第29話 その言葉

 その言葉は、その後僕を何度も救ってくれた。兄さんの性対象が僕になっていく中で拒否し続け、心の中で大丈夫大丈夫と落ち着かせるように唱えた。

 

 大学で、英語は勉強し続けながらバイトも続けた。チェーン店のピザが美味しい料理店で、客が少ない時にはそこのピザを食べながら勉強させてもらっていたこともあった。

 大学二年の時にアメリカのサンフランシスコにに留学した。

 西岸海洋性気候に属しているため、一年中温暖な気候に恵まれていた。

 新鮮なシーフードはもちろん、中国やフランス、メキシコやインド、そして日本など各国の料理やそれを組み合わせた創造力豊かなフュージョン料理を楽しむことができ、留学先で知り合った友達とご飯を食べに行くことが多々あった。旅行や留学の最中にぶつかることの多い「食の壁」には、サンフランシスコでは悩まなくて済んだ。

 僕はよく、海を眺めていたと思う。不意に海の近くに行きたくなってしまって、よく散歩をしに海沿いを歩いた。

 フィッシャーマンズワーフは、サンフランシスコで最も人気の観光名所の一つだ。連日、美味しいシーフードや港から見える景色を求めて、たくさんの観光客が訪れていたし、僕もその一人だった。港町より、ロマンチックなビーチに訪れることが多かったような気がするから、港町も悪くないなとシーフードを食べながら眺めていた。


 その頃、元々ゲーム実況者だった兄さんが更に売れて、ファンが増えていた。顔もバレていたらしくて、僕は兄さんと同じような人にはなりたくないと触ろうとしてくる手を、いつも退けていた。あまり喋らないくせに触ろうとしてくるのだ。

 彼女、魔法の言葉を教えてくれた彼女に会いたいと思うようになったのは日本に帰ってからで、兄さんがウザい時なんかはずっと大丈夫と心の中で唱えていた。

 教師になったのは、気まぐれかもしれない。熱意があったわけでもなかった。ただ、英語が嫌いになりたくなくて、ビシビシデスクに向かうような仕事より、教える方がいいのかなと思って教員免許を取得した。

 

 はじめは分からなかったけど、魔法の言葉を教えてくれた彼女が、勤めていた学校の生徒だと知ったのは、授業がスタートして一週間経った頃。提出物を取りに来た彼女の面影に見覚えがあった。

 赤い瞳。白い肌。ミルクをたっぷり入れたようなチョコレートの髪色。ちょっと冷たい視線を送られたような気がしたが、この子だと直感的に思った。

 どうしても知りたくて、兄さんが昔からよく遊んでいる人の苗字を教えてもらおうとした。家では下の名前で

「望の家に行くから」

と言っていたからだ、苗字は分からなかったのだ。

 その流れになって、そのセリフを兄さんが言った時に聞いた。

「望って佐名望?」

出来るだけ、不信がられないようにさりげなくを心掛けた。

「え、そうだけど。会ったことあった?」

すっかり、僕が迎えに行った時の記憶がないみたいだったので

「前、寝言で聞いた」

と、小さな嘘をついた。

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