、ディノサウリ暴レテイラッシャイマセヨ」

「ディノ……?」

「ディノサウリデスヨ。人間ノ何倍モアル体。大人ヲ丸呑ミスル巨大ナ顎。二本足デ走リマスネ。前脚器用ニ使ッテ、逃ゲ惑ウ人々捕ラエマスヨ。食ベマスヨ。全身硬イ皮膚デ覆ワレ、剛毛ガ覆イマスヨ」

「そんな怪物を、どうしろと?」

「討伐シマスヨ。故郷ヲ救ウタメデスネ」

「怖いのは無理よ。私には出来ないわ」

「オウ~、ヴィルマ様ダケオ頼リデスヨ。オ願イナサイマスネ」

「無理なものは無理」

「説得しても無駄だぜ。オレも何度も誘ったし、国王からも宮廷魔法使いとして度々招聘があった。それでも、愛する者を失う悲しみを娘に背負わせたくない、の一点張りだからな」

「ジーザス……」

「だがヴィルマ、いいのか? 魔法のスプーンは、最初の客人を助けろって言ったぞ」


 ハッとした表情を浮かべるヴィルマ。


「昨日の出来事じゃねえか、まさか忘れてたのか」

「ええ、忘れていたわ」

「二度と戻らない希望を手にするには、異形の怪物を倒さなきゃいけないとかって、そんなお告げだったよな。ディノサウリってのが、その怪物なんじゃねえか?」

「……そうかも知れない」

「どうすんだ? 諦めんのか? 何より、お前の探査魔法が反応したのが、コイツだったんだろ?」

「ええ……」

「オ願イシマスヨ! ワイデリカノ故郷ヲ救ッテクダサレルノデアレバ、何デモ差シ出シマスヨ!」

「なあ。もう一度、立ち上がってみねえか」


 長い沈黙だった。俯き、苦悩の表情を浮かべるヴィルマ。どれだけ心の中の葛藤があったのだろう。やがて意を決したように顔を上げた。キッとした表情。眼光にもう迷いはなかった。


「イェルハルドさん。私、やるわ!」

「オウ~、ジーザス! 有難ウゴザイマスヨ」

「ただし、これ一度きりです。それに成功も保証できません」

「分カリマシタヨ。イツ出発シマスネ?」

「エイラを起こして、準備して。その後すぐにでも」

「ママ……」

「エイラ、起きていたのね」

「どこか行っちゃうの?」

「ええ、そうよ。ちょっとだけ、このイェルハルドさんと旅に出なくちゃいけなくなったの」

「いつ帰って来る?」

「イェルハルドさん、故郷までは何日ぐらいかかるのかしら?」

「オウ~、ソウデスネ~。往復デ2週間デゴザイマスヨ」

「2週間、一人でいられる?」

「だいじょーぶだよ、ママ」

「エイラももう11歳だものね。ママ、心配し過ぎだったかな?」


 口では強がるエイラだが、その瞳は不安でいっぱいだ。それを見たヴィルマは、敢えて逆の事を言ってみせた。一種のマインドコントロールである。本当は何が起きるか分からない。強大な怪物を相手に命の保証もない。それを表情や態度に出せば、子供は敏感に感じ取ってしまうだろう。


「魔法のスプーンによれば、東へ向かうんだったな。東の旧友と言えば……」

「ソフィアでしょうね」

「だな!」

「エイラ、行ってくるわ。食べ物は十分にあると思うけど、もし足りなければお隣の家で分けて貰うか、あそこの宝石を売って……」

「もう分かったから! 料理も洗濯も一人で出来るから! だいじょーぶだよ、ボクが何とかするよ」



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



「おい! ソフィア、いるか? ああ、慌てなくていいぞ!」

「はいはーい、今……ぎゃっ!」


 ガラガラ!

 ドッシャーン!


