第二章  第25話 #9-7 中田与志男三曹 呼吸停止

なるほど、このカエルの歌の大合唱はそういう意味だったのかとパメラが心の中でうなずいた。

 天寺は憮然としながらも歌い続け、その心臓マッサージのリズムも整ってきた。

 「そうそう、天寺さん、そのテンポです。みんなに合わせて」

 

 天寺は怨みを込めて隆一郎を睨みつけたが、隆一郎は無視していた。アンビューバッグを使いながら人工呼吸を始める。動きに無駄がなく、流れるように作業を進めた。

 「佐武さん、突っ立ってないでこっちへ来てください。見ていて心臓マッサージのコツは分かったでしょ? 天寺さんと交代してください」

 「は、はい。」

 

 佐武は隔離室のドアの近くでこの騒動に呆然としていたが、名前を呼ばれて慌てて天寺と心臓マッサージを変わった。彼も研修は受けていた。

 「1・2・3」

 

 佐武のリズムは最初から完璧だった。心臓マッサージはかなり体力を消耗するので1分以内で次々に交代しなければ続けられない。

 「佐武さんも歌ってくださいね」

 「了解」

 

 「パメラもっと大きな声をだせ!聞こえないぞ!」

 「はいっ!」

 かえるのうたがきこえてくるよ…… 早いテンポでこの童謡の大合唱がはじまった。

 この想定外の全力の大合唱で、パメラの呼吸も次第に改善していった。

 「ゲッゲッゲッゲッ ゲロゲロゲロゲロ グァッグァッグァッ」

 

 最後のかえるの鳴き方が、どうやら地方によって異なるらしい。合唱のその部分が全く統一感はない。だがリズムは同じだ。

 「細かいことなんて気にするな!とのかく大声で歌え。」

 歌はなんでもいい。世界に1つだけの花でもパプリカでもいいのだが、天寺、佐武、吉村パメラの3人全員が知っている歌となると童謡となる。

 「カエルの歌」がダメなら、「メダカの学校」だなと考えていた。この手法は実際に応急処置の現場でも使われている。「さくら」や「赤とんぼ」といったバラード系ではテンポをとるのは難しい。カエルの歌は救急の現場でも、心臓マッサージ交代に使われる童謡だ。

 

 天寺と佐武、パメラの3人が交代で心臓マッサージのローテーションが組めるようになった。即座にAEDの準備に入る。

 「天寺さん、中田さんの服切って。胸を出すように上だけ。スーツケースのハサミ使って。歌は続けてっ!」

 「なにっ!」

 忌々しいペンギンからハサミを出して切り出すが、心臓マッサージで動く身体なのでなかなかうまく切れない。しかも、歌を歌いながらだ。

 

 隆一郎は天寺がハサミをつかって服を切るのを確認しながらAEDを引き寄せた。天寺とパメラは佐武の心臓マッサージを中断しないように注意しながら、切った洋服を脱がせていく。

 隆一郎はパメラを見た。過呼吸は治まっている。

 「少しは落ち着いたか?」

 「は……い……」

 

 本当はパメラだけに歌を歌わせても良かったが、わざと天寺にも歌わせた。

 「いつ聞いても…… 歌はへただな。」ボソッと隆一郎がつぶやいた。

 「なんだとっ? 貴様、今なんていった。オレの歌がか?」

 天寺の怒気は頭からは湯気が出そうなレベルだった。

 

 ボストン大学短期留学で工学部にいた天寺と当時、ボストンマラソンの爆発テロの研究に現地に飛んでいた隆一郎は何度か連絡をとりあっていた。ボストンマラソンのテロ現場に天寺の留学先は隣接している。ほんの数ブロックの中で爆発が数回起こった。当時、大学関係者もマラソンに出場しており観戦者もいた。被害者ヒアリングのたびに二人はテロ犯の動きについて議論してきた。


 二人は当時から海自、陸自の枠をこえて、仕方なくお互い協力しあう間柄だった。親しい関係かというとまるで違う。嫌で仕方ないが、仕事のできるムカつく奴という認識をお互いが持っていた。

 

 お互いの職務上のスキルについては信頼していたが、両者の間には反発する磁力がある。近づけばその二人の間に必ずバチバチと火花が散る。しかし、仕事となるとそれを我慢ながら見せかけのパートナーを演じる。一瞬即発のギリギリのチキンレースだが。

 「なんとかとハサミは使いようっていいますよね」

 隆一郎は何食わぬ顔で言い放ち、人工呼吸をつづける。

 

 「タケノコ医者に言われたくない」

 藪医者という言葉がある。余計なことをしてかえって事態を悪化させる(藪をつついて蛇を出す)医者という意味だ。その藪にさえなることができない医者のことを、タケノコ医者という。天寺はわざと聞こえるような声でそう答えた。隆一郎は「ふんっ」と鼻で笑った。

 

 医療機関ではない自衛隊の基地に医療用酸素はない。酸素濃度が落ちた中田の現状に医療用酸素が無いのは痛いが仕方ない。

 「おい、切ったぞ。次は?」

 天寺は憎まれ口を叩きながらも、淡々と作業は行った。中田の服を切りとり、上半身をはだけさせた。

 

 パメラが中田を見て、キャッと声をあげ顔をそむけた。中田には立派な胸毛があった。佐武がパメラと交代して心臓マッサージを続けていたが心拍は戻らない。

 「天寺さん、ハサミでその胸毛を切って。」

 隆一郎は唇の端をニッと吊り上げて、天寺に指示する。天寺は赤鬼の形相だが、指示に従う。歌もつづけてねと追い打ちをかけた。

 

 AEDのパッドから電気を効率よく流すには胸毛はないほうが良い。天寺もそれを理解していた。

 粘着パッドを胸毛に張って勢いよく剥がす方法もあるが、あいにくパッドはひと組しかない。カエルの歌を歌いながら天寺は胸毛を切った。

 「覚えてろよ〜」

 天寺が鬼の形相のまま隆一郎を真正面からにらみつけて宣言した。必ず仕返しするぞという予告だ。


 

 「よしっ!パッドつけるぞ!」

 隆一郎は毛が短くなった中田の胸に2枚のパッドを貼り付けた。

 AEDが解析を始める。

 

 「電気ショックが必要です。身体から離れて下さい。」

 よく通る男の声が告げる。パメラが手を合わせて祈った。

 

 電気が流れ、中田の体が跳ねる。

「中田さん、戻ってこい!」

 隆一郎以外は固唾を飲んで見ている。

 

 「ボーっとするな! すぐ心臓マッサージだっ!」

 

 中田がかすかにうめき声をあげた。中田の心臓が再び動き出したサインだった。

 「よっしゃあ!」

 ずっと一言も話さず、指示に従っていた佐武が叫んだ。

 

 ドクターヘリ到着まであと5分。

 「みんな、ヘリポートへ運ぶぞ!」

 「了解!」

 

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