第15話

 *



 カーク・ル・ミレインの日記


 アイサラ旬四日。

 三日めにして死亡者を見た。ワレス小隊長の部下だ。覚悟してきたつもりだが、いざとなると恐ろしい。何度見ても死体というのはなれないものだ。


 だが、個人的感傷にひたっている場合ではない。明日からは心を入れかえて仕事に励もう。皇帝陛下もきっと良い結果をお待ちであろうから。


 本日の小隊長の働きは悪くなかったように思う。死人が出て以後の指揮は。

 思うに、彼は非常時になると勘がきく人物なのだ。私の極秘裏の仕事も悟られぬよう心してかからねばなるまい。小隊長に勘づかれてはおしまいだ。


 話を戻す。

 小隊長は私のことを中隊長に報告していなかった。ウッカリしていたようだが、軍人としてはあるまじきだ。

 通常の任務には特別な力を発揮するわけではないと、これでわかった。昨日のサムウェイ小隊長が言っていた天才肌というのは、そういう意味なのだろう。


 先刻、小隊長の上官、ギデオン中隊長の話を聞いた。中隊長は好きにやらせておけば、いい働きをすると言った。束縛されるのが何よりも嫌いなようだ、とも。


 これで小隊長の人物像はだいたい理解した。彼はこの砦にいるかぎり有能だが、それ以外の場所にはなじめない人間なのだ。

 やはり、彼にはふさわしくない。ランディには悪いが、陛下には……。



 *



「カーク」


 ミレインは外から声をかけられ、書きかけの日記を閉じた。


 ボイクド城本丸五階の客室。もちろん、皇都にある貴族の屋敷なみにとはいかないが、ワレスたちの部屋にくらべたら雲泥の差(それだって一般兵士の十人部屋より、はるかにマシだが)の居心地のいい寝室だ。


「どうぞ」


 返事をすると扉がひらく。城主のコーマ伯爵が……いや、カークにとっては体の弱い弟の友人だったランディと言ったほうが、今でもしっくりする。人のよい顔つきをした青年が入ってくる。

 ランディが十代のころはよく会ったが、近年はまれだった。彼の父が急死して、その葬儀に行ったときが最後かもしれない。


「ラヴィーニがお茶をいれてくれたのだが、いっしょに飲まないか? それとも、もう寝るところだった?」


 ひさしぶりに会っても、ランディは変わらない。あいかわらず少年くささのぬけないキラキラした目で、まっすぐに人を見る。親を亡くして苦労したのだから、少しは性格にも変化があるものと思っていたのだが。


「気をつかわせたか。すまないな」

「いや、これはいつもの習慣さ。お茶を飲んだら、もうひと仕事待っている」

「忙しいのだね? 城主の任は」

「署名書きばかりさ。これが。この前はイヤになって、ちょっとぬけだしたら大変なめに……あとでエイディにこっぴどく、しぼられたよ」


 声に出して、ほがらかに笑う。

 ほんとなら、ランディは父の官職を継いで、宮廷でそれなりの地位についていたはずだ。だが、人の足をひっぱりあうのが十八番の貴族社会で、先代伯爵の急死のどさくさに役職をうばわれた。そのせいで、こんな辺鄙へんぴな国境の城主にならざるを得なかったのに、なぜ笑っていられるのか。それも、こんなに楽しそうに。


「口髭をつけていないと、まるで変わらないな。君は」

「口髭でもしなければ、貫禄がないだろう? まあ、とにかく来てくれよ。ラヴィーニはけっこうお茶をいれるのが、うまいんだ」


 カークは閉じた日記をかたわらのブックケースに入れ、鍵をかけた。


「おお、なつかしいな。そのケース」


 学生時代から使っているので、ランディもおぼえていた。

 本をすっぽりおさめられる革製のケースで、以前はブローチだった宝石を、座金の加工をしなおして、ケースの表面にとりつけてある。大粒の紅玉を使い、とても美しいクモの装飾。カークが学校にあがるとき、父がくれたものだ。あのころは父もまだ、まともだった。


「これが一番、使い勝手がいい」


 そう。秘密を記しても鍵がかかると、ミレインは考えた。


「マレーヌがお気に入りだったね。いつも、うらやましがってた」


 ランディの言葉に答えないで、カークは椅子を立った。皮肉な笑みがもれそうになることだけは抑えきれなかったが。


「さあ、行こうか。せっかくのお茶が冷めるんじゃないか?」

「そうだった。ラヴィーニにしかられる」

「小姓のくせに主人をしかるのか?」


 しつけのなってない小姓だ。しかし、ランディは笑っていた。


「あの子は将来、いいお目付役になるよ。誰のって、僕の息子のね」

「君は結婚していたかな?」

「いや、これからなんだ。息子は十人は欲しいな。娘は二十人でもいい」


 話がぜんぜん子どもだ。


「そんなにいては処理に困る」

「処理だなんて。あなたはときどきキツイね。カーク」


 廊下を歩いていった。

 緋色の毛氈もうせんも敷かれているし、何より動きまわる女官の姿が見えて、カークをホッとさせる。

 ここはかろうじて人の住む世界だ。いや、カークの住む世界だ。乱暴な口をたたくもいなければ、人ずれた男娼もいない。


(陛下のご命令だから、したかなかったが……断ろうと思えば断れなくもなかった。この話。なぜ、来てしまったのか。こんなに皇都が恋しくなるなら。しかし、陛下にあれほど頼まれては)


 陛下は何をあんなにご案じだったのだろう。ワレス小隊長など、たいした男ではない。人に見えないものが見えるなどというのも、ただのウワサに違いない。

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