第10話 退魔の封札

「ハァハァ…………契約は……どうなったんだ?」


 マリーは結晶石を拾い上げ、アユムに手渡す。


「……契約完了よ。やるじゃない!」


 マリーのねぎらいの言葉に対して、アユムは浮かない表情だった。

 結果的にルビー:カーバンクルとの契約に成功して、結晶石に封印することができたが、これはカーバンクル自身が望んだ結果ではない。自分が無理矢理に従わせたような結果に、苦い気持ちが、真っ白なシャツに落ちたコーヒーのシミのように胸の中に広がる。

 アユムはルビー:カーバンクルの封印された結晶石を見つめてつぶやいた。


「イトミクは自分から仲間になってくれたけど、カーバンクルは違う。こいつは最初、おれとの契約を嫌がって、それで戦うことになって……」


「……キミが悩んでいる理由は正直、私には理解できないわ。だから、直接本人に聞いてみたら?」


 マリーにそう言われて、アユムは結晶石の封印を解いてルビー:カーバンクルを召喚する。ルビー:カーバンクルは面倒なものを見る目つきでアユムを睨み、気怠けだるそうにふてくされていた。


「カーバンクル…………」


「なんだしみったれたツラして。あーあ、しくったなぁ~っ!」


「なんかゴメン。その……成り行きとはいえ、無理矢理結晶石に封印してしまって……」


 ルビー:カーバンクルはきょとんとした顔で目をぱちくりさせる。


「なんでキミが謝るの?」


「いや、だって……イヤだったんだろ、契約するの」


 アユムが弱々しく言うと、ルビー:カーバンクルはフン!と鼻息をならす。


「そりゃ嫌さ。人間に従うなんて、プライドの欠片もないじゃないか!しかもキミみたいな明らかに弱っちぃ操獣士テイマーなんか願い下げだよ。おれは一人で生きるのが性に合ってるんだ。自分から望んで契約したっていう、そこのちんまいレムレスは気が狂ってるとしか思えないね」


 アユムのみならず、イトミクにまで憎まれ口を叩くカーバンクルに対し、傍で聞いていたイトミクはだんだんイライラが募り始めたようで、角の色が興奮の色に変わり始めていた。


「……でもさ」


 フッ、と自嘲したように小さく笑うと、ルビー:カーバンクルはアユムの頭の上に飛び乗った。


「だからおれはキミと戦ったんだ。そして……結果キミは勝った。あのマリーって女は練習試合って言ってたけど、勝負は勝負。おれはキミに負けたんだ。認めるよ、キミがオレの操り人だって。わかったら、もうちっとしゃきっとしてよね。しゃきっと!」


「カーバンクル……!」


「あっ……でも勘違いしないでほしいんだけど。キミがあんまりダメそうなら、すぐ見限るからな。そのつもりでいろよな」


 ぷいっとそっぽを向くルビー:カーバンクルがなんだか可笑しくってアユムは笑った。彼の心配は少なくとも、このルビー:カーバンクルには杞憂きゆうだったようである。


「にしても、キミ自身がアホになりきっておとりになるなんてな……すっかり騙されちまった」


「ふっふっふ。鮮やかな作戦だっただろう」


「勘違いしてるようだけど、おれが褒めたのはお前じゃなくてイトミクだからね!」


 イトミクはまだルビー:カーバンクルの憎まれ口を受け入れられないようで、不機嫌そうだ。この二匹……結構相性悪いのかも……。

 そんな和気藹々わきあいあいとした様子を遠巻きに見つめていたマリーは、ニッと笑う。


「ふふん。どうやら一件落着のようね」


 二人はいいパートナーになるかもしれない。

 とはいえ……初めてにしては素晴らしい成果だが、先ほどのバトルの内容はマリーの目から見て非常に危なっかしいものだった。野生のレムレスにはもっと強力な種類もいるし、あれじゃ満足にフィールドワークもできない。《術技スキル》に関しても偶然が重なっただけで、満足に扱えていない。ぶっちゃけその辺のおっちゃんにも軽くひねられてしまうだろう。

 どうやら特訓はそう簡単には終わらなさそうである。ともあれ、まずは実験結果の確認だ。


「アユムくん。喜んでるところ悪いけど、さっきの本をみてみて」


「本? あ、なんか光ってる!」


「私の想像通りなら、君がカーバンクルくんと契約したことで、ルビー:カーバンクルの記述が追加されてるはずよ」


 本の光っているページは彼女の言葉通り、ルビー:カーバンクルのページだった。


「なぁなぁなんて書いてあるんだ?」


「お前、しゃべれるのに、文字は読めないのか?」


「人間が使う変な模様のことなんていちいち覚えてられないよ。キョーミないし」


 アユムはルビー:カーバンクルにも聞こえるように本の記述を口に出して読んだ。


『名称:ルビー:カーバンクル。分類:幻獣種。属性:無。大きさ:0.7m。重さ:5kg。解説:ふさふさの体毛は武器にもなる優れもの。額の赤い宝石はエネルギーの核になっている。宝石の輝きが失われた時、その命も失ってしまうと言われている。地域によっては絶滅していて詳しい生態はよくわかっていない。かつて……を導いたレムレスと伝えられている。好物はうめぼし。おしるこも大好き。』


