第14話



 雪の純白の肌のユイラ人と、陽光を照りかえす砂漠の褐色のブラゴール人とのあいだに生まれたハシェド。彼の肌の上をすべる汗が松明の火にきらめく。ワレスはたったいま、暗がりに二人きりでいることを強く感じた。


 今夜はすべてが、何から何までリアル。いつもの現実は夢でしかなかったとすら感じるほどに。

 ハシェドの呼吸の音も、心臓の鼓動にあわせて隆起する、かすかな胸の動きまで、この指でふれ、唇を重ねているように生々しい。


「隊長? おかげんでも悪いのですか?」


 ワレスのおもてをのぞきこんでくるハシェドに、あわてて視線をそらした。


「なんでもない。今夜はなんだか、寒い……ような」

「ええ、もう残暑もおしまいですね。夜になると風が冷たくなりました」


 風が? こう重苦しい石壁の城では、風もよく通らない。寒いような暑いような、変な感じだ。


「さっきから、誰かに見られているような……気がする」

「誰かに、ですか?」


 ハシェドは注意深くワレスの背後をながめた。


「異常はないようですが」

「だろうな。感じがするだけだ」


 あの暗闇で、うごめく影が見える。

 誰かが見ている。そして言う。

 我慢なんてしなくていいじゃないか、ワレス。どうせ、人間はみんな、いつか死ぬんだ。

 そうだな。いつかは死ぬ。おれも、ハシェドも。


「ハシェド」

「はい?」


 いつから、こんなに好きになってしまったのだろうか。

 砦はいつもよりずっと死が近い所にあるからなのか。今度はごまかしがきかなかった。本気なのだと、自分でもわかる。

 こんなふうに誰かを愛するのは、ルーシサスへの裏切りではないかとも、かすかに思うが……。


(ルーシサスを忘れたわけじゃない。でも、止められない。今度はもう、この思いを。だって、ルーシサスはここにいないじゃないか。彼が今でもとなりにいてくれれば、どうだかわからないが……)


 頭のなかで何度もくりかえし、ハシェドにくちづける自分を想像していたワレスは、ふいに現実と妄想の距離感を失ってしまった。妄想の自分が、まるでほんとのような。それで……。


「——わッ。隊長?」


 いつも軽蔑しているロンドみたいに、ワレスは派手にハシェドに抱きついて、唇をあわせた。おどろいたハシェドが足をすべらせ、そのまま二人は見事にほこりまみれの廊下に倒れる。


「な、なんですか? 急に」


 ハシェドの声が裏返っている。


 それでやっと、ワレスのなかでスイッチが切りかわった。現実が戻ってくる。自分の下で泡を食っているハシェドをまじまじと見つめた。

 くっきりした二重まぶたの甘いアーモンド型の双眸。あわいブラウンの瞳の表面がガラスのように光を反射している。


(何をしているんだ。おれは)


 ハシェドが自分の思いを抑えて、待ってくれていると知ってから、いたずらに挑発する行為はひかえようと決心した。今が一番、二人のためによい距離だ。この均衡をこわしたくない。できるだけ長くそばにいてもらうために。


「すまない。大丈夫か?」

「おれは平気ですけど……どうしたんです?」


 ワレスは深呼吸して、誰かにそそのかされたような妙な感覚をふりはらった。


(近ごろ、ルーシサスのことばかり考えてしまうからか? 気分が不安定なんだろうか)


 しかし、ハシェドの手前、都合のいい言いわけを探す。


「今日はおまえの誕生日だろう? おめでとう。おれからのプレゼントだよ」


 ハシェドは頭をかかえた。


「う、嬉しいですけど、やめてください。途中で止める自信がないですよ」

「ほんとはちゃんと贈り物も用意してあるんだが、とうぶん、二人きりになれそうもない」

「いいんですよ。おぼえていてくださっただけで」


 照れているハシェドを見ると、またあの感覚に支配されそうな気がしたので、ワレスは立ちあがった。


「じゃあな。ちゃんと見張れよ」

「はい」


 こんなふうではない。きちんとした形で祝いたかったのに。

 おまえの誕生日。おまえが生きてきた年月。

 これからもずっと、この日を祝えるように。


 ワレスは逃げるように、その場を去った。

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