第三章 36話 陸上自衛隊 琉洲奈島警備隊のフェンス6

ひと眠りした後で、寿満子は自身の姿に気づいた。悪臭のする髪にとても我慢できなかった。


 追手から逃げるために、清掃員への変装で、赤い特徴ある髪の毛を隠すために悪臭のするタオルを髪に巻いた。汚れたタオルはゴミ箱に叩き込んだ。


 祖母のタンスの中から裁ち鋏を出して鏡の前にすわった。


 ほんの数日前まで愛しい夫が好きだと言った赤い髪を見つめた。


 鏡に映る寿満子の顔は目元には隈ができ、唇はひび割れていた。ほとんど睡眠をとらず充血して白目も赤くなっている。


 一夜の宿を求めた旅人に奥の部屋は決して見てはならないと告げた安達ケ原の鬼婆の昔話を思い出した。

「鬼婆ぁ」という妖怪は、こんな姿なのだろうと自嘲気味に笑った。


 

 子供の頃聞いた鬼婆ぁの話では、

 

 親切そうに旅人を招き入れた鬼婆が決して見てはいけないといった奥の部屋。

 好奇心から奥の部屋を見てしまった旅人がそこに白骨死体がうずたかく積み上げられていたことに腰を抜かす。

 安達ケ原で人の血肉をむさぼり食う鬼婆がいるという噂はこれだったかと思い出し旅人は逃走した。

 鬼婆は旅人が逃げたことに気づくと鬼の形相で追いかけてくる。


 こんな展開だった。

 

 この話の終は旅人の荷物の中の観音像が決め手となる。それに必死にお経を唱えて祈ると観音菩薩が矢を放ち、鬼婆を打ち払って「めでたし、めでたし」となる。


 祖母の家には仏壇があった。中の本尊は釈迦如来で観音像ではなかった。鬼婆ぁには効果がないなと思った。


 「ばあちゃん、お釈迦さんじゃなく、観音さんでないとアカンやん。役にたたんわ」


 独り言ちると鏡の前に戻り、足元に新聞紙をひいた。鏡をみながら適当に髪をジャキジャキ切り始めた。潔く何の躊躇もなくベリーショートに切りそろえた。


 可機田学を思い出す赤い髪、薄汚れたタオルの不愉快な臭気の残るこの髪。

 新聞紙ごとごみ箱に叩き込んだ。


 「サラバじゃ! 学! せいせいしたわ」そう言って風呂場に向かった。


 薄暗くなってきたが、明りをつけることはためらった。あのトイレまでついてきた追跡者がこの近くにいるのかもしれない。

 祖母のタンスを開けると整理されていない古い虫食いだらけの着物があった。これでもないよりはマシだ。



 明日ゆっくり眠って、使えるものを探そう。


 水道の蛇口を捻ると錆で赤茶色した水が出たが、そんなことはどうでもよかった。頭に染み付いた反吐が出る臭いを早く取り去りたかった。身を切るような冷たい水を頭からかぶった。


 「ひょゃぁあ~~。ひやぁあ~~。ぐ…… ひぃ。」冷たさに悲鳴をあげて身震いする寿満子の体に水がしたたたり落ちた。


 この数日に起きた災厄を冷たい水が洗い流して、何もかも振り出しにもどればいいと思った。シャンプーはなかった。古びて泡立たない石鹸をこすりつけて髪を洗った。髪の毛がぎしぎしときしむ気がしたが力を込めて洗った。


 体を拭いて祖母の残した浴衣に着替えると、へたり込んで悲鳴とも嗚咽ともわからない声をあげて泣いた。


 「ばあちゃん、あたし、逃げ切ったよ。絶対に生き延びるからね。守ってやぁ」


 かび臭い布団を敷いた。やっと布団で眠れる。それだけで夢のようだった。 

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