第二章 ――マリーの特訓 ~ Marie's special training ~――

第11話 ライセンス取得試験

 昼休憩を終え、アユムは鉛筆片手に大量の書類と格闘していた。

 机の上にはレムレスに関する書籍が山のように積み重なっている。そして今、そのうちの一角が雪崩を起こして崩れた。それがスイッチとなって、アユムは鉛筆を置いて、頭をかきむしる。もう耐えられなかった。もうやってられるかという気持ちで一杯だった。

 当初は午前中のように実戦形式の訓練をマリーと行う予定だったのだが、彼女のささいな一言がきっかけで、このデスマーチとも呼ぶべき地獄の勉強が始まったのだ。


「もう無理だ!」


「根性ないわね~。もう少し頑張りなさいな。試験のこと忘れてたのは謝るから」


 ――試験。


 マリー自身、完全に忘れていたが、町の外にレムレスを連れて行くにはレムリアル・ユニオンが発行するライセンスカードが必要なのだ。レムレスを用いた犯罪を抑止する目的もあるが、未熟な操獣士が町の外で遭難したり、事故に巻き込まれないようにするための抑止力という意味合いが強い。


 町の外へ一人で満足に出ることすらできない現状では、マリーの研究を手伝うことなんてとてもじゃないができない。彼女の研究はどちらかといえばフィールドワークが主体なため、町の外での調査が多いのだ。

 そういうわけでアユムもライセンスを取得する必要があるのだが、ここで問題が出てきた。ライセンスを取得するには、ユニオンで実施している操獣士テイマー認定試験に合格しないといけないのである。

 自動車を運転するために、免許試験に合格しないといけないのと同じようなものと捉えてもらって構わない。


 ライセンス取得のための試験は、レムレスに関する常識的な知識を問う筆記問題と野生のレムレスとの戦闘を想定した実技試験の合計点で合否を判断される。

 試験の難易度はかなり易しめ。だが、それはあくまで普通の一般人の場合だ。アユムの場合はだいぶ事情が違ってくる。


 記憶喪失によってレムレスに関する基本的な知識を忘れてしまっているアユムにとっては、特に知識問題のハードルが格段に跳ね上がるのだ。それで、試験対策としてマリーによる猛勉強が始まったのだが……普通の人なら生活する上で自然と身に着けていくような知識を短時間で詰め込もうとしているわけだからすぐに無理が来るというものである。


 アユムは頭に入れるべき大量のテキストを前に、しばし絶句していた。


「ちょっと待てよ……コレ……どう考えても無謀だろ。マリーは全部頭に入ってるの?」


「ええ。だってホントに初歩的なことばかりだもの。疑うなら、何か問題出してごらん」


「ふーん。じゃあ……レムレスの属性について、草木に有利なのは?」


「水冷」


「正解。ってことは……嘘だろ、ホントにこれ全部常識なのかよ……イカれてる」


「イカれてるのは君の頭の方よ。うだうだ言ってないで、早く再開しなさい。ほら、あの子たちも頑張ってるんだから」


 窓の外ではイトミクとルビー:カーバンクルがイクシリアの指揮のもと、特訓を続けていた。戦闘実技試験の対策である。カーバンクルが随分やつれた顔をしているが、大丈夫なんだろうか。しかし、今のアユムには彼らにかまってやる余裕がない。目の前のテキストを覚えるので手一杯なのだ。


「そういえば……試験って何週間後? 覚えるにしてもペース考えてやろうと思って」


「何言ってるの? 一か月も待つわけないでしょう? 試験は明日よ」


 人は絶望した時、本当に目の前が真っ暗になることをアユムはその身をもって知った。


 マリーが鬼みたいなことを言ってるように思えるが、事実として試験は簡単な常識問題ばかりであり、満点で合格するのが普通なのだ。ライセンスはこの国の人々にとって必須アイテムの一つであるから、取得試験も平日は毎日開催されている。多くの人は高校卒業時には取得しており、中学卒業時点ですでに取得している人も珍しくないくらいだ。


「さ、時間が勿体ないわ。続き続き!」


 文句を言う気も失せたアユムは黙々とレムレスに関する知識を頭に叩き込む。マリーはまたすぐに音をあげるだろうと思っていたが、彼女の予想を裏切り、日がとっぷり暮れるまで黙々と勉強を続けた。ちなみにルビー:カーバンクルは三十分で特訓に根をあげて、日向ぼっこをしていた。



 そうして夜も更けてきたころ。覚醒の瞬間は唐突に訪れた。



 一心に勉強に取り組むアユムに付き合っているマリーも欠伸あくびが出てきてしまうような時間。彼がすでに読み終えた本は十冊を超えていた。勉強の進度で言えば、小学校卒業までの教科書を学び終えたようなもの。ほとんど0からのスタートであることを考えると凄まじい成果だが、時間的に試験の範囲を全て網羅するのは不可能に思われた。

 アユムはそれでも諦めずに、集中力などとうに限界突破している頭でテキストを読み続ける。何が彼をそこまで突き動かすのか。始めは嫌々始めた試験勉強だったが、無理やりに進めていくうち、レムレスに関する断片的な知識が少しずつ、少しずつ、線で繋がっていく。頭の中で独立していた知識が関連付けられていくうち、自然とモチベーションが高まった。


 とはいえ、アユム自身も明日の試験までにマリーから渡されたテキスト全てを頭に入れるのは時間的に不可能だということに気づき始めていた。高まるやる気の裏で不安感も大きくなっていた。

 ずっと見ていたマリーにしても、アユムの頑張りを認めない訳にはいかなかった。


「……君がこんなに頑張るなんて思わなかったわ」


「今の俺にできることはこれくらいしかないから。足手まといは卒業したいし」


 イトミクたちと違って、アユム自身には戦闘能力はない。ただの人間なのだから当たり前なのだが、記憶をなくしている彼にとっては、自分が役立たずのこの状況が何よりもコンプレックスになっていた。この状況を脱するためには、記憶を取り戻すのが一番だが、そう簡単に思い出せそうにない。できることからやるしかない。今のアユムはそんな心境だった。


 マリーは本棚から薄い冊子を一冊取り出して、アユムに渡す。冊子のタイトルには『万点屋』と書いてある。


「……問題集? どうしてこれを?」


「気が変わったの。君の努力を水の泡にするのは私としても気が引けるし。今渡したその『万点屋』テキストの問題と答えを無理矢理覚えなさい。大丈夫。君ならすぐに覚えられるわよ。ユニオンの試験はそのテキストに書いてある問題がそのまんま出るの」


 アユムは己の耳を疑った。試験問題がこのテキストからまんま出てくるなんて……そんなことあるはずがない。そう思うのだが……。


「黙ってて悪かったわね。いずれちゃんとした知識も必要だから、きちんと勉強してもらったけど……実は、そのテキスト買って試験を受ける人がほとんどなの。言っちゃえばカンニングみたいなもんだけど、試験に合格するには答えを暗記しちゃうのが一番楽だから」


「そんなの売ってたら、試験の意味なんてないんじゃ……」


「免許や資格の試験なんてそんなものよ。要は形式が大事ってことね」


「そんなバカな……もっと早く教えてほしかったよ……」


 期せずして合格への可能性がぐっと高まったアユムだったが、やるせなさと徒労感が胸にずっしりのしかかってくるのだった。

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