第2話 ウソツキヨワムシ


 私と名前も知らない誰かとの図書室の机の上のメッセージ交換はゆっくりゆっくり続いていた。

 何度かのやりとりで気が付いたのは、彼からの返事が来るまでのペースは大体週に1回くらいだと言うこと。

 彼は毎日来ている訳ではなくて、そのくらいのペースで図書に来ているんだろうか?そんな風に想像してちょっとそわそわしたり。私は、彼からのお返事を見つけると嬉しくなってすぐに返事を書いてしまうので、何だか私ばかりいつも気にしてるみたいに思われたら恥ずかしいかな?なんて思ったりもした。

 メッセージの内容は、好きな本とか好きな食べ物のこととか、犬と猫はどっちが好き?とか本当に他愛のないもので、一言か二言だけのお喋り。

 お互いにどんどん文章を書き足して行ったら机がすぐに文字でいっぱいになってしまうし、誰かに気が付かれてしまうかもしれないからって、お互い自分が前回書いたものは自分で消して、新しいものを書くようにしようって二人だけのルールも決めた。

 何だか文通や交換日記みたいで、心がくすぐったかったけれど、それ以上に楽しかったし、嬉しかった。


 そうして秋が深まり、冬が来て。もうすぐ冬休み…と言う頃になった。

その頃になるともう私の中で、そのメッセージのやり取りは学校にくる理由にもなっていた。

 どれだけ教室で孤独感や疎外感を感じたって、図書室に行けば彼のメッセージが私を待っていてくれる。そう思えること。

 それが何よりも私の心を支えてくれた。



―——————キミの名前はなんて言うの?


 何気ないメッセージのやり取りを続けながら、何度もそう書いてしまいそうになっるのを踏みとどまった。

 机に書いたメッセージを通して、私たちはたくさん質問をして、たくさんお喋りをしている。…だけど、私は彼の姿を一度も見たことはないのは勿論、名前も、学年も何も知らない。気にならない訳がなかった。知りたいと思った。

 …でも、昼休みには毎日ここに来ているのにそれらしい人物なんて少しも見たことがないのだ。同じように図書室を利用しているのなら、どこかでばったり会ってしまってもおかしくないのに…と今更ながら気が付いてしまった。

 そして同時に恐ろしくなってしまった。今、こんなに楽しいこの関係が、お互いを認識してしまったら終わってしまうかも知れない。

 だって、そうだろう。最初から私は、あの人の"好きな人"じゃないんだから。

告白のメッセージが届けたかった相手に届いたと彼が信じていたとしたら、私はずっとずっとその相手に成りすまして彼を騙していた悪い奴と言うことになる。

 別にメッセージを書いた誰かを傷つけようと思ったわけではないし、騙してやろうと思ったわけでもない。

 けれど、けれど、あの時、机に書かれていた告白を見つけた時に、それを羨ましいって思ってしまった。愛おしいと思ってしまった。

 だから、どうせ返事が返ってくるわけもないし…って自分の心に言い訳して…、自分が告白されたみたいな気持ちで返事を書いてしまったんだ。

 私はもうあの瞬間に、顔も知らない彼に恋に落ちてしまっていたのかも知れない。


 例えば、自分が彼を探したみたいに、彼も私の姿を探していたとしたら?

私が彼の"好きな人"ではないことは一瞬でバレてしまう。そうしたら、私はきっと嫌われてしまう。

 自分が付いてしまった嘘の重さに、今更ながら気が付いてしまった思いだった。



 それから私は図書室へ行けなくなってしまった。

 毎日毎日当たり前みたいに昼休みには図書室に行っていた私が突然教室で昼食を食べるようになると、それに気が付いたクラスメイト達は少しだけ怪訝そうな顔をしていたようだった。でも、もうそんなこと私にはどうでも良くなっていた。


 図書室に行きたい。

 あの机に書かれたメッセージを探したい。


 図書室に行きたくない。行っては行けない。

もうあの机のメッセージを受け取ってはいけない。

あれは私が受け取るべきものじゃない。あれは違う誰かへと向けられたものだから。



 でも、

 でも、

 でも、



 でも、どうしよう。


 寂しいよ。





* * * * * * * * * * *

 期末試験が終わって、冬休みに入って…。日々は、私の気持ちなんて知らん顔で賑やかなクリスマスとお正月が通り過ぎて行って、3学期が始まった。

 学校にいても家にいても、私のもやもやは少しも晴れることがなくて、時間が流れるのが早かったとはとても思えなかった。むしろ長くて長くてたまらなく感じた。

 図書室のメッセージ交換のことなんて、名前も知らない誰かのことなんていつの間にか忘れてしまえたら良かったのに。時間が経てば経つほどどんどん苦しくなる。

 相変わらず教室の居心地は悪いまま、1年が終わってしまうなぁ…なんて他人事みたいに考えている自分がいた。

 最近ではもう、頬杖をついて窓の外を眺めているか机に突っ伏して寝たふりをしていれば変に声もかけられなくなって、少しだけ気楽になったように感じてるくらいだった。

 そんな風にもやもやしたまんまの日々をやり過ごすだけの日常を過ごしていた私に、転機の時は予想もしない形で訪れた。


「広瀬さん」


 このクラスの人間ではない女子生徒が教室の入り口で私を呼んでいると言うことで、他のクラスメイトに背中をつつかれた。


「広瀬さん、呼び出しだよ」


「…え?」


 身に覚えのない呼び出しに、私は酷くびっくりした。

 部活も委員会も所属していない私は、接点のある先輩なんてものもいないのだ。


「……あ、うん。ありがとう…」


 とりあえず教えてくえたクラスメイトにお礼を言って、教室の入口へと向かう。そこにいたのはやっぱり知らない先輩……ではなくて、見覚えはあった。図書室のカウンターの中にいる図書委員の生徒だ。


「え、あの…?」


 要件がわからなくて私は戸惑ってしまう。まさか今更図書室でご飯を食べるなとか怒られるわけでもないだろうし…。けれど、別に怒られるとかそう言うことでは全然なくて。彼女は戸惑う私に一冊の本を差し出してきた。


「ずっとお待ち頂いていた貸し出し中の本が、ようやく返却されたので持ってきました」


「…え、え?わざわざ持ってきてくれたんですか…?」


「ええ。一時期は毎日図書室に来てたので、そのうち来るだろうと思って待っていたんですが、最近はずっといらっしゃらなかったので…」


「……これ…………」


 確かに、私は貸し出し中図書の順番待ちの申し込みをしていた。

あのメッセージをやり取りしている最中、彼がお勧めしていた本だった。


「図書室、また来てくださいね」


 それでは私はこれで…と踵を返した図書委員の子は、去り際に少しだけ振り向いて、そう小さく呟くように言った。


「え?」


 私はびっくりした。なんとなくその言葉が優しい調子に感じられたのが、とても意外だったのだ。

 私がクラス外の人物に呼び出される…なんて珍しい状況に、こちらに注目していた生徒たちもただ本を渡されているだけと知ると興味を失ったように視線を外していった。


「………」


 受け取った本を手に握りしめ、その表紙を見つめながら、私は立ち尽くしていた。忘れようとして、なかったことにしようとして必死に目を逸らしていたのに。逃げ出した場所の方から手を伸ばしてきた―――――そんな気持ちになった。


「……?」


 教室の入り口に立ちっぱなしだと当然他の生徒の出入りの邪魔になってしまう。ハッと気が付いた私は慌てて自分の席に戻った。

 そしてその本の表紙を凝視していたが、意を決して本の表紙のページをめくった。

その瞬間、ぱらりと一枚のメモが宙を舞い、床へと落ちた。


「あっ」


 私はそれを慌てて拾い上げた。


「…!」


 そこに書かれいていた文章は、それを綴った文字は、見間違えるわけがない。

 それくらいに私がずっと会いたくて会いたくて仕方なった人の文字だ!


―—————お元気ですか?

驚かせちゃったと思います。突然のお手紙ごめんなさい。

最近はお話しできなくて寂しいです。

体調が良くないとか、忙しいのかな?無理はしないでね。

どうしても伝えたいことがあったので、図書委員さんに頼んでメモを一緒に渡して貰いました。

もし良かったら、来週の卒業式の後、図書室へ来てください。待ってます。


「………うそ……」


 手が震える。ドクドクと胸が高鳴る。


 嬉しくて、怖くて

 怖くて、嬉しくて


 頭の中と感情がぐちゃぐちゃだ。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。


 行ったら嘘がバレちゃうよ。

 …ううん。もうバレていて、怒られるのかも…。

 バレてなくて、その場でバレてガッカリされるのも嫌だよ。

 責められるのも嫌だよ。きっと嫌われてしまう。

 

 どうしよう。どうしよう。


 卒業式は来週。

 私は、その日までに決めなくちゃいけない。



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