「いったたぁー……やあヴィルマじゃん! 来ると思ってたよ」

「来ると思っていた?」

「うん。正確には、誰が来るかは知らなかったけどー」


 レオンみたいに豪快に笑う女性。ボサボサ頭に、大きな荷物を背負った姿。今すぐにでも旅に出るような恰好。


「出掛けるところだったか?」

「そうだよ。ウチも行くからねー」

「えーっと、まだ何も話していないんだけど?」

「ウチを何だと思ってるの?」

「ドジっ子さんかしら?」

「いやいや、ガラクタ集めが趣味の人だろ?」

「ちゃうわ! 占い師、う・ら・な・い・し! 今日、ウチの運命が変わる日だって、占いに出たのだー」

「それだけ?」

「ウチの能力を誰よりウチが信じてるからさっ」

「そんなもんかね」

「そらそうよレオン。ヴィルマは違う?」


 先刻、ヴィルマ自身悩んだ末に、危険な旅路への出発を決めたのは、確かに自らの探査魔法を信じたが故であった。僅かな逡巡の後、ヴィルマは大きく首肯した。


「どこに向かうのかは知っているの?」

「いやいや、知らないけど?」

「何をするのかは……」

「いやいや、知らないよ」

「そんなんでよく旅立つ気になったな」

「ウチの占いによれば、栄光と大金が手に入るのだー!」

「金目当てか」

「そらそうよ。大金がっぽがっぽ! 汚部屋からもオサラバー! あーっはっはっはー……ところで、そちらのターバンは誰?」

「ワイデリカノ名前、イェ……」


 斯くして、魔法のスプーンに導かれた4人は、南に出現した怪物ディノサウリの討伐へと向かった。山を越え、小さな海と大きな海を渡り、砂漠の町に到着。道中でディノサウリの恐ろしい姿を知り、「帰る!」と言い出すソフィアを引き摺りながら。



   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



「あいつが!?」

「ディノサウリイラッシャイマセヨ。間違イナイデスヨ」

「あんなの無理無理。もう帰ろうよー」

「あ……あの姿形……」

「地竜じゃねえか!」

「チリュウ?」

「個体名グリドス。右の前腕は肘から切断され、右の頬から額の辺りに大きな刀傷がある。百年以上生きている古竜だ。間違いねえ!」


 場慣れしているレオンとイェルハルドは平然と会話を続けた。一方で、真っ青になって震えるヴィルマとソフィア。特にヴィルマの様子は尋常ではなかった。


「以前、ヴィルマと懇意だったヒューゴって男がいてな。ヒューゴを骨も残らず喰らったのがアイツだ」

「オウ~、ジーザス」

「その時、地竜グリドスに深手を負わせたのがヒューゴさ。体を半分喰われながら一矢報いたんだ」

地竜ディノサウリ、人間ニ異常ナ敵愾心示シマスヨ。町ヲ襲イ人間滅ボソウトナサイマスヨ。モシヤ……」

「ヒューゴにやられたのが、よほど気に食わないんだろうさ」

「そんな……」

「ヴィルマ! おい、どうした?」


 ソフィアと抱き合ってガタガタ震えているが、燃え盛る蒼い炎のような鋭い眼光で仇敵を見据えていた。


「ヒューゴの仇……」

「やるか? やれるか?」

「ええ! やるわ!」

「なあ、地竜グリドスが砂漠にいるのは何故だと思う?」

「ワカラナイデスヨ。ソウイウ生キ物トシカデスネ」

「奴は北には絶対に行かねえ。寒さと湿気に弱えんだ」

「成ル程デスヨ。ワイデリカモ寒サ弱イデスヨ。オ水控エマスヨ」

「つまりだ。地竜グリドスを倒せるのはヴィルマ、お前だ」

「私?」

「お前の魔法が頼りだ。オレが奴の目を引き付ける。その間にお前の最大の水魔法、氷魔法を喰らわせてやれ!」

「水は数メートル飛ばせるけど、氷は近付かないと無理よ」

「そこでソフィアの風魔法だ。二人の魔法を合わせて吹雪を作り出すんだ!」

「うー怖いよー。やっぱ帰るー」

「ソフィア、お願い。協力して。ヒューゴの仇を討ちたいの」

「うぅー」

「奴の注意は逸らしておく。心配すんな、オレが必ず守る」

「そこまで言うなら……」

「秘宝イッパイ持ッテマスヨ。幻覚ノ秘薬ネ。地竜ディノサウリコレデ人間イッパイニ見エマスヨ」

「イェルハルド、援護を頼む!」

「任サレマシタデスヨ!」


 大声を張り上げながら、自分の何倍もの体躯の地竜グリドスに猛然と向っていくレオン。その忌まわしい生物に気付いた地竜グリドスは、一声吠えると、巨体に似合わぬ速さでレオンに襲い掛かった。片腕を振り回しレオンを捕まえようとする。長剣で上手くいなしながら地竜グリドスとの間合いを取る。その隙にイェルハルドが幻覚の秘薬を顔面に向かって投げつけると、地竜グリドスは何もない周囲をキョロキョロと見回し、尻尾と左腕をブンブンと振り回し始めた。


