第4話 積もる話はインザウィンド


▼△ ▼△




 そのころ、リーナは従者とともに戦場へ到着していた。


「この辺りで良いのだな? ギエリ」


 三年前より伸ばした銀の髪。

 小さな顔に透き通る白い肌。

 あどけなさを残すも整った目鼻立ち。

 だが、無くした表情が、その姿を人形のように見せた。

 

 ギエリと呼ばれた老兵が側に立つ。

 白い頭髪を後ろに縛り、顔に深い皺を刻む。

 ギョロリと大きな目を持つ男が、固く結んだ口を開く。


「はい。しかし、最も危険な場にフィオリーナ姫を立たせる。かような扱いを国王陛下が知れば、如何にお嘆きなさることか」


「言うな、ギエリ。父上は未だに動けぬ。話し合いはもう終わったことだ」


「……あの女狐に逆らえぬ者どもの決議などっ!」


 老兵の口元は怒りに震え、握り締めていた拳からは赤い一筋が流れ落ちた。


「あれでも義母ははだ。良い、我がこの場にあることで、兵士の士気は上がっておる。準備を整え、最善を尽くが良い」



 ――――



 陽が落ちてきた。青い空がオレンジに染まる。

 やがてリーナの見つめる先、空間が揺れ、風が渦巻く。


祝詞のりとをあげよ!」ギエリの声が響く。

 あらかじめ魔力を込め描いていた魔法陣が浮かびあがる。


 彼女の見つめる先。

 巨大な竜巻となり、大量や砂が天空へと吸い込まれた。


「詠唱開始! 出現時に喰らわせろ!」ギエリが叫ぶ。

 唱える魔法士。魔力を込めた杖や剣に光が宿る。

 

 彼女の見守る先。

 樹木が容赦なく薙ぎ倒され、竜巻が舞い上げる。


「来るぞ! 構えよ!」ギエリは重い声で指示を出す。

 設置済みの強弓を数人がかりで引く。

 魔法陣からの祝福が光の粉となり、矢と引き手に降り注ぐ。


 彼女の見据えた先。

 雷光纏う砂の中心、歪んだ空間から姿を現した。

 ヒレのような足を地に着け、人々を見下す高さは10mを超える。三階建て家屋の高さを持つ――。


「砂竜――サンドドラゴン!」


 その姿、あまりの強大さに息を呑む戦士たち、しかし、リーナはなんの躊躇もなく、


「放てーーい!!」


 魔法と弓の一斉照射、放たれた氷塊、石礫、空気の渦は鋭利な刃物となり砂竜を傷つける。

 雷が天から落ち、爆音が轟く。

 祝福を受け放たれた矢は、硬いウロコにやじりを突き立てた。


 出現と同時の攻撃は標的を違わず、砂竜を傷つけ、体内を流れる赤い血を、その場に撒き散らす。


 グォアォォーォオオ!! 咆哮。突き立った矢を体をくねらせ弾き出し、赤い、血とも体液ともつかぬ液体が、地面を汚泥のように赤黒く変化せた。

 低い位置で顎を開き、幾筋も液体を滴らせる。

 翼は炎でくすぶり、片側に刺さった矢は抜け落ちずに残る。


 先制攻撃。

 少しでも遅れてしまえば、万全の砂竜の攻撃がリーナ達を襲い、早々に壊滅的な打撃を受ける。怯まずげきを飛ばせたかどうかで、結果はまるで異なる。


 老兵ギエリは驚愕の表情でフィオリーナ姫を見た。彼が魔竜の威圧に死を覚悟した刹那せつな、先に彼女が号令をかけたのだ。

 リーナの胆力の賜物たまものか、死を恐れぬためか、……時間をかけ、感情を閉じたからなのか。


 眼前、砂竜の傷は深い。


「このまま押し切れーいっ!!」ギエリが檄をとばす。


 皆、更なる詠唱を唱え、強弓を引く。しかし――、


 砂竜を金色の魔法陣が取り囲む。

 そこから光があふれだし、砂竜を包み込む。鱗が剥がれ、新たに生え変わり、傷が消える。


 一斉攻撃は、身構えた砂竜に届く前に弾かれ、地に落ちた。

 砂竜は前進、そして顎を大きく開き――、


 ドドドォーーォォオ!! 砂のサンドブレス、詠唱後で身動きの取れない者たちは、砂の激流に流され、飛ばされ、ヤスリの様な砂に身を削られた。


 ギエリが盾を構え、リーナの前に立ち、身を挺する。盾が削れ、前方が見渡せる頃に砂は止んだ。

 黄昏に染まる景色。砂を纏い、存在感を誇示する、金色の竜。


「あ、あ、ああ、――――」


 戦闘火力――壊滅。


 圧倒的な戦力差。ギエリは傷つき、リーナ自身も肌を血に染め、両膝を付く。


 金の砂竜の顎が開く、――もう一度、同じ一撃が来た時、全てが終わる。


 リーナはまぶたを伏せた。

 最後に、数年前、楽しかったあの夜のことが脳裏に浮かぶ。


 そして、かすかにあの声音が、少し逞しくなった声と重なり、彼女の頭に響いた。


 バチバチィィイ!! リーナの後ろから、突風が吹き抜けた。突然の出来事に目を開ける。

 顎を開けた砂竜が、風の纏う雷に打たれ、動きを止めている。


 風の吹く方角を振り返る。

 黒い髪を後ろになびかせやってくる。

 思い出と変わらぬまま、真っ直ぐに、輝く黒い瞳を向けてくる。


「リーナ!!」 手に持つ木刀はリーナが授けた我が家来の証。

 彼の左肩から顔を覗かせるのは、リーナの使い魔、ナイアン・シェイカー。

 ――連れてきてくれた! 目尻に溜めきれなかった熱い液体が、リーナの頬を伝う。口元は震えながらも確かに笑みが漏れる。なくしていた表情。少し不器用な顔になってるかもしれない。


 最期に、もう一度会えて良かった。


「……レイジ」声が震えて上手く伝えることができない。


 ――――


 玲司は走る。随分と、会えなかった大切なひと。

 しなやかな銀の髪も、愛おしい紫色の瞳も、時折ぷっくりさせる柔らかそうな頬っぺもそのままに、涙ぐむ笑顔でこちらを見ている。


 玲司は走る。彼女の不安を消し去るため、ここにきた。


「あのデッカい奴をぶっ潰すっ!」


「レイジ君……道中で教えた祝詞のりとを!」


 猫の姿のナイアンが、叫ぶ。フィオリーナを守るために。


「忘れたっ!」


いさぎよい返事です。では、わたしの言葉を復唱してください。姫さまを助けるという、キミの想いをのせて!」


 玲司はナイアンが耳元で囁く祝詞のりとを復唱する。


『彼の地に眠りしアーングロッフェン、かしこもうさん、我が願い聞き届け給へ』


『光熱、大地を陰に遮り、蓄えし御力、今こそ示せ。闇の王』


『我が血に宿りし魔の力を御身に捧ぐ。眼前、憂いを打ち払わん。――開け! 冥府の門!』


 玲司は渾身の力と想いを乗せ、大地に木刀を突き刺す。


滅総、冥王解放きえされ、きみをかなしませるものすべて!』


 大地がひび割れ、空気が振動する。木刀から、無数の黒い文字が回転し、地に吸い込まれる。

 玲司は、全身の力が抜けたように、その場でうずくまる。

 

「な、なんだ? 全く力が入らない」


 吸い込まれた文字は地中深くに消え去った。


「ナイアン! 何も起きねーじゃないかよ!」


「レイジ君、敵を見るんだ! 奴が回復する前に、もう一度、攻撃を! このままだと、姫さまもろとも敵にやられます」


 力が入らない体に鞭打って、玲司は木刀を振るう。一日に千回は振ってきたが、この一振りが一番キツい。だが、ここで終わるわけにはいかない。


「させるかぁ!」


 最後の力を振り絞り、砂竜に向けて振るった。


 バチィイ!! 雷を伴う烈風が砂竜を襲う。そして――


 広範囲の魔法陣が、大地に浮かび上がる。

 複雑に回転する漆黒の文字。

 地面から黄昏の天に向け、立ち昇る。

 ヴォン! 文字の中心に、闇の空間が出現した。

 その闇にナニカが居る。闇に包まれ姿は見えない。

 イルと認識した。その瞬間、玲司の背筋が凍りつく。


 ――ソレ ハ アラワレタ。


 闇から砂竜へ向け、黒い剣が射出される。

 剣の軌跡には何も残らない。

 二振り、三振り、徐々に闇の剣が数を増す。

 


 砂竜の身体を無数の闇の剣が通り抜けていく。

 黒い剣は音もなく、静かに砂竜を通過するだけ。

 砂竜を通り抜けた箇所は闇。

 血も肉も骨も、全て闇に奪い去られた。


 やがて、出現したナニカが気配を閉じ、黒の魔法陣は漆黒の粒と化し、空気に溶け込んだ。


 砂竜の存在が闇に奪い尽くされていた。


 見届けたところで、玲司は意識を失った。



 ――――



 玲司は目を覚ました。星々が瞬く。

 まだ、ぼーっとしている。

 頭をやさしく撫でられている。

 ゆっくり息を吸い込む。

 ふんわりと甘い香りが、遠い記憶を呼び戻す。 


 玲司は考える力も戻ってきた。


 ――もう少しだけ、このままで。玲司は目を開けて、この時間を終わらせたくはなかった。すると、ポタッ、ポタっと頬に雨粒が落ちてきた。リーナに、目覚めていることがバレないよう、ゆっくり片目を開けた。


「よかっ……た」


 表情を繕うこともできず、リーナは笑みを浮かべたまま、大粒の涙を玲司にこぼす。玲司の頬を伝う涙が暖かい。


「気が付いたのか。――ならば、すぐに退かぬか。我の脚が痛いであろう」


 そう震える声で言うと、リーナは自分の脚に載せている玲司の頭を、軽く持ち上げる。


「姫さま……嬉しさ溢れる表情に、そのセリフは似合いませんよ」


 地面に降ろされる予定だった玲司の頭は、ふわり持ち上がる。


「ずっと……お前に会いたかった」リーナは感情そのままに、自身の胸へ、我が家来たいせつなひとの頭を抱き寄せた。


 ――オレもだ。




 全てを使い果たした玲司は、まだしばらく動けない。


 春の夜風がフィオリーナの銀の髪を揺らした。

 月の光が彼女の髪の動きに合わせ、光の粉を舞い散らす。

 サラサラと草原を駆ける風音かざおと、木の葉の揺れる音が、二人だけの会話を包み隠す。


 月の綺麗な夜、星々は瞬く。

 吹き抜ける風、薫る大地。

 青い夜の空気に包まれて、ようやく重なった二人の時間。

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笑顔を見せてよフィオリーナ 矢口こんた @konta_ya

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