アルカナ・使命・梟の目 3
優真は玄関を開けた。
そのとき、いつもと吹き抜ける風の感じが違う気がした。
それは、母親の聡美が換気などをしているからかも知れない。
体に血流が駆け巡り、こめかみが痛くなった。
喉元に心臓が上がってきて、激しく脈動しているようだ。
震える手で玄関にあったホウキを掴んで、奥へ進む。
「お母さん」
と呼ぶが、返事はない。
玄関から廊下を進んで正面奥にダイニングキッチンがある。
廊下の左手に聡美のいる寝室がある。
優真はおそるおそる寝室の前まで行く。
レバーを押し下げ、ドアを押す。
すると、聡美がベッドの上で眠っていた。
静かに寝息を立てて、横臥している。
優真は体じゅうの力が抜けていくのを感じた。
――そのとき。
背後で廊下がきしむ音がした。
振り返ると、そこに男がいた。
黒い目出し帽をすっぽりとかぶり、灰色の軍手を着け、左手に白い巾着袋を持っていた。
右手にはサバイバルナイフを持っていた。
男は低い、押し殺したような声を出した。
「いつからここにいるんだよ。それに、ババア、こんなトコに寝てやがったのか。クソッ。仕方ねえ」
そう言って、男はナイフを構え、部屋の中に入ってきた。
そこで聡美の声がした。
「え? だれ? え、ちょっと……」
男は優真から視線を外し、聡美にナイフを向けて、近づいていった。
優真は弾かれたようにホウキを振り上げ、男の背中に叩きつけた。
「やめろーッ!」
すると男は振り向いて「ははッ」と笑い声を出してから、
「どっちからでも、同じだからよォ」
と、こんどは優真に近づいてきた。
優真は後ろに退がろうとしたが、背中にタンスが当たり、そのままへたりこんだ。
呼吸が浅い。
なんどもなんども息を吸うが、ひたすら苦しかった。
心臓が壊れそうなほどバクバクと鳴った。
薄闇の中、目出し帽とナイフが近づいてくる。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。
そう思いながら、聡美を見た。
「やめてーッ! 子供だけはッ!」
男はナイフを振り上げる。
部屋の外から差し込む光がナイフに反射する。
そのとき、廊下からドタドタと足音が響いてきた。
大きな人影が部屋に飛びこんできた。
人影は目出し帽の男を掴むと、「コラーッ。なんだおまえはッ!」と言いながら部屋の外に引っ張り出した。
男の体が大きく宙に舞う。――そして、床に激しく叩きつけられ、ナイフが落ちた。
男はそのまま泡を吹いて失神してしまったようだ。
そのとき、
「ユウ! 大丈夫か?」
という大きな声とともに見えたのは、叔父の克也の顔だった。
またその直後、もうひとつの足音がした。
「優真! 聡美! 大丈夫か?!」
それは修司の声だった。
* *
まもなく侵入者の男は警察に連行されていった。
昼間の住宅地を狙った泥棒のようだった。
優真は、修司と克也とともに食卓を囲んでいた。
修司は優真のとなりに座り、克也はその正面だ。
聡美はあまりのことに、リビングで座りこんでいた。
修司と克也はどちらもスーツ姿だった。
克也は言った。
「なあユウ。大変だったな。おじさんな、修司――お父さんから電話があって、会社を飛び出てきたんだ」
すると修司はばつが悪そうに、
「ああ。すまんな。さっきは。あんな風に電話を切ってしまって」
「お父さん……。信じてくれたの? 僕のこと」
「ああ。まあな」
すると、克也が口を挟んだ。
「ユウ。こないだ、ユウと修司が、似てるって言っただろ」
「う、うん」
「修司はな、子供のころ、いちど、大騒ぎを起こしたんだ」
「大騒ぎ?」
「ああ。いきなり置き手紙を置いて、山の中に消えてしまった。すべてが嫌になったので、近くの山の神社で死にます。って、そんな手紙を置いて」
「ええッ?」
「それのどこが似てるんだ、って顔してるな」
そこで修司は言った。
「その話、やめろよ。兄貴……」
「あー。いや、いまは、言った方がいいと思ったんだよ。……でな。そのあとだよ。町のみんなで、神社の山を大捜索! すごかったよ」
「そうでしょうね。町のみんなでって。すごいですね」
「いや、すごいのはそのあと。その日は、祭りの準備の会合で、公民館で集まる予定だったんだが。なんと公民館で、ガス漏れの爆発、それから火災が起きた!」
「え……。まさか」
克也はうなずいてから、
「おまえらは、やっぱり、親子なんだな。きょう、修司から電話があったとき、あの手紙と、ガス爆発のことを思い出したんだ。修司は、予知夢を見ていたんだ。兄貴の、オレは知っていたんだよ。でも、大人は気持ち悪がって、相手にしなかった」
修司は言った。
「優真。怖い思いをさせたな。大人になって、忘れちゃってたんだな。オレは」
すると修司は肩に手を載せてきた。熱い体温が伝わってきた。
「ホント、悪かったよ。優真。お前の苦しみを、一番、わかってやれたはずなのに」
「お父さん……」
優真は涙のこぼれるままに、修司の手を掴んだ。
* *
次の土曜日の夕方、凜都は蒼幻のテーブル席で、優真と修司の親子と対面していた。
「本当にありがとうございました」
と、修司が言った。
凜都は首を振り、
「いや、礼にはおよばない」
「いえ。あなたが助けてくださらなかったら、私ら家族は、どうなっていたことか……。本当に、ありがとうございました」
修司は深く頭を下げた。
そこで優真は言った。
「これから、夢で見たことを、がんばって周りに伝えます。それに、色で見分ける方法も勉強になりました」
「まあな。それがいい」
「僕も、人の役に立てるように、なれるでしょうか?」
「どうかな。人はさ、大人になるに従い、社会に慣らされていく。その中で、力を捨てていく人も多い。それでも、まっすぐに世界を見続けるならば、いつか、そうなる。その力を役立てるのが、その人の使命だ」
優真と修司の親子は帰っていった。
ふたたび凜都が店に入ると、マスターがカップを磨きながら、
「きょうは、凜都くんにしては、よくしゃべったね」
「そうかな。なんとなく、過去の自分を見ているようで」
そのときカウンターの脇にある、ガラスのフクロウが目に入った。
フクロウは大きなまっすぐな目をしている。
凜都はつぶやいた。
「見つめ続けるのは、苦しいだろうがな」
「もしかして、瑠香ちゃんのことかい?」
「いいや。べつに」
そのとき、ドアベルが鳴った。
瑠香が夕日とともに、買い物袋を抱えて入ってきた。
店舗で使う小物類を買ってきたようだ。
「え? なにかありました? お客さんでした?」
凜都は言った。
「そんなところだけど。それより、買い物にいくヒマがあったら、もっと学ぶべきことがあるだろ」
「えー。はい。わかってますよ。なんなんですもう……」
そう言って、瑠香は心外そうな表情で、凜都を見た。その脇で、光をふくんだフクロウの置物が、どこか笑っているようにも見えた。
アルカナ・使命・梟の目 おわり
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