ターンアラウンドシュート 3
次の金曜日、福原由里奈は予約の時刻ぴったりにあらわれた。
瑠香は逃げ出したい気持ちをこらえ、ふたたび椅子に座って対面していた。後方にはやはり凛都が座っていた。
集中できない心境のまま、瑠香はカードをシャッフルし、黒いマットに並べた。
1枚目は、
2枚目は、
3枚目は、『
それらのカードを見つめたまま、瑠香は固まっていた。カードの意味は全部わかっている。しかし、解釈を語ったあとの由里奈の笑顔の未来が視えない。また、筋違いなことを言ってしまい、うんざりさせてしまう気がして。
時間ばかりがすぎていき、身体中に汗が噴き出してくる。
瑠香は目をつむって、うつむいて、凛都になんと言おうか考えていた。
『もう無理です。代わってください。わたしはもう、あきらめます』
それを言おうとして、瑠香は顔を上げた。すると背後から凛都の声がした。
「恐れるな」
それはもしかしたら、肉声ではなく、凛都の心の声だったのかもしれない。もはやどちらかはわからなかった。
あらためて由里奈の顔を見たとき、どういうわけかプラタナス並木で出会った少女の姿が頭に浮かんだ。すると、自分がどこまでも無責任な人間である気がしてきた。
――わたしはあのとき、なにを言ったんだっけ。
そうだ。
バスケットボールを辞めようとしていた彼女に、わたしは言った。
『せっかくここまでやってきたんだし。脚をなおしてさ、やってみようよ』
そんなことを。
自分がこんな調子で、嗤ってしまう。
こんなわたしに、彼女は言ってくれた。
わたしのエンパス能力のことを。
『それって、お姉さんの、ターンアラウンドシュートだね』
その言葉が脳裏に浮かぶと、それに連なって凛都の言葉も重なった。
『瑠香。おまえはなんで、オレのところにきたんだ? それを、よく考えろ』
瑠香はふと振り返って、凛都を見た。凛都はうなずいた。そして瑠香は自分の心に確認した。
――わたしは、自分のこの力を、呪いとしてではなく、救いとするために。そのために、あなたのところにきました。凛都さん。周り道だったけれど、わたしは、もういちど前を向きます。それが、ゆるされるのなら。それがわたしの、ターンアラウンドシュートだから。
瑠香は目を閉じ、呼吸を整えた。酸素に乗せて意志を体に行き渡らせる。
恐れずに心を開いていく。心をコントロールしろ。それは閉ざすことではない。開くことでもある。
瑠香は自分の心をよろっている
瑠香は目を開けて由里奈の顔を視る。
複雑な感情と光の色彩が流れてきて、そのひと筋ごとに繊細なビジョンがあった。
そのとき、さらに奥の方に何者かがいた。
エンパスの感覚のその先に。
その存在は、丸いメガネをかけた、温和な老婆を思わせた。それはビジョンであり、感覚そのものでもあった。
老婆は福原由里奈を包みこむように、彼女の背後にいた。その老婆はなんとなく、彼女や家族を見守っている感じを受けた。
そういったビジョンが、おそらく時間にして0.5秒かそこらのうちに押し寄せてきたのだ。
それに、どういうわけか、ふたたびあのプラタナス並木の少女がビジョンにあらわれた。しかし少女のビジョンはすぐに消えた。
いったいこれらの断片だけで、なにをすればよいのか。
そのとき、老婆の幻影が、マットの上のカードを指した気がした。そこで瑠香は、自分がなんであるかを思い出す。
タロットカード!