「……だとさ。記述は増えたけど、結局よくわかんないな。単語が抜けてる箇所もあるし。お前の好物についての説明が一つ増えたくらいか」


「いやぁ……ミステリアスな存在ってかっこいいよなあ」


「調子乗んな」


 マリーはアユムの解説を聞きながら、自分の推測が正しかったと判断する。それと同時に、この本に対する危うさもまた強くなった。


 ――本人の意思に関係なく、レムレスの生態を記述する本。その仕組みは不明だが文章が古代文字で記述されていることから、失われた古代技術が使われたシロモノであることは間違いないし、人によってはのどから手が出るほど欲しいものだろう。金銭的な交渉を持ちかけてくるならまだしも、非合法な手段で奪いにくるやからがいてもおかしくない。

 それほど貴重な本だと思うのだが……所有している当の本人には全くその自覚がない。


「アユムくん。その本はあまり人前で開かない方が良いわ」


「……なんで?」


「出会っただけでレムレスの生態を把握できるなんて、学術的にも戦術的にも、現代の常識を破壊してしまうようなものよ。いつ狙われてもおかしくない。私が預かってもいいんだけど……どうする?」


 不必要に危険を背負うことはない。マリーの言葉にも一理あるとアユムは思った。

 だけど、この本のおかげでギアノロイドとの絶体絶命のピンチを切り抜けられたのも確かなのだ。


「本は俺が持ってるよ。マリーが言うように、あんまり目立つところで読まないように気をつける」


「そう。どうせ私が持っていても読めないし、君が決めたのなら異論はないわ。ま、ちょっとだけ仕掛けを足しときますか」


 マリーは腰の袋から封札を一つ取り出してアユムに渡す。見た目はふつうの栞と変わらない。


「それは退魔の封札。泥棒に荷物を盗まれないための道具なんだけど、私がカスタマイズした特注品よ。その札に自分の魔力を注ぎなさい」


 アユムは結晶石で契約するときと同じ要領で、マリーから受け取った札に魔力を流し込んでいく。すると札の色がだんだん黄色を帯びてくる。


「そんなところね。その札を本にいつも挟んでおきなさい。君以外がその本に触れると、札から魔力による電撃が飛んで、相手はただじゃすまないわ。出力も調整できるけど、今は雷を少し弱くした程度にしといたわ」


「……こわ」


「実際にやって見せた方がわかるわね。カーバンクル君、その本に触れてみなさい」


「いや鬼か!? 触れたらただじゃすまないって言ったばっかだろお前!」


「だいじょーぶ。レムレスは頑丈だから、これくらいじゃ死にゃしないって」


「なぁアユム。このイカれた女をなんとかしてくれ」


「……まあ触れたらどうなるかは、俺もちょっと気になるな」


「おい、お前なに考えてる。なんで黙ってる。なんでその本をオレに向けてるんだ……!」


 アユムが本をカーバンクルに軽くぶつけると、電光が一閃! カーバンクルの体中の体毛が静電気を溜め込んだようにくるくるに巻き上がった。ストレートな毛並みはすっかりチリチリになっていた。

 レムレスの丈夫さをあらためて思い知ったアユム。人間が触れたらただじゃ済まない。まるでスタンガンだ。彼に対するルビー:カーバンクルの信頼は指数関数的に下落した。


「ちなみに発動回数は無限ではないから注意して。バッテリーと同じで一定回数を超えるとチャージが必要なの。今設定したのは、せいぜい5回くらいよ」


「5回も悪漢がこの本取りに来るなんて考えたくないな……」


「さてと実験も済んだことだし、少し休憩にしましょう。カーバンクル君も協力ありがとう」


「貴様らを八つ裂きにしてやろうか……っ!」


「ごめんごめん。イクシリア、彼を治癒ちゆしてあげて」


 召喚されたイクシリアはカーバンクルを一瞥いちべつし、両手を向けて目をつむる。優しいあおい光がカーバンクルを包み込む。光が消えると、彼の体毛は元のストレートを取り戻していた。


「何が起きたんだ……?」


 先ほどまで人類への憎しみをあらわにしていたカーバンクルだったが、今やその心さえも菩薩ぼさつのごとく浄化された気分である。


「イクシリアの《術技スキル》、リライブよ。《術技》を使いこなせば、こんなことだってできる。そろそろお昼にしましょう。頑張ったから、カーバンクル君には特別美味しいものを用意してあげるわ」


「……おれを物で釣ろうったって、そうはいかないからな」


「今日の昼は特製、うめご飯よ」


「ほんとに! やったあ~!」


 二人のやりとりを見ていたアユムは、レムレスも所詮畜生だなと思った。

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