第23話 忘れられない

「終わりましたよ」

先生は廊下で体育座りをしていた。立ち上がりながら

「体温計で熱測った?」

と私の部屋に入る。

「まだ」

「測って」

「はい」

返事をして、私は熱を測る。ピピッと鳴ったので見ると三十七度五分だった。微妙……。

「もう大丈夫みたいです」

「まだ、ちょっとあるから安静に」

「はい」

私は返事をする。先生はなかなか目を合わせてくれないのでどうしたのか聞く。

「別に」

しか、答えてくれないので

「寝ます。まだ二十一時だけど」

と言うと

「……持たない……」

何か言っている

「何が?」

聞き返した。

「理性が持たないよ……」

顔は見せてくれない。それから唇を噛んで

「兄さんもこういう気持ちだったのかと思うと……気持ち悪い。茉裕ちゃんは女の子だけど、熱があるのに無理矢理襲うなんてことしないから」

「そうですか」

平然と、いつものトーンでいう私に

「そうですかって、分かってる?」

怒り口調で言ってきた。

「うん」

「だって!どうするんだよ?男の俺に自分の半裸見せていいのか?」

「だって、それは」

「そういうので写真撮ってとかあるかもしれなかったのに?」

「将次さんは、そういう人じゃないって分かってたし」

何を言っているのか、正直よく分からなかった。どうでもいいことについて、どうしてここまで怒っているのか。

「茉裕ちゃんは……麻痺している。性に関して」

先生の言葉を聞いているとだんだんと頭が痛くなる。風邪薬のせいでもあるだろうけど。 

 横目で見た先生は、悔しそうだったし、泣きそうだった。

 先生の服を引っ張るとやっとこっちを見てくれた。目が合うと先生の顔が近付いてくるので、そっと目を瞑る。

 唇に触れるだけのキスをした。

「逃げなかったね」

「……」

自分の顔が恥ずかしくて熱いのが分かる。

「兄さんじゃなくて良かったの?」

私に、もう触れてきたりはしない。

「分かんない。好きだって忘れたい。楽になりたい」

自分の声が弱々しくて、弱い人なんだと改めて自覚する。

「忘れたいんじゃなくて、忘れられないんだよ」

切なく微笑んでいる先生を見て胸が痛む。嗚呼、傷付けてしまった。まただ。

「ごめんなさい」

「ん……?」

「気を遣わせてばっかり」

「んー、うん」

先生は困ったように笑う。

「私、初めてキスしました」

「付き合ったりしなかったの?」

「いないですよ。されても断ってました」

「そう」

「嬉しいですか?」

「なんで?」

「顔に出てる」

「ん?ふふっ」

軽く柔らかく笑われた。

「暖房つけとく?」

「はい」

リモコンをとって暖房をつける。私は横になる。

「私が寝るまで横にいてくれたりします?」

「いいよ」

子供をあやすように言った。

「ありがとうございます」

「うん」

と言って私の手を握った。その体温が心地良く眠ってしまった。


 翌朝、目が覚めると先生が私のおでこを触っていた。

「おはよう」

「おはよう御座います」

「熱測って」

「はい」

と言われて脇の下に体温計を入れる。胸元が見えることを私は恥じらったりはしてないのだが、先生が恥じらって目線を外している。

 音が鳴り、体温を見る。

「三十六度九です」

「下がったね、良かった」

「ありがとうございます。なんかお礼します」

立ち上がると

「ううん、いいよ」

肩を掴まれてベットの上に腰をかける。

「それよりボタン開けっぱは良くない」

と言われたため

「はい」

素直に従い元に戻す。

「ありがとうございます。心強かったです」

「それはどうも」

先生は荷物をまとめていた。

「じゃあ、帰るから」

と言って玄関に向かって行ったので私もそれについて行った。

「ありがとうございました」

「いいえ、じゃ」

家のドアは閉められた。

 私は先生が丁寧に畳んである自分が着たお兄ちゃんの服を洗濯する。溜め込んだ洗濯物と一緒に。


 学校では学年末が終わるとすぐに春休み。クラス替えが行われる。当然授業担当の先生も変わる。

 向月先生は人気だったため、誰よりも惜しまれていた。先生は英語は文系でも理系でも使うから逃げれない科目だから頑張れと言って、教室を出て行った。


 修業式まではあっという間で、すぐに春休みになった。

 メッセージに最後の授業、素っ気なかったですよとメールを送ると、茉裕ちゃんには素っ気ない態度はとらないよと返答が返ってきた。


 高校二年生になっても向月先生とは連絡を取り合い、たまに会うこともあった。

 授業担当の先生でもないし、学年の先生でもない。担任の先生でもなく、変わらず講師で、高校一年生を教えている。

「将次さん」

「ん?」

「兄弟揃って甘党だったんですね」

先生は、夢中でパンケーキを食べている。お兄ちゃん達は平然とした顔でこういうかわいい外見のお店に入って行ったりするが、向月先生はそうではないだろうなと思い、女である私がいれば着いてきてくれるだろうと思った。車を出してもらって店に行き一緒にパンケーキを食べている。

「去年の今頃、先生私のことどう思ってました?」

「んー、惚れてたよ」

「いつからだったんです?」

「内緒」

と言いながらパンケーキの溶けたアイスの部分をすくって食べている。

「大人は秘密だらけですよね」

嫌味を言うように言うと

「言ってほしいの?恥ずかしいんだけど」

俯いていて顔が上手く見れない。

「いつでも会えるなら……いいのかな……」

と言うと、先生は目を細めた。

 私もふわふわのパンケーキをナイフで切って食べる。

「将次さん?美味しい?」

「……ん、うん」

目が輝いている。無邪気で可愛いと思ってしまう。

「私、お腹一杯なんで三口くらい食べて下さい」

「いいの?」

「はい」

「いただきます」

と言って私のお皿から先生のフォークが伸びてきてパンケーキを食べる。

「どうです?」

「ナッツが入ってるんだね、美味しい」

「良かったです」

こんな感じで、先生とは上手くやれていた。

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