「上手ク行キマシタデスヨ」

「近付いても大丈夫そう?」

「ハイ、地竜ディノサウリレオン何十人ニ見エテイラッシャイマセヨ」

「ソフィア、行くわよ」

「怖い怖い……」

「急イデ頂キマショウヨ。幻覚オ見エニナッテモ、レオン至近距離デスヨ。危険デスヨ」

「うがあああっ!」


 その時、闇雲に振り回していた地竜グリドスの尻尾がレオンを捉えた。数メートルも吹き飛び砂に叩き付けられるレオン。地竜グリドスからは、たった一つの手応えなのに、周りの敵が全て弾け飛んだように見えた。地竜グリドスは馬鹿ではない。むしろ高い知能を持つ生物である。戦っていた相手が何十にも見えて、その実、たった一人だったと気付いた。


「オウ! ジーザス! ワイデリカ前線ニ行カレマスヨ!」

「ソフィア! しっかりして! あなたの力が必要なの!」

「うぅ……」

「仕方ないわ。先にレオンを助けなくちゃ」


 怯え震えるソフィアを残し、ヴィルマも駆け出した。イェルハルドは地竜グリドスの攻撃範囲を避けつつ、宙を飛ぶ魔法のナイフで果敢に攻撃を試みる。しかしナイフの薄い刃では地竜グリドスの堅い皮膚を傷付けるのは不可能であった。


「レオン! しっかり! 今、治癒魔法をかけるわ」

「奴はどうなった?」

「イェルハルドさんが注意を引いているわ。ソフィアは……ダメかも知れない」

「これが治癒魔法か……心地良いもんだな。これなら負傷すんのも悪くねえぜ」

「バカ言ってないで! 戦えるならイェルハルドさんの援護を」

「もう平気だ。助かったぜ。氷は無理でも、水魔法を試してみてくれ」

「そうね、やってみるわ」


 狡猾な地竜グリドスは、尻尾の大振りを止め、数十のイェルハルドの幻を一つずつ、軽い尻尾の一振りで確かめていった。その結果、すぐにイェルハルドの本体がどれであるかを見極めた。こうなると幻覚は役に立たない。イェルハルドは攻撃を完全に諦め、逃げに徹していた。そこへレオンが合流し、近距離からの攻撃を加えると、地竜グリドスはレオンを無視出来なくなり、せっかく見付けたイェルハルド本体を捨ててレオンの幻影と対峙した。動きが止まった地竜グリドスに、今度はヴィルマの水魔法が襲う。冷水を掛けるだけでも、地竜グリドスにとって非常に厄介であった。目の前のレオンの幻影は硬い外皮を切り裂いて地竜グリドスに痛みを与えるし、目の前をブンブン飛び回る魔法のナイフも小うるさい。更には遠くの方から、大嫌いな冷水が浴びせられるのだ。お互い致命傷を与えられぬまま、十分、二十分、時間だけが経過していく。地竜グリドスは無尽蔵の体力で、全く疲労の色を見せない。一方、大剣を振るうレオンの疲労は激しい。数分も全力で動けば、腕も足も鉛のように重くなり、肩で息をしなければならない。ヴィルマが土魔法を使い、周囲の砂を泥沼のように変えて地竜グリドスの動きを封じ、その僅かな隙にイェルハルドから薬を受け取って、また剣を振るった。


「コレ以上オ薬ダメデスヨ! 疲労回復、麻薬ト同ジデスヨ。体壊サレマスヨ」

「だが、ここで無理しなきゃ生き残れねえ! もっとだ、もっと薬を寄こせ!」

「オウ~、ジーザス」


 鬼のような形相。額の血管が切れ、流れ出す血液で朱に染まった。それでも重い体と大剣を引き摺って、地竜グリドスと対峙するレオン。しかし、どんなに無理をしても、地竜グリドスに致命的な一撃を与えられず、体力の底も見えない。もはや大剣を振り上げるのも難しい状態になった。


「クソッ! これ以上は持たねえ」

「レオン!」

「レオンサン!」


 地竜グリドスが弱り切った獲物レオンに迫る。万事休すか――


(後編へ続く)

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