アルカナ・地図・導き
アルカナ・地図・導き 1
日曜日の昼すぎ、わたしはスマートフォンの地図アプリを見ながら裏通りを進む。
やがて探していた古びたビルがあった。
1階にはレトロな喫茶店、その右横に看板のない店舗があった。
ちょうどそのとき、右側の店舗の木の扉が開き、中からスーツ姿の男が現れた。
その男は人目を忍ぶように足早に去っていった。
どこかで見たことがある気がしたと思ったら、その男はメディアにも出てくる、ある有名企業の経営者のようだった。
わたしは男の背中を見送ったあと、木の扉を推して中へ入っていった。
そこにはロックバンドのボーカリストみたいな青年が立っていた。
すこし見上げる身長に、癖っ毛。黒い宝石のピアス。シャープな顔の輪郭に、いじわるそうな眼差し。黒いパンツに黒いジャケット。インナーに焦げ茶色のTシャツ。
胸元には、ちいさな銀の十字架が光っていた。
その青年はいぶかしげに、
「なに? 喫茶店なら、うちじゃなくて、となりだけど」
「あの……。こちら、占いのお店ですよね?」
「お客さん?」
「はい。柚木瑠香と申しまして。予約をしたと思うのですが」
「ふうん。いいよ、入りなよ」
そう言って青年は背中を向けた。
わたしは青年についていった。
扉に入って正面には白い壁と森の絵が飾ってある。
そこから左手に通路があり、白い壁の反対側に周りこむ形で進むと、テーブルと椅子が置いてあった。
テーブルの上には、黒いマットとタロットカードの束が2組あった。
そこで青年は言った。
「さて、なにを占ってほしいの?」
――わたしがあの店を訪れたのには、経緯がある。
あのとき、わたしは道に迷っていた。
地図もコンパスもなく、森をさ迷ううちにたどりついたのがあの店だった。
* *
会社のミーティングルームにはわたしと園原さん、それから井澤さんがいた。
右側に座る園原さんはわたしの上司で、30代のエンジニアのリーダー。正面に座る井澤さんはクライアントの担当者の男性だ。
「申しわけありません」
と、わたしは頭を下げる。
そこで井澤さんは、
「あのねえ、柚木さん。進捗が遅れているって、どういうことですか? サイト公開が遅れたら、どう責任とるつもりですか? 公開は来週金曜日。あと、1週間しかないんですよ」
そのとき、井澤さんから赤黒い光がただよってきて、わたしの心臓を締めあげた。すると鼓動が早くなり、頭が痛くなってきた。
そこでこんどは園原さんが、
「私からも、お詫び申しあげます。しっかりとフォロー体制を組み、リカバリーいたします」
「あのねえ。しっかりしてくださいよ、本当に」
それからも色々と言われたが、ひたすらわたしと園原さんが謝り、ミーティングが終わった。
井澤さんが怒るのはもっともで、来週のサイトオープンに向けて準備していたのに、わたしの仕事が遅いせいで、間に合うかわからなくなってしまったのだ。
園原さんがメガネを直しながらわたしの席までやってきて、
「協力するから、なんとか取り戻そう。問題点を整理しよう」
すると園原さんから、いたわるような、失望するような光が見えた。その光がただよってきて、わたしを同じ感情にさせた。
わたしは『エンパス』という言葉を、大学生2年生のときに知り、自分が『エンパス』であると理解した。
他人の感情が流れこんできて、影響され、支配されてしまう。
そのため人と関わらない仕事をしようとエンジニアの仕事についたが、他人との接点がなくなることはなかった。
それに、元から情報工学系の勉強をしてきた人たちに追いつけずにいる。
わたしは園原さんに言った。
「わかりました。でも、やれます。やらせてください」
「それなら、まかせるけどさ。人は、それぞれ向き不向きがあるからね。無理しない方がいいよ」
2ヶ月まえに、わたしの会社で『久魯川市観光マップ』のサイト制作を受注した。
わたしの分担はサイトに表示する動的な地図の部分の開発だ。たいして難しい仕事ではないはずなのに、わたしの手にあまっていた。
新卒で入社して2年目になるが、まだちいさな案件であっても、ひとりで終わらせるのは厳しい。
だから開発スケジュールが遅延し、上司に謝ってもらうことになるのだ。
別の会社に就職した大学の同期はそれぞれの世界へ羽ばたいているのに、わたしはまだ、湖に取り残されている。
いや、飛ぶ方向を誤ってしまったのか。
園原さんは自分の席に戻っていった。
コンビニでコーヒーでも買ってこよう。
そう思ったわたしは、立ちあがってエレベーターホールにいく。
そこに須藤さんがいた。
須藤さんは、1ヶ月前にやってきた総務部のおじさんだ。年齢は39歳で、独身だと言っていた。
「おつかれさまです。お仕事、慣れてきました?」
「どうも、おつかれさまです。そうですね、まだまだですね、ぜんぜんわからないことばかりで……。特にパソコンも苦手でしてね」
そのとき須藤さんから灰色の寂しい光が流れてきて、わたしはいたたまれない気持ちになった。
須藤さんはいつも先輩に厳しく注意を受けていた。
1階でエレベーターを降りてから、落ちこむ須藤さんに言った。
「きっと、大丈夫です。そのうち、自分ならではの居場所が、見つかると思いますよ」
その言葉は、はたして誰に言ったのだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます