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この旅館にはしばしばひどい寒気が流れ込むが、そういうとき窓を閉めるのを忘れたら、みなひとたまりもなく凍え死ぬ。「夢の表象すら凍え死ぬのだ」

(トーマス・ベルンハルト『凍』)


長いあいだ無我夢中で、霧のなかを歩いているような気分だ。歩いても歩いても、行きつく先が見えない。これはわたしの意志であり命令だ。がしかし、どの方向に向かっているのか、いまわたしはどこにいるのか、何を目指しているのか、わたしは正しいのか間違っているのか、いたく不安でならない。それでもわたしは歩き続けるのだ、ここで留まってはならない。

ここには二人のわたしがいる。上司のわたしと部下のわたしだ。上司のわたしは不安で泣きそうになりながら、部下のわたしに心情を読み取られないようにしている。部下のわたしは、上司のわたしの心情――不安、慄き、たよりなさ、恐怖など――をはっきりと知りながら、上司をなだめるように命令に従う。勇敢で賢く強いものが上司とは言えない。むしろ頼りない上司に着き従っている部下のほうが、よほど腰が据わっていると思う。いまわたしは一人だが、ここにいるときのようにときどき二人に分裂する。ジョージ・オーウェルの「二重思考(ダブルシンク)」。つまり「解離」。

不安だが、なぜか足取りは軽く、地面をしっかりと踏みしめている。いきなり地面が崩れ落ちるような恐怖はなく、体力的に消耗する不安も心配もない。それは、歩き続ければどこかへ辿り着ける自信と希望が何かしら裏づけられているからかもしれないし――何か薄い羊膜のようなものでわたしの身体を包んで保護している感じがしたからかもしれない――現実感がないとはいえ、わたしはまだ絶望を知らなかった。

ふとわたしは足を止めた。エーイチもまた、ミルクのような濃霧に、見えない先をまさぐり歩いていたのではないかと、空は薄明から夜半過ぎまで爆撃を受け、寒さと飢えと不安と恐怖で、何も考えられなかったのではないかと、わたしは思わずにいられなかった。

一九四二(昭和一七)年六月初旬から翌年五月末日まで、一年以上アッツ島で生活し、エーイチはあっけなく戦死した。米軍は先にキスカ島を攻撃すると計画していたが、作戦変更でアッツを攻撃すると日本海軍は傍受し、キスカ撤退は見事成功した。

「アッツ島玉砕」との情報は、北海道だけで発表されたもので、多くの日本人は知らない。太平洋戦争といえば南東の島々のジャングルをさ迷う太陽と汗と渇きのイメージではなく、特攻隊がパールハーバーに向かう決死の表情でもなく、アッツ島は、北緯五〇度以上のアリューシャン列島の西端にある島だ。

日本内地で朝かかる霧はいわゆる放射霧で、北方の霧とは全然性質が違う。千島やアリューシャンの霧は海霧、または移流霧といって、あたたかい南風にふくまれた水蒸気が北の海面で冷却されて生まれるものだ。それが発生するには、低気圧がベーリング海に入って西アリューシャンが南高冬低の気圧配置になり、太平洋南部の高気圧から南風が吹き込んでくることが条件であった。

長野や山梨あたりの高原の霧は夏の朝と夕に発生するが昼間は晴れる。アッツ島の朝の霧は、歩いても歩いても歩いてもつねに晴れることなく、先が見えないのだ。


アッツ・キスカ島は、どのような島だったのか。一八七二年、帝政ロシアは七二〇万ドルでアラスカと合わせてアメリカに売却した。島の数は一五〇余島あり、島興の巾は全長二〇〇〇キロにもおよぶ。

キスカ島は列島の西部、北緯五二度にあり、島は羽根を広げた蝶のような形をしている。大きさは、東西八キロ南北四〇キロ周囲八〇キロで、日本軍占領後『鳴神島』と名づけられた。アッツ島は列島の西端にあり、北千島の幌筵島から約一三〇〇キロの地点。東西五六キロ南北三二キロ、キスカ島の二倍半の大きさで『熱田島』と命名された。

気温は海洋性、冬は北海道の三月くらいの寒さであり、最低気温はマイナス一五度、夏の最高はプラス一五度くらい。しかし夏といえるのは七、八月だけで、あとは北海道の四月末の気候である。

雪は九月から降りだし、一一月に入ると本格的な吹雪になるが、積雪量は少なく谷間にたまるだけで、平地の積雪平均はキスカで六〇センチ、アッツでは一・五メートルぐらい。

北海特有の濃霧は、五月から八月にかけてたちこめはじめる。曇りガラスで目隠しされたようになり、視界はゼロ。明るさは感じるが、物の形が判別できないほどであり、ひどいときには二週間ぐらいつづくことがある。しかし濃霧が晴れたときの斜面は、お花畑のように景色が色鮮やかで美しい。

ヤマスミレ、キク、アザミ、コケモモ、キンポウゲ、ルビナスなどが咲き乱れている。そのお花畑を、親子連れの青狐がピョンピョン跳ね回っており、内地では見られぬ光景であった。

穂積支援隊がアッツ島に上陸したとき、西北端のチチャコプ部落に、四二人のアリュート人とアメリカ人の電信技師夫婦がいた。夫婦は手首の動脈を切断して自決をはかったが、夫人だけが助かり、拳銃で頭を撃った技師は絶命した。


アッツ島の原住民、アリュート族を襲った悲劇、もっといえばアリュート族四〇人の小樽への強制連行と、二四人の死の悲劇はあまり知られていない。

アリューシャン列島には少数民族のアリュート人が住んでいた。ロシア皇帝がベーリング隊を地域の探検に派遣して以来、アリュート族はロシア人の迫害にあったのだ。

ロシア探検隊が派遣する以前には二五〇〇〇人以上のアリュート族がアリューシャンの島々に住みついており、一七〇〇年代後半には一〇〇〇人前後に減ってしまった。

ロシアは島々にロシア正教を押しつけロシアの領土にして疫病を持ち込んだ。それはスペインの南米征服に似た現象であった。

一八六七年、列島を完全にロシアの領土にした後、アリューシャン列島とアラスカをアメリカへ金で売り渡した。現在はアリューシャン列島とアラスカはアメリカの領土である。しかしアメリカ政府はアリューシャン列島とアリュート人たちをほとんどかえりみなかった。

話は戻る。一九四二(昭和一七)年六月の四日と五日、日本軍は列島の東側ダッチ・ハーバーを空爆し、八日にアッツ・キスカ両島に上陸、占領した。キスカ島には数名の米海軍の気象観測員しかいなかったが、アッツ島には四二名のアリュート人が住んでいた。

日本軍の侵攻にともない、威嚇発砲の流れ弾が当たったことが原因で一人の女性が死んだ。

占領のあいだ老衰のために一人の男性が死んだ。

同年九月、日本軍は四〇名のアリュート人を小樽へ強制連行した。そのいきさつや小樽での生活については一九八〇年になってようやく公表された。

捕虜ではなく、強制連行されたアリュート人は小樽警察外事課の管轄におかれ、接収された民間の家で寝起きしていた。警官が交代で監視していたアリュート人の行動はある程度自由だったようだが、生活の詳細は知られていない。

戦後、アリュート人は週六日の強制労働があったと訴えているが、その証拠は、小樽にはないそうである。進駐軍の追及を恐れて当時の記録は敗戦時に処分されたので、公式の情報は現存しない。

アリュート人は小樽近くのベントナイト(珪藻土)採掘場で一日一円をもらって働いており、食事がさらなる悲劇をもたらした。アッツ島で高タンパク・高カロリーの海獣(オットセイ、トド、ラッコなど)を食事にしていたが、小樽では一日に茶碗二杯分の米とわずかなおかずしかなく、彼らは常に空腹に苦しんでいた。

このような貧しい食料事情も関係して、結核菌保持者だったアリュート人の十数名が発病し、アメリカへ帰国する一九四五(昭和二〇)年九月まで、強制連行された四〇名の四割にあたる一六名が小樽で死亡した。そのほか、小樽で生まれた五人の赤ん坊のうち四人が死亡した、という悲惨な状況だった。

敗戦とともに解放されたアリュート人の試練はその後もつづく。一九四五年にアメリカへ帰国した二五名のアリュート人は故郷のアッツ島に帰ることが許されず、病人は病院に収容され、子どもは全寮制学校に、大人たちはアッツ島から八〇〇キロも離れているアトカ島に強制的に移されてしまった。

救いもあった。「一九四三年から帰国まで担当した(小樽警察署の)鹿内武四郎巡査は夫婦で親身になって彼らを世話してくれたと聞きました」とスチュアート教授は言う。鹿内夫妻は食料の調達に奔走する。結核が彼らの命を脅かしていると分かると、療養所の医師を訪ね、食事療法を学んで帰った。それでも結核の悲劇を防ぐことはできなかったが、夫妻の苦労はアリュート人たちにもおのずと知れていた。

産業革命以来、欧米諸国には近代工業が発展し、世界の少数民族がつぎつぎに消えていった。アリュート族はその一例の具体的な経緯である。近代文明の発達とともに少数民族が消えて行くのは歴史の必然とは言いながら、淋しいし悲しい。

アッツ島の戦いは、日本軍はアイヌ人兵士がおり、アメリカ軍は黒人兵士が戦っていた。この構造は妙である。なぜ戦わない奴ら、社会的政治的経済的強者の代わりに彼ら、弱者同士が血塗れの戦いをしなければならないのだろうか。いったい、誰の何のための戦いだったのか。

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