瑠香はタロットカードを視た。
貧しい男女。子供。勇気と力。
すると、光の帯がタロットカードに重なって、あらたなビジョンがあらわれた。
少女は両親の喧嘩を見ている。お金のことでもめている。ターンアラウンドシュートを練習する少女。バスケットシューズがぼろぼろだ。右脚をくじいた。それを隠している。お金をかけたくない。涙。プラタナス並木の雨。
それらのビジョンがすう、と広がってきた。瑠香は言った。
「由里奈さん。あなたには、お子さんが。お嬢さんがいらっしゃいますね」
急にしゃべりはじめた瑠香にいささかおどろいた様子で、由里奈は言った。
「え、はい。たしかに、志織という、娘がおります」
「全体の運勢を鑑ようとしましたが、どうも、気になることがあるようです。それは、お嬢さんのことです。近ごろ、怪我をされているとか。特に脚の調子が悪いとかは?」
「え? なぜそれを? はい。昨夜も、気になって聞いたんですが、なんともないって……」
「バスケットボールをされているんではないでしょうか?」
「そうです!」
「やっぱり。たぶん、バスケットシューズとか、そういう、道具に支障があるのかもしれません。そして、夫婦仲というか、それを原因としたお金の心配もされている。それで、お金のかかることを言い出しにくいのではと」
「そうですね。……お恥ずかしい。あの子の前で、夫と言い争ってしまったことがあります。わかりました。きちんと、あの子と話をしてみます。……実は、それがずっと気になっていたんです。でも、どうも相談しづらくて」
由里奈はそう言って明るい表情をした。
鑑定が終わると、凛都は言った。
「オレは、福原さんと少し話をするから、もういいよ」
瑠香は由里奈にお礼を言って店を出た。しかしそこで、店の裏手にゴミが散らかっているのを見て、掃除をはじめた。
しばらくすると、凛都の店の扉が開く音がした。凛都と由里奈が出てきたようだ。瑠香は死角の位置にいた。
由里奈の声がした。
「やっぱり、これ、お返ししますね」
それに対して凛都の声がした。
「いえ、それは、受け取ってください」
「たしかに、研修だから、謝礼を出すから瑠香さんに相談してほしいって。そうおっしゃってくださいましたが」
「ええ、ですから」
「いえ。でも、瑠香さんは、十分に、鑑てくれましたよ。だから、本来は正規の料金をお支払いしなければいけないくらいです」
「ありがとうございます。その言葉だけで、十分です。でも、今回は、お願いです。受け取ってください」
「たしかに、裕福じゃないけど、さっきの娘の話についても、靴とかボールとか、それくらいはなんともないですよ。そんなに、困ってないので」
「もちろんです。わかっています。ただ、オレの気がすまない。それだけです」
「凛都さんがそこまでおっしゃるなら、わかりした。ぜひ、瑠香さんにもよろしくお伝えください。ありがとうございました、と」
「わかりました、そうしましょう」
それらのやりとりが終わり、2人の気配が消えるまで、瑠香は強く目を閉じ、息をひそめていた。
色々な想いにささえられているのに、自分のことだけしか見えていない自分自身に、辟易とした。
1ヶ月後、『アルカナアイズ』のメールアドレスに1通のメールが届いた。福原由里奈の娘――福原志織が選手に復帰し、インターハイの地区予選に出るのだという。
体育館は熱気に包まれていた。
観客席にいる瑠香の左側には由里奈がいた。
得点は84点対83点で、志織の高校が劣勢だ。もはや最後の第4クォーター。スコアボードに表示された残り時間は12秒。
あたりには歓声や怒声が渦巻く。
「いけいけいけ!」
「もう1点!」
「走れ 走れ!」
そのとき、志織の高校側にボールが渡った。志織はサイドから駆けていく。
残り時間はあと6秒。
1点差をなんとか埋めなければいけない。
観客席やベンチからは、ほぼ絶叫の歓声。
そのとき、ボールをドリブルしていた選手が志織を見た。志織がうなずいたときには、ボールは飛んでいた。
「お願いッ! 志織!」
志織はボールを受け取るも、相手のディフェンスが目の前だ。志織は立ち往生したかに見えた。
残り時間は4秒。
逆転のためには、志織がゴールを決めるしかない。
瑠香は思わず立ち上がって、大声を出した。
「志織ちゃん!」
その声など聴こえていないはずだ。しかし、まるでその声に応えるかのように、志織は左半身をさげ、ゴールに背を向けて体を回転させる。コンパスのように右脚を軸にして。
そして志織はディフェンスの横側から飛び上がり、シュートをはなった。
ボールは宙を飛ぶ。人々の視線の圧力で破裂してしまいそうだ。やがて落下し、リングの内側にぶつかる。
わずかにバウンド。
しかしボールはしぶとく食い下がり、とうとうネットに入った。
見事なターンアラウンドシュートだ。
そこで割れんばかりの拍手と大声。
鳴り響くホイッスルの音。試合終了だ。
そのとき、志織はふと観客席を見上げた。
そこで瑠香に向かって右の拳を突き上げた。笑顔に真っ白な歯がまぶしかった。
瑠香も右手を握り、拳を突き出して笑った。
ターンアラウンドシュート おわり
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