第三章 ――霧の町 ニバタウン! ~ The town in fog ~ ――

第24話 荒唐無稽

   ―― 第三章 霧の町 ニバタウン! ――


 木々の隙間から木漏れ日が差し込んでくる道を、アユムは地図を片手に歩いていた。右肩にはイトミク、頭の上にはルビー:カーバンクルことカーぼうが乗っかっているので、結構重い。一人で森の中を黙って歩くのにも飽きたし、旅は道連れって言葉もあるしで、二匹を結晶石から召喚したのはいいけど、ちょっと後悔し始めていた。体の小さいイトミクはまあいいとして、カーぼうはちょっとデカめの子犬みたいな重さだし、頭の上でどっしり、ふてぶてしくしてるので、体力的に実に負担大なのである。


 視界の先にちょっと座れそうな大きさの切り株を見つけると、アユムは少し休憩することにした。マリーからもらった地図的には、それほど大きい森ではないのだけど、実際歩いてみると結構時間がかかる。旅をナメていたというのもあるが、こんなに歩かせる距離で隣町なんて言わないでほしいとアユムは思った。

 アユムは切り株の上に腰を落ち着けると、カーぼうが物言いたげな視線を向けているのに気づいた。


「……なんだよ、カーぼう」


「一応、はっきりさせておきたいんだけどさ。アユム。お前……記憶がないなんて、なんで嘘ついてるんだ?」


 虚を突かれて、アユムは思わず全身が強張った。


「お前が言わないから、おれもあえて追及はしなかったけどさ。おれやイトミクはお前と契約しているから、お前の考えてることがなんとなくわかるんだ」


「……それなら、そうと早く言ってほしかったよ」


「ずっとマリーが張り付いてたからな。おれも話が切り出せずにいた」


 アトリエではいつもマリーが気にかけてくれていたから、カーぼう的には内緒話をする隙がなかったのだ。主人であるアユムは記憶喪失と言っていたが、魔力で繋がる感情からは微かな違和感を覚えたことから、カーぼうはずっと気になっていたのである。

 アユムはしばらく木々の葉をぼんやり見つめて沈黙していたが、やがて訥々と自分の身に起きたことを話し始めた。


「記憶がないっていうのは……本当だよ。ただし、全部じゃない。覚えていることもある」


「なら教えてくれよ。お前が覚えていることについて」


「……荒唐無稽だと思うけど」


 感知に長けたイトミクの角は光っていない。周囲に自分たち以外誰もいないであろうことを確認すると、アユムは小さく息を吐いて、二匹の方に向き直った。


「俺が別の世界から来た人間って言ったら、お前ら信じるか?」


 アユムの口から語られた事実は、存在自体が珍妙なカーぼうからしても、俄かに信じがたい話だった。




   ◇ ◇ ◇




 記憶はところどころ断片的になっているが、黒の樹海で倒れる前、アユム――広瀬歩は自転車を漕いでいた。確か学校帰りに、行きつけのカードショップへ向かう途中だった気がする。その日は大学の講義も午前中で終わるため、吉野家で牛丼並盛を食べて、夕方ころから行われる人気TCGの大会に出場する予定だったのだ。前回大会で町内8位に終わった雪辱を晴らすべく、この日のアユムは燃えていた。


 この世界に来る前は、自分はそんな……ただのカードゲーム好きの大学生だったのだ。

 途中から記憶が曖昧になって思い出せなくなる。先の見通せない分厚い靄が記憶に蓋をしているようで、無理矢理思い出そうとすると頭が痛くなる。

 本当に……気がついたときには、あの森に倒れていたのだ。


 そこからはイトミクとカーぼうも知る通りである。


 おそらく何かきっかけがあったのだとは思うが、どうしても思い出せそうにない。

 自分がいなくなったことで、どんな影響が出ているのだろうか。

 突然失踪した自分のことを心配する家族のことを思うと、不可抗力にせよ、申し訳ない気持ちになってくる。早く元の場所に戻りたいと思っているが、方法がわからない。そもそもどうしてこんな事態になっているのか、アユム自身、まったくわからないのだ。


 樹海で目を覚ましてからは、驚きの出来事の連続だった。疑問に思うことは多々あったけれど、目の前のことをどうにかするので手一杯で、ゆっくり考える暇もなかった。マリーの特訓はアユムにとっても、それだけ過酷な訓練だったのである。


 アユムにとって、ここは異世界と呼ぶにふさわしい場所である。


 街の看板に書かれている文字も、アルファベットや日本語ではなく、アユムが見たことがない文字で書かれている。不思議なのは、自分がそれを理解できるということだ。アユムはレムレスに関する事柄をはじめとして、こちらの常識に乏しいため、書いてあることの意味はよくわからない。だけど、音として発音することはできる、なんて書いてあるのか読むことができる。簡単なメモ書きも問題ない。自分の記憶では見たこともない文字なのに、である。知らない文字を当たり前のように書けるのが少し怖くもある。


 街の人たちの言葉だって、頭の中では日本語として理解できている。だから、話したり、文字を書いたりするのに不都合はない。理屈は不明だが、理解できるのだ。

 考えてみるとおかしいことは他にもたくさんあるかもしれない。


 おかしいのはアユム自身のことだけではない。


 白の本に書かれている文字を見て、マリーは超古代文明の文字によく似ている、みたいに言っていたけれど、アユムからすると何の変哲もない日本語なのだ。認識に大きなズレがあるとは思ったが、指摘はしなかった。文章として読むことはできるけれど、レムレス知識に乏しい今のアユムには結局理解できないことばかりだったし、マリーからこれ以上不審に思われるのも嫌だったのだ。


 自分が何故、どういう手段で、この場所に来たのか?

 肝心な情報がすっぽり抜け落ちていて、カーぼうが指摘したように、記憶喪失ってわけではないが、状況としてはほとんど変わらない。アユムは自分が元いた場所へ帰る手段も、何もかも、わからないことばかりだった。




   ◇ ◇ ◇




 アユムの話を聞いて、カーぼうは一つ納得することがあった。


 彼が異常に呪文札スペルカードの習得に手こずっていたのも、完全な記憶喪失ではなく、別世界の記憶が入り混じった状態であるとすればうなずける。まっさらな状態で一から覚えるのと、既存の常識を取っ払ったうえで、新たにインプットするのでは、似ているようだが、後者の方が圧倒的に難しいと思われる。自分の中にすでに構築された常識や固定観念が、呪文札の効果発現に最も重要なイメージ……想像する力の邪魔をしてしまうのだろう。


「お前の話を聞くと、呪文札が黒色ばかりになるのも納得だ。イメージの時点で、ここにはない概念をお前はたくさん持っちまってる。他の色を多少でも使えるようになったのが、むしろ大したもんなんじゃねーか?」


「お前に褒められても嬉しくないけど、ま、苦労したよ。魔法なんて、俺が元居た場所じゃ、物語の中にしか存在しなかったから。レムレスだって、アニメやゲームに出てくるモンスター見たいって思ったもん」


「アニメ? ゲーム? ……ってなんだ?」


「まぁそのうち、教えてやるよ」


「ふーん。とりあえず、話はわかったよ。ま、記憶喪失のおれもどっから来たかわからないって点じゃ、お前と似たようなもんだしな」


「カーぼう、お前の方こそ、何も覚えていないのか? 例えば……ご両親、とか?」


「レムレスに親はいねえよ。ある日突然、誕生するんだ。理屈はおれにもわからねぇ」


「なんだそれ」


「ここじゃ普通なんだよ。街で悪目立ちしたくなけりゃ、適応しとけ」


「わかってるよ。これでもライセンス試験の時に必死に勉強したんだ。一般常識はある程度頭に入ってる」


「んで……覚えてることだが、マジで何もない」


「それホントか? 一ミリも覚えてないのか?」


「一ミリも覚えてない。お前に言われるまで、自分の好物も忘れてたくらいだ」


 そういえば白の本の記述に、好物はうめぼし、って書いてあった気がする。


「ぶっちゃけ、アユムよりもおれの方が正体不明度高くね?」


「かもな。でも、今そればかり気にしてもしょうがねーだろ。休憩もこの辺にしてそろそろ行くか」


「だな。目的地ってどこだっけ?」


 アユムは鞄から地図を取り出して広げた。


「まず目指すべきは、ここ……オウカシティだ」


 旅の目的の一つ、マリーの研究の手伝いでオウカシティにいる彼女の知り合いを訪ねることになっていた。それにオウカシティにはレムレスを鍛えることを目的とした施設、レムレス・クランがある。クランで実力を認められれば、操獣士ランクが上がって、行ける場所が増える。

 現在のノービスランクのままでは、立入禁止になってしまう場所が多く、マリーの研究を手伝う意味でも、自分の記憶の手掛かりをみつける意味でも、ランクを上げておくに越したことはない。


 そのオウカシティは、フォルトの町の隣にあるニバタウンという町から電車で向かうことになる。歩いていけないわけではないが、かなり時間がかかるし、旅を始めたばかりのアユムにとってはおよそ現実的ではない。


「そういうわけで、今はニバタウンに向かってる途中ってわけだ」


「なるほどね。地図は読めねーから、お前が頼りなんだ。迷子は勘弁してくれよな」


「犬に地図が読めてたまるかよ」


「おれは犬じゃねぇ!」


「わかったわかった。さて、じゅうぶん休憩したし、そろそろ行くか」


 尻に着いた木屑を払って立ち上がると、アユムはリュックを背負って歩き出した。

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