アルカナ・水玉・声 3
黒いマットには裏向きに三枚のカードが並ぶ。三角形の配置で、左右に一枚ずつ、上に一枚という具合に。カードの後ろのマットには、銀色の百合の刺繍が見えた。
私は右手をのばし、カードをめくっていこうとしたのだが、そのとき、冴木くんの気配がただよってきた。
冴木くんはおびえていた。朱色が混じった灰色の光が見えた。私はさらに冴木くんの感覚に同調していった。私は冴木くんと同じようにおびえ、同じように戸惑った。
私は焦っていた。相手の運命をどう変えるべきか。そればかりを考えた。お客さんとは、たったいちどの出会いかもしれない。だから精一杯、なにかを伝え、変化を起こさなければならない。そう思っていた。
そうだ。深く入りすぎていた。
占いというものは、対象に対して一定の距離が必要でもある。しかし私は、エンパス能力のせいで、対象の心へ過剰に入りこんでしまうきらいがあった。だから師匠から、『心をコントロールしろ』と言われていた。
もっとも、その師匠はゆくえ知れずになっていたが。――私の師匠は凛都という名前だった。いつも黒いジャケットを着て、ピアスをした、無愛想な、でも本当はウサギみたいな繊細な心の持ち主だった。でも、いなくなったのだ。ウサギの国に帰ったのだろう。
私はなんとか落ち着こうと、息を吸って、裏向きに並んだカードを開いてゆく。
過去を現す左のカードは『魔術師』。それから、現在を現す右のカードは『皇帝』。
最後に未来を現す上のカードは、『死神』。これは逆さになっていた。
私は過去と現在について話しはじめた。
「あなたは夢で見たインスピレーションを元に、創造をはじめた。夢想を支配し、完成には至った。そして……」
私は未来の『死神』を指さした。そのカードには、馬に乗った、騎士の格好をした骸骨が描かれている。人々はおそれおののいている。そのカードは、疫病を抽象化したものでもあり、冷徹な運命の変化を現している。死神が持つ旗には、白百合が描かれており、これは純潔と信念を現している。
――そんな具合に、絵柄には実に多くの
こういったタロットカードや秘教的な絵画というものは、一種の漢方薬みたいなものだ。
絵の中には多くの比喩や象徴が内在し、観るものの心に共鳴し、語りかける。そして、それを観たものの心に、複雑で精妙な変化をもたらす。また、その中から『薬効』を引きだすのも、占い師の仕事でもある。
私は、逆さになった『死神』について話をした。これは漢方薬にしては尖っていて、劇薬のひとつとも言えた。概して『死神』の逆位置は、大転換や生まれ変わりを意味しているのだ。
「きみの描いた絵は、きみの運命を転換させるでしょう。その先に、新たな出会いと、新たな世界が見える……」
冴木くんは言った。
「そんなことが……。僕は、ほんとうは、この絵を処分したいと思っていました」
「処分?」
冴木くんははっきりとうなずいて、
「はい。なぜなら、この絵が不気味で、見ていると苦しくなるからです」
「そう。まあ、きみがどうするかは、勝手でしょうね。ただ、もったいない気もするけど」
「ええ。それはわかります。でも、お話を聞いて確信しました。運命に対して影響を与えるということが。僕も、そんな感じを受けるんです。それが、僕は怖かった。なにか、形を与えてはいけないものに、形を与えてしまった気がして。――だから、お願いなんですが」
「お願い?」
「はい。……この絵を山に埋めにいきたいんですが。それを手伝ってほしいんです」
私は出し抜けに大きな声をだした。
「はあ? 子供じゃないんだから。ましてや、私はきみのママンじゃないんだからさ。勝手に行けばいいでしょ?」
冴木くんはしばらく考えるそぶりを見せた。絵を抱えながら、うつむいて、何事かをぶつぶつとつぶやいてから、
「ですよね。……わかりました。参考になりました。それじゃ、お支払いをしますね」
料金を伝えると、冴木くんはぼろぼろの革の財布を取りだし、ちょうどの金額を置いて、立ち上がった。
「すみませんでした。帰りますね。無茶を言って、すみませんでした。それに、あのひとも言っていました。『心をコントロール』した方がいい、って。今日もたしかに、あなたに甘えすぎだった気がします」
そう言ってから、冴木くんはぺこりと頭を下げて、絵を茶色い袋にしまおうと、もぞもぞと作業をはじめた。
やがて、冴木くんは袋を持って、背中を見せた。
私は自分の心の中で、ある言葉が大きく反響しているのを感じた。
『心をコントロールするんだ』
その言葉は、なんども私を諌め、落胆させ、導いてくれた。凛都さんの口からその言葉が出るとき、たいてい私は間違っていた。
――そう、間違っていた。
いちどは、冴木くんのお願いを拒んだときも。『心をコントロールしろ』なんてフレーズは、凛都さん意外に使うとは思えなかった。
店の扉を開けた冴木くんは、外に足を踏みだした。私はそれを追いかけた。
「待ちなさい。ちょっと